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異世界でレースしてみない?  作者: 猫柾
第五章 新天地にアクセルを
124/140

117.計算通りの一体感

 左右にひたすら振り、タイヤに熱を入れる。加速のタイミングを見定める。

 シグナルが――――――ブラックアウト。


 完璧なスタートだ。ホイールスピンを最小限に抑え、駆動力が確実に路面へと伝わっていく。

 ここのホームストレートは短い。このまま距離を詰めていけば、ポジションは俺のものだ。


 最初のコーナー、デーア・デル・マーレ。右に――抜けない。


「ああ、もう……狭すぎ!」


 壁と壁に挟まれた細道に、26台のマシン。そう簡単に動けるはずはなかった。自分の考えの甘さが身に染みる。こんな場所で一体どうやってオーバーテイクすればいいんだ?

 レース中にじっくり考えている暇はない。


 坂を下ったらすぐにブラインドコーナー。左に進入するパラッツォ、右に脱出するカステッロ。

 こんなの、当てずに通過するだけで精一杯だ。他のドライバーもそうだろう。後ろに気を配らなくとも、ひとまずポジションは安泰ということか。このまま抜かれずに3位でフィニッシュできれば、少なくとも表彰台(ポディウム)は保証される。


 ――なんて、考えてみる。冗談じゃない。俺は1位を獲るために走ってるんだ。


 右に回り込んで、超低速左ヘアピンのチェントタンタ。前後左右にマシンが密集していて、もはや曲がれたものではない。なんならギアをニュートラルに突っ込んだ方が良いまである。

 針の穴に糸を通すように、慎重にマシンの向きを変えてから加速する。


 あれだけ混沌としていたにもかかわらず、後方での接触は特になさそうだ。


 右コーナーを二つ抜けて――長い橋へ。溜まった鬱憤を晴らすように、アクセルは全開。

 無線が聞こえた。


『イエローはなし。そっちも接触はなさそう?』


 この過酷なコースで息をついて会話ができる場所なんて、橋とホームストレートぐらいしかない。それはエルマもよく分かってくれているようだった。


「なんとか。……本っ当に抜けないな、ここは」


『そうだね。情報は少ない方がいい?集中したかったら、必要な指示以外は喋らないけど』


 ありがたい提案だ。確かに予選でのアタックのように、極限の集中力が要求される時はなるべく一人にしてほしい。しかし――


「いや、大丈夫だ。むしろずっと一人だと、視野が狭くなるから」


 ――レースは長い。張り詰めすぎた緊張の糸は、やがて必ず切れてしまう。そうなる前に、一度糸を解いて自らの状況を俯瞰することが大事だ。常にあらゆる視点から展開を考えなければ、レースには勝てない。


 橋が終わり、シケインに向けてフルブレーキングする。


『わかった。いつでも私を頼ってね!』




 *19周目*




 橋だ。呼吸を整える。


『タイヤはどう?』


「まだ余裕。というか前が塞がってて、全然使い切れてない」


 今のところポジションはずっと3位をキープしているが、前方2台のペースは上がらない。かといって易々とオーバーテイクができないとなると、こっちとしてはもうタイヤを温存しておく以外にやることがなくなってしまう。


『ふふっ、なら安心。隣のピットが騒がしいから、この周で入ると思うよ!』


 それは俺にとって嬉しいニュースだった。前の奴らが先に新しいタイヤを履いて後ろからペースを上げてこようとも、一度俺が前に立てば対抗して飛ばすことができる。俺の方がタイムを稼いでからピットインし、相手より前でコースに復帰できれば――チェックメイト。作戦通りに事を運べば、勝てる。


「向こうはアンダーカット狙いか……任せろ!」




 コース終盤の上り坂――ライオンフィッシュ――を抜けると、エルマの予想通り1位のマシンはピットへ入っていった。そして2位も後に続く。

 俺の前には誰もいない。


 開けたホームストレートを全開で駆け抜ける。気持ち良い。


「どうする、エルマ?」


『目標デルタは――』


 タイヤはまだ残っている。どれぐらいペースを上げて、どのタイミングで俺もピットに入るか。

 計算を間違えて逆にポジションを落とせば、抜き返すのは絶望的だ。




『――マイナス、コンマ5秒』




「コンマ5、ね」


 デルタとはすなわち基準タイムとの差。それが意味するのは、今から1周あたり0.5秒も早いペースでラップを刻み続けなければならないということ。


 お安い御用だ。


最低でも(・・・・)あと10周は持たせてね?』


「無茶言うなぁ」


『やれるでしょ?』


「……やるよ」


 ストレートが終わり、集中を取り戻す。緊張と緩和。リズムを崩すな。

 タイムを削れるところは妥協なく削るんだ。再び視野を絞り、目の前のラップに全ての意識を向ける。


 予選とは違う。4つのタイヤの機嫌を取りながら、ストレスを与えないようにじっくりと攻めなければならない。

 ステアリングを握る両手のひらからグリップが言葉のように伝わってくる。両足がZのコンディションを確かめてくれる。


 間違いない。今日の俺たちは、乗れている。




 これで3周。


 ペースは上々だ。タイヤにも文句はない。このまま、まだまだ走り続けられるはずだ。

 後ろから追い上げてくる相手を心配するよりも、もっと速いラップを――!


 5周。


 グリップが落ちてきている。余裕が段々となくなってくるが、挙動の変化を把握していれば問題ない。


 9周。


 消耗の度合いが手に取るように理解できる。マシンを安定させるんだ。走れる。このまま、このまま。危ない場所は一つもない。


 11周。


『うん、もう十分だよ!この周で――』


「まだだ」


 海の上を飛ぶように走る。


「あともう1周。それでちょうどタイヤが終わる。……行かせてくれ」


 シケインの先を見ながらフルブレーキング。やはりあと1周だ。


『了解!』




 12周。


 挙動は乱れていない。狙ったラインを完璧に描く。破綻の一歩手前。しかし、絶対に破綻はさせない。

 グリップを失う。タイヤの寿命が尽きようとしている。


「……よし、入るぞ」


『OK。良いスティントだったよ』


 ピットレーンを慎重に進み、スクーデリア・ヴェントのクルーにマシンを任せる。

 残り14周、後ろとの差には余裕があるはずだ。

 ジャッキが下ろされ、再びフェアレディZが地面を蹴り出す。




 コースに戻る。やはり俺の前には、誰もいない。




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