114.君を信じているから
「……施錠」
Zのドアノブに手をかけるが、開かない。
「解錠」
俺が呟くと、今度はドアが開いた。
シートに腰を下ろして息をつく。――あ、この前の缶コーヒーが置きっぱなしだ。まあいいか。
俺はブレーキとクラッチを同時に踏み、左手の人差し指でエンジンスタートスイッチを押した。
――キュルルルッ、ドゥゥウウウウウンン!!
当たり前のようにエンジンがかかる。まあ、何もおかしな事はない。
タコメーターとスピードメーターが一旦端まで回り、再び0に戻り、タコメーターはアイドリングの回転数を指して微かに震えている。
エンジンスタートスイッチをもう一度押すと、エンジンは止まった。
外に出て、ドアを閉める。
「施錠」
俺は空のポケットに両手を突っ込んで、しばしZを眺めた。
いつ見ても本当にかっこいいな。これ以上の車がこの世にあるだろうか。
エルマが不思議そうに首を傾げていた。
「どう、感触は?」
「なんか……よく分かんないな。今までより安全なんだろうけどさ」
安全――というのは盗難に対してだ。
そもそもフェアレディZはそう簡単に盗める車ではない。車両盗難防止システムのイモビライザーが搭載されていて、日産のインテリジェントキーという電子キーがなければエンジンの始動は不可能なのだ。
しかし、今俺の目の前にいるこいつは違う。
このZにはAMT社が開発中の魔法式イモビライザーが取り付けられている。そう、契約した時にもう一つもらったプレゼントというのはこれだ。
魔法式イモビライザーの大まかな仕組みは純正品と変わりない。違うのは、電子キーではなく魔法を使うということ。
より正確に言えば、魔法の根幹となる波長を使う。
この世界の全ての人間はそれぞれ固有の波長を持っており、それが何かと共鳴する人間は魔法使いと呼ばれる。そして魔法使いか否かに関わらず、波長を利用した誰でも使える魔法が汎用魔法だ。
この魔法式イモビライザーは、いわゆる汎用魔法技術を応用したものらしい。
つまり、所有者である俺の波長と照合しなければ、Zのドアは開かないし、エンジンもかけられない。なんとも便利なシステムである。
「……エルマ、お願いがあるんだけど」
「なに?」
俺はアクレイムさんに手渡された黒い箱を、そっとエルマに預けた。
「これを任せていいかな。エルマ以外には頼めないんだ」
丁寧に箱が開かれ、中身が露わになる。
複雑な形状をした金色の鍵だ。
「Zの、メカニカルキー?」
「ああ。それには俺の波長が刻み込まれてる……らしい。もし俺に何かあったら、それを使ってくれ」
もちろん、完全に魔法でしか開かない方が防犯性は高まるだろう。だが、あえて俺はそれを天秤にかけた上で、一つだけキーを作ってもらった。エルマに預けておけば大丈夫なはずだ。
「……うん。なくさないようにするね」
さて、次の第3戦はストリートコースで争われる。普段使われている公道をレースのために閉鎖し、市街地がサーキットになるのだ。
舞台となるのは、ポルト・ディ・カノム――――――通称カノム自治区として知られる港町だ。狭い町だが、美しい景観の沿岸にはホテルや一流レストランが立ち並ぶ。クルーザーやヨットが白い港に浮かび、夜になれぱカジノが光り輝く、まさにこの世の楽園のような場所だ。リゾート地と聞けば、人々はまずカノムを思い浮かべるだろう。
その町が、サーキットと化す。
観光客ではなくレーシングドライバーとして見た場合は、印象が180度変わってくる。
ガードレールに囲まれた、道幅の狭い2車線道路。ほぼ全てのコーナーは向こう側の景色が建物に遮られたブラインドコーナーで、公道の路面は凹凸が多くてグリップしないし、中低速コーナーが絶え間なく続くので忙しないシフトチェンジと精密なステアリング操作が要求される。集中を一度でも切らせば、気付いた時には既にクラッシュだ。過酷なコースと聞けば、人々はまずカノムを思い浮かべるだろう。
「はぁ……市街地、ちゃんと走れるかな……」
俺は今までクローズドサーキットでしかレースしたことがない。
せいぜいジルペインにいた頃に首都高で走り込んでいたぐらいか。とはいえ、首都高と市街地コースはまるっきり別物だ。
まあ、弱音ばかり吐いていても仕方ない。前向きなこともある。
マシンの相性を考えると、あそこでは良いレースができるはずだ。
前回のアルジェントサーキットではウラクと比べてZのエンジンパワーが足りず、ストレートが伸びなくてレースペースで劣っていた。
しかし今回はパワーよりもダウンフォースが最優先。いかにコーナリング速度を安定して高められるかが重要となる。
その点で言えばZには、より多くのダウンフォースを発生させるための空力パーツが一通り揃っている。
ティアルタに来てから交換したばかりのカナード付きフロントバンパーと、リアの下端を大きく削るように装備されたディフューザー。走行風を受け流し、気流の剥離を抑制するのには欠かせない。
極め付きは去年のゲメントフェスティバルに行く前に取り付けた、カーボン製の門型リアウィング。負圧を発生させて路面に張り付くようなハンドリングをもたらす。
空気抵抗の増加によって多少ストレートでの伸びを犠牲にしていようとも、その価値は大いにあるだろう。低速コーナーの多い市街地でなら、とりわけ有利に働く。
そして、こっちには更にもう一つ武器がある。Zのエンジンに取り付けてあるスーパーチャージャーが、テクニカルコースでアドバンテージになるのだ。
エンジンの出力を増強する過給機としては、スーパーチャージャーよりもターボの方がメジャーなのは間違いない。実際、ウラクのイライザ350も純正でツインターボが装着されているし、そこから生み出される爆発的なパワーは俺にとって脅威でしかない。
だが、スーパーチャージャーがターボに勝る最大のメリットは、レスポンスに優れていること。
エンジンの排圧を利用してタービンを回し、空気を圧縮するターボに対して、スーパーチャージャーはエンジンの回転を直接使い、コンプレッサーを回す。つまりアクセルを踏み込めば、ラグなしで即座にパワーが出る。
ターボが大振りの大剣なら、スーパーチャージャーは取り回しの良いダガーといったところだろう。
この特性もまた、カノムのようなコースに向いているという訳だ。
間違いない。このZとなら大丈夫だ。走れる。あのカノムの街を、きっと誰よりも速く。
しかし気になるのは――――――
「ただいま!」
「お、シビくんおかえり。散歩?」
「うん。今日は黒猫の女の子と友達になって――」




