119.カタツムリの糸
朝の日差しが心地良い。今日もメディオラの旧市街は、青空市場のメルカートと子供たちの声で賑やかだ。
さて、何を買っていこうか。最近はかなり暖かくなってきたから、ズッキーニの季節かもしれない。
そんなことを考えながら歩いていると、あっという間にいつも俺が食材を買っているおばちゃんの店に着いていた。
「おはよう」
「あら。おはよう、レイナーデ。週末のレースばっちり見たわよ。優勝したじゃないの!」
「あはは、ありがとう……」
こうも身近にファンがいると照れるものだ。
「せっかくだからこのハムはサービスしてあげる。力つけて、次も頑張ってちょうだいね」
野菜やパスタやパンとそこそこ大きな生ハムの塊が入った袋を抱えて、石畳の路地を歩く。
次も――次も勝つにはどうしたらいいのか。
次の第4戦の舞台は、ティアルタ北部の山奥深くにあるアウト=ファーニュ・サーキットだ。
アップダウンの激しい高速サーキットで、1周の高低差は100mにもなる。坂や起伏を越えながら飛び込む、度胸試しのようなコーナーが多い。
狭苦しいカノム市街地コースとは真逆の性格だが、同じぐらい過酷なサーキットと言えるだろう。
何よりあそこは、エンジンパワーがものを言う。長いホームストレートの先に、カスタータと呼ばれる名物コーナーを抜けると更にストレートがもう一本。
トップスピードが十分に伸びなければすぐさま追い抜かれて突き放される。
良いことではない。俺たちがカノムで勝てた要因の中には、エンジンパワーがそこまでタイムに影響しない場所だったというのもある。
フェアレディZはライバルと比べて馬力で劣る。それを何とかしなければ、勝機はない。
やはりあの手段を使うしか――――――
「あ、いたいた。よォ、元気にしてたか?」
「え……?」
目の前の角から突如現れた男。跳ねた黒髪に、首から提げたカメラ。
ジルペインにいた走り屋のガズル・レイザーだ。
「まァ、そりゃ元気だったろうな。初優勝、おめッとさん」
「ガズル……なんで、ここに?」
「ちょっとした仕事だ。それより、アンタに良い話を持ってきたぜ。今時間大丈夫か?」
良い話、か。どうにも胡散臭い雰囲気だが、正直に言って彼の情報網は侮れない。
というよりも、彼自体が謎なのだ。1000馬力のスペランザを乗りこなしている時点でただ者ではないのに、首都高の走り屋たちの間以外でそれほど名が通っている訳でもなく、車関係のイベントでたびたび姿を見せる。
普段は何をしているんだろう。フリーランスのカメラマンでもやっているのか?
疑心暗鬼のまま彼に着いていくと、路地裏のゴミ捨て場のような場所にひっそりと彼の黒いスペランザが停めてあった。
言われるがままに助手席に乗り込む。
「それで、話っていうのは?」
「簡単だ。アンタにタービンをやる。どうせパワーに困ってんだろォ?」
まるで全てを見透かされていたようだった。
「なんで知ってるんだ……」
「だって次は……なんだっけ、アウト=なんちゃらって場所だろ。非力なマシンでもカノムなら勝てるが、あそこはそうも行かねェ。スーチャでも限界だ」
やはりガズルはティアルタ・クラス2選手権をチェックしているらしい。にしても、俺が抱えている事情についてそこまで詳しいのは不気味だが。そもそもスーパーチャージャーを積んでいることなんて彼に話した覚えすらない。
「つーと、やっぱターボ化だなァ。だから俺はアンタにタービンを提供してやる。タダでな。……他にアテがあんなら別にいいぜ」
ターボ化。そう、それしかないんだ。
これ以上のエンジンパワーをまともな手段で手に入れるには、Zからスーパーチャージャーを外してターボに換装するほかない。
しかし、俺はそれに一度失敗している。
前世でフェアレディZのエンジンがブローし、俺もろとも命を落とした原因は、未熟な制御のまま無理にターボ化を強行したからだ。
絶対に同じ轍を踏む訳にはいかない。
だから、もう一度だけ。覚悟は決めた。
「そのタービンについて、詳しく聞かせてほしい」
俺がそう言うとガズルは満足げに頷いた。
「開発コードは“オールナイト”って名前だ。軸受けはボールベアリング。素材はミスリルの軽量合金で、コンプレッサー径とタービン径はァ……えっとォ……知りたかったら後で教えてやる。構造上、800馬力までは使えるはずだ。アンタのはV6だから、ツインターボ用に2個セットだな」
なるほど。要は、並のタービンではないということだ。
信じられないほど軽くて強度にも優れるミスリルで出来たタービンなど、聞いたことがない。レスポンスは最高だろう。
「……実を言うとォ、コイツはオレが作った。まだ販売申請は通ってねェから、今聞いた話は誰にも言うんじゃねェぞ。……性能については100%保障する」
「そんなヤバいものを、なんでタダで俺に渡すんだよ。それでガズルは何か得なのか?」
「得っちゃァ、得だな。あのレイナーデ・ウィローのフィードバックが貰えるんだ。使ったらぜひ感想を聞かしてくれよ」
まあ、そんなところか。見返りとしてフィードバックは要求する、と。
俺にとってはこの上なく良い話だ。まだ何か裏がありそうな事を除けば。
「どうだ?この話……乗るかァ?」
「乗った」
「決まりだ。じゃあその食いもんは冷蔵庫に入れて、マシンを持ってきな。今から組んでやるからよ」
俺は心を躍らせながらスペランザを降りて、家まで駆けこんだ。
大丈夫。今の俺なら、フェアレディZをターボ化してもやっていけるはずだ。
こいつはまだまだ速くしてやれる。




