125.レイのいない日
私はあの時、どうすることもできなかった。
クラッシュしたレイはすぐにメディカルセンターに運び込まれた後、病院に搬送された。
フェアレディZの残骸は、シビくんが引き取った。
レイがクラッシュしたのは、私のせいなのかもしれない。
あのタービンを作ったガズルという男に、全てを任せておけば、こうはならなかったのかもしれない。
このレースに間に合わせるために急いでツインターボ化したフェアレディZのドライバビリティ――乗りやすさには、改善の余地があった。レイが頑張って車に合わせようとしてくれたけど、本当はドライバーに車が合わせなきゃいけない。
それでもレイはよくやってくれた。いつもみたいに作戦通りに、ミスのない走りで。
だからこそ、私は後悔している。
私じゃなくて、ガズルが最後までZを仕上げていればよかった。
なのに、私のエゴが、それを邪魔しちゃった。
いや、せめてあの時。
21周目の終わりに、私のコールでレイをピットに入れられていれば。
あの時、レインタイヤを履かせていれば。
レイはここにいない。フェアレディZもここにいない。
今すぐにでもレイに会いに行きたいのに、病院に行っても面会することはできない。
そして、Zはもう――――――
*
一台の積載車が、青々とした庭園の隣の小さな駐車場に停められた。
それを見ていた彼女は、たった今車を降りたばかりの彼に向かって不満を隠そうともせずに言う。
「何のつもりだ。こんなものを私のアトリエに――」
「お願い……!」
彼が言葉を遮った。
「これを直してほしいんだ。無理な頼みなのはわかってるけど、でも!」
「私の計画とは関係ない。新しいマシンを調達しろ」
「待って!」
踵を返した彼女の手を、彼が掴む。
二人の間にあるのは無感情な雨の音だけだった。
息を吐き、彼女は口を開いた。
「この世界には途方もない数の車が存在する」
そう言って視線を上げる。大きな虹彩の瞳に映るのは、積載車に積まれた赤い残骸。
見ているだけでも痛ましい。
「……それより速い車も、数え切れないほどだ」
なのに何故。そう言いたいのだろう。
何故この車にこだわるのか。
それは彼には分からない。誰にも分からない。
わかるのはレイだけだ。
雨音に紛れて、不釣り合いな音が鳴った。
彼の手元の魔法通信機が光っている。
「エルマ?……ほんと!?わかった、ボクもすぐ行くよ」
短い会話を終えた彼は通信機をポケットにしまうと、一言だけ彼女に言い残した。
「ごめん」
そして走り出し、雨の中に消えた。
*
「――――――レイは!?」
息を切らしながら病室に入ってきたずぶ濡れのシビくんを、私はタオルで拭いてあげた。
ついさっきの私と同じ気持ちなのだろう。シビくんは頭をぐりぐりとタオルに押し付けると、すぐに私から離れてベッドを覗き込んだ。
「まだ目覚めない。まだ……」
「そっか……」
面会の許可は下りたものの、レイの意識はまだ戻っていない。
でも、ドクターによるとじきに目覚めるはずらしい。そうしたらすぐに呼んでほしいと言って、私たちだけにしてくれた。
雨は止む気配がない。
窓の外が光ったように見えた。数秒置いた後の音で、それが雷だったことに気付く。
「……本当はさ、家族しかここにいちゃいけないんだって。でも、レイの家族はティアルタにいないから……私とシビくんに特別に許可をくれたの」
私なんかが家族の代わりになれるはずがないと思いつつも、レイの一番近くにいれることが嬉しかった。
一番近くにいるのにどうすることもできないのが、悲しかった。
今の私にできるのは、手を握ることだけ。
「ねえ、レイ。……ごめんね」
私の過ちが、あなたから最愛の車を奪ってしまった。
「フェアレディZが――えっ?」
手を握り返された気がする。私がその言葉を口に出したのとほぼ同時に。
眠っていても、声には反応してる?
「シビくん、今あの映像持ってる?昨日の予選ラップのオンボードカメラ」
「あ……あるけど」
シビくんはMysticaの画面に映像を映し、音を出して流し始めた。
今度ははっきりとわかる。レイは右足をつま先まで伸ばしている。アクセルを踏んでいる。
映像がカスカータに差し迫ると、身体を左右に揺すった。わずかな動きだったけど、Gを感じているのが伝わってきた。
ストレートの終わりの、最初のブレーキングゾーンで、レイは右足を横にした。左足と一緒に4回小刻みに跳ねた。6速から2速――そうだよね?
そうして結局、レイは映像の音と全く同じタイミングで反応しながら、1周を終えた。
「――――――んん……?」
声がする。あの時は聞こえなかった、レイの声。
「レイ……!」
名前を呼ぶ。瞼が開いた。目が合う。
レイは横になったままきょろきょろと周りを見回すと、呟いた。
「なに、なんで……?どこだよ……ここ」
心底混乱しているように見えながら、ゆっくりと上体を起こす。レイだ。レイが目覚めた。
「レイだ……!よかった。よかった……!」
思わず抱き締める。
うん、いる。レイはここにいる。戻ってきたんだ。それがたまらなく嬉しい。
「ちょ、ちょっと待って……」
しかしやんわりと突き放された。途端に申し訳ない気持ちになる。
いつの間にかシビくんがドクターを呼んできてくれていた。
彼は病室に入ると、意識が回復したレイを見てぱっと表情を明るくして喜んだ。
「よかった、お目覚めですね。私はドクターのシード・ソレントです」
レイが会釈する。ソレント先生はカルテを挟んだバインダーとペンを手に取った。
「まず、お名前は言えますか?」
この時になって、初めて私は勘違いしていたことを知った。
「レイです。カラナギレイ」




