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異世界でレースしてみない?  作者: 猫柾
第五章 新天地にアクセルを
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107.始まりの下剋上

『じゃあ、この周で入りたい』




 無線越しに伝えられたレイの作戦。3周目でピットインなんてアンダーカットにも程がある。私は思わず聞き返してしまう。


「本気で言ってるの?」


 そんなの馬鹿げている――――――とは思わなかった。

 だって、ちょうど私も同じことを考えていたから。


『本気だ。却下するなら、それでもいいけど』


 もちろん却下なんてするわけないけど、一応チームにも確認を取っておこう。私は一旦無線を切った。


「ねえ、みんな!レイはこの周で入りたいって言ってるけど……いいよね!」


 と言いながらピットクルーの方を振り返るが、彼らは私たちの無線を聞いていたみたいで、すでにいそいそとタイヤやジャッキの用意を始めていた。


「おう!」「準備できてるぞ!」


 よし。あとはレイを待つだけ。再び無線を繋ぐ。


「……問題ないよ、レイ。入ってきて!」


『ありがとう』




 正面に見えるピットロードの入り口から、赤いフェアレディZがまっすぐ向かってくる。この周にピットインするのは私たちの他にいないから、接触の心配はない。


『おっと?スクーデリア・ヴェントのレイナーデが、ここでピットイン!トラブルのようには見えません……これは大胆な戦略だ!』


 実況によって、観客の注目までもが私たちに集まる。いつもにぎやかなクルーのみんなも、今この瞬間ばかりは口を固く閉ざしている。


 どうか、上手くいきますように。


 レイはぴったりの位置でZを停めた。それとほぼ同時に、マシンに内蔵されたエアジャッキによって車体が持ち上がる。

 タイヤのホイールナットを緩めるインパクトレンチの音――――――違う、締めた音だ。もう新しいタイヤが装着されている。

 ジャッキが降ろされ、地に着くと同時にZは肉食獣のような瞬発力でピットロードへ飛び出す。そしてコースへ合流し、そのまま駆けていった。


「はやっ……」


 私の目の前でたった今遂行された、タイヤ交換というミッション。それはクルーたちの手によって、人智を超えた速度でいとも容易く完了した。


『速いッ!さすがは名門チーム!この大舞台でも持ち前のピットストップを遺憾なく発揮してきた!』


『そうですね、やはりピットストップの安定感と速さは他チームの追随を許しません。3年前の最速記録も、いまだ破られていませんから』


 実況解説を聞いて、そういえばそんなことを誰かが言っていたと思い出す。やっぱり伝統のあるスクーデリア・ヴェント。ここ最近は成績が揮わないけど、今に復活すると誰もが思っているはず。私も、監督のヘインズさんも。そしてもちろん、チームみんなの期待を一身に背負って走っているレイも。


『セーフティーカーがこの周で抜けるようです。レイナーデが隊列の最後尾に着きました』


『さあ、再び戦いが始まる!この勝負の行方はまだ誰にも分からないぞ!今、レース再開!』


 全てのマシンが加速し、再び1コーナーでの激しい攻防。レイは――あれ?

 おかしい。さっき最後尾からスタートしたはずなのに。


 無線が聞こえた。


『今20位だよね?あれ、さっき何台抜いたっけ?』


「えっ……と、そう。20位」


『よし、この周で17位まで上がる』


 そう言って、上り坂の奥の2コーナーに飛び込んでいった。

 いくら新品(ニュー)タイヤだからって、たった1周で6台も抜くなんて――普通に考えてムチャだし、ここでタイヤを酷使してしまったら最後まで耐えられない。


「レイ、あんまり無理しないで。長期戦だからね」


『もちろん分かってるよ。タイヤ温めてるだけだから大丈夫だ』


 そのまま3コーナーへ。また1台抜いた。

 私たちから見たら限界まで攻めているようでも、レイにとっては単なるウォームアップにすぎないのか。

 無用な心配はやめて、私は私の仕事をしよう。




 5周目に入る。タイヤとブレーキの温度は共に良好。

 データ上でも特に異常は見つかっていない。かなりいいペース。


「見たところ問題なさそうだけど、感触はどう?最後まで行けそう?」


『行けるよ。良い感じにグリップしてくれてる。このまま突っ走ろう』


「うん!」




 *




 俺のやるべきことは、ただ集中して走り続けることだけだった。

 一つ一つのコーナーをミスなく着実にこなして、タイヤの消耗を最小限に抑える。ストレートでは前のマシンのスリップストリームを利用して最高速を伸ばし、ペースを落とさず周回を重ねる。

 そうしている間に他のマシンがピットに入り、俺はコース上に残ってポジションを上げることができる。


 しっかりと、フェアレディZとの会話(・・)を交わしながら、レースを終盤まで運んでいった。


『ファイナルラップ。後ろはやり合ってるから、このまま逃げ切れるよ!』


「ここまで来たんだ。慎重に行くよ」


 48周ずっと引き摺ってきたこのタイヤでは、もう前を追うことはできない。真っ向勝負するほどのグリップも残っていないし、誰かに仕掛けられたら成す術はないだろう。しかし後ろの2台が激しい争いを演じている間は、ひたすら逃げるだけで済む。順位は3位。開幕戦から表彰台に登れれば――――――




『……ちょっとまずいかも』


「何?」


『ウラクのイライザがコースオフ。メルクーレが追ってくる。どうにか逃げて!』




 嫌なニュースだった。

 ウラクがポジションを失ってしまったら、争っていたメルクーレはすぐにペースを取り戻すだろう。

 本気で攻められたら、差はすぐに埋まる。タイヤの状態を気遣いながらコース上に留まるのが精一杯なのに、更にこちらのペースを上げるのは無理な話だ。


 しかも癖や弱点まで知り尽くしているウラクの方ならともかく、相手は未知数。

 マシンはメルクーレ600T。メルクーレ・オートモーティブ社のスーパーカーで、3.8LのV8ツインターボエンジンからは純正の状態でさえ600馬力を発揮する。

 そのスペックを見ても分かる通り、かなりの脅威となり得る上、ドライバーもただ者ではないようだ。


「さっきの件で接触とかはなかったの?」


『なかったね。ペナルティーもなし』


「そうか……」


 2コーナーを抜ける。このバックストレートでスリップストリーム圏内に入られれば、次の3コーナーで刺されて終わりだ。

 しかしここを抑えることができれば、あとはインを塞ぐだけで持ちこたえられる。


 猛追するメルクーレの虚像が、バックミラーを通して睨んでいる。

 まだ大丈夫だ。距離はある。それをしっかり確認してから3コーナーに入っていく。




 大丈夫だと、思っていた。




「嘘……どうやって!?」


 しかし脱出する瞬間には、もうメルクーレが真横に並んでいた。


 ただ、インを刺されただけのこと。俺が特にブロックもしていなかった隙間を、突いただけのこと。

 たったそれだけなのに、俺には不可解な点があった。

 だがすぐに思考が糸を紡ぎ出す。


 カーボンセラミックブ(・・・・・・・・・・)レーキ(・・・)


 炭素繊維を基にした複合材を、約2000℃にも及ぶ高温の真空状態で加工して作られる、高い制動力と耐久性を併せ持つブレーキ。メルクーレをはじめとするスーパーカー達が持っているアドバンテージだ。

 あの距離から迷いなくインに突っ込み、そしてきっちり止まってコーナーを抜けていくことができた理由。


 まだだ。


 まだ抜かれていない。横並び(サイドバイサイド)のまま、低速セクションの左コーナーに2台揃って進入する。


 ここで抜かれたら、もう追いつけない。このタイヤだ。引くに引けない勝負。

 耐えられない。グリップを全く感じることができない。ダウンフォースもいまやどこに行ったのか分からない。


 アウトに流れてしまう。縁石が近付いてくる。駄目だ。


 震えて暴れるステアリングを更に左へ切る。アクセルはこれ以上開けられない。いや、踏まなければ。相手よりも前に出て、主張しなければ。

 まるで両側を壁に挟まれているみたいだ。コントロールが効かない。何をしても、アウトに流れていく。スペースを失う。まだ前に道は見えているのに。


 縁石に右のタイヤが乗る。どうにかアンダーステアを抑えながら立て直す。しかし俺に残された場所はもうない。逃げ場がない。左のタイヤが乗る――――――




 ザザザザァァァァァッ。




「……ごめん」




 ――――――コースオフ。

 こんなところでタイムロスを喰らっている場合じゃない。すぐさまコースに復帰して、後を追う。


 あと2周もあれば追いつく。行けるはずだ。タイヤを引き摺るようにしてコーナーを攻める。

 しかし、最終コーナーを回ってホームストレートを飛ばす俺を、チェッカーフラッグが迎えた。


 ファイナルラップだった。


「終わった、のか……ああ……4位だ……」


『お疲れ。……あんまりぬか喜びもよくないと思うんだけど、実はね』


 何の話だ?


『さっきのコーナーでメルクーレが外に押し出したから、5秒のタイムペナルティーが下されるみたい。つまり――』


 コース外のグラベルに出てしまったせいでタイムロスはしたが、それでもせいぜい差は3秒ぐらいだっただろう。相手に5秒のタイムペナルティー、ということは。


「じゃあ、俺たちが3位ってことか!」


『そういうこと。デビュー戦からいきなり表彰台(ポディウム)だよ!』


 ポディウムか。久々に耳にする、良い響きだ。

 もちろん有頂天になれないことは分かっている。今日のレースで見えた課題は山積みだ。

 それでも、チームとフェアレディZと一緒に走り抜いた、今この瞬間を、祝おう。




「……はは、やった。やった!ありがとう、エルマ。チームのみんなも、ありがとう。俺たちのポディウムだ!!」






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