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異世界でレースしてみない?  作者: 猫柾
第五章 新天地にアクセルを
113/140

106.シャッフルの下で

 



 *エステルリンク、決勝スタート前*




『いよいよだね、レイ。無線は聞こえる?』


「聞こえるよ。作戦は……」


 観客の熱気、ガレージの緊張感。今までとは格が違う。ティアルタ・クラス2選手権第1戦の決勝スタートまであと数分。


 幸運にも俺はリラックスして、こうしてスタートを待つことができている。というよりも実を言うと、ついさっき緊張から解放されたばかりだ。


 この開幕戦には国中の注目が集まっているらしく――この国最高峰の選手権なので当然だが――スポーツ誌の表紙の撮影だったり、特集のインタビューに出たりと、息つく間もないほど忙しい。おまけにドライバーズミーティングも慌ただしく、ウラクの姿は見えなかった。

 まあ、近況報告はコース上のバトルで代えさせてもらおう。


 さて予選の結果は5位。初めての舞台にしてはなかなか上出来なのではないか。

 とはいえニュータイヤを酷使して何周もアタックした結果なので、その分決勝にツケが回っただけなのだが。


 ピットストップの作戦を決めなければ。


「……アンダーカット狙いで行きたい」


 他車より先にピットインして、より早く得たニュータイヤのグリップでタイムを稼ぎ、他車がピットインしたらそのまま逃げ切る、アンダーカットという戦略。

 予選でかなりタイヤを使ってしまったから、これしか手はない。


『そうだね。プラクティスでロングランのシミュレーションをしたのは覚えてるよね?』


「もちろん」


 予選の前日に設けられた走行セッションがフリープラクティスだ。俺たちはそこで実際のレースを想定し多くの周回数を連続して重ね、タイヤやガソリンの消耗と全体的なペースを見て、データを取った。


『レースの状況にもよるけど、20周目までタイヤを持たせてくれればどうにかなるはずだよ』


「わかった。厳しかったらまた伝えるから、その時は頼む」


『うん。……***……』


 無線にノイズが入る。


『長いシーズンの開幕戦だ。プレッシャーや緊張はあると思うが、何より、リタイアさえしなければ大丈夫だ。落ち着いて行こう。頑張れよ、レイナーデ』


 ヘインズさんの声だ。チーム代表自らがピットで見守ってくれているのは心強い。


「ありがとうございます。……じゃ、一旦切りますね」


 エンジンスタートの合図に従って、俺はフェアレディZのエンジンに火を灯した。

 脳を支配するサウンドが一瞬で緊張も不安も全て無に帰す。右足のアクセル、左足のクラッチ、両手のステアリング――それ以外は何も考えられない。




 ティアルタ・クラス2選手権の決勝レースは、ローリングスタートで幕を開ける。


 ホームストレート上に静止した状態からシグナルの消灯でスタートする今までのスタンディングスタートとは異なり、ローリングスタートはグリッド順に二列で並んだままコースを一周して最終コーナーを抜けたら即加速。そのままレースが始まるというスタート方式だ。


 故にこの助走がその後の順位を大きく分ける。タイミングが遅れて前車との距離を詰められなければあっという間に置いて行かれるし、早すぎても追いついて減速を強いられるだけだ。もちろん相手もそれを理解した上での駆け引きになる。




 今、グリーンフラッグが振られた。


「行こうか」


 セーフティーカーが発進し、グリッド上のマシンが低い唸りを上げてバラバラに蛇行しながらゆっくりと続いていく。さながら猛獣のパレードのような、フォーメーションラップが始まった。


 ただひたすら前車との距離だけに集中しながら、タイヤを温める。

 あまり熱を入れすぎても良くないのか?タイヤはそこそこ硬めだが、適切な温度を保ちつつ感触を探っていこう。

 それにしても今回の開幕戦で供給されたタイヤがサーキットに合わせた硬めのコンパウンドなのか、あるいはボイドロープ社のタイヤがもともとそういう特性なのかはまだ読めない。まあ後々分かるだろう。


 9コーナーを過ぎて、短い直線。バラバラに蛇行していた車列は、ぴったりと二列に固まっている。奇数列の俺は最終コーナーのイン側を回って――――――加速。


 アクセルは一気に全開。フライング気味?いや、完璧だ。

 セーフティーカーは先導を外れ、ピットに入った。それを目で追っている暇はない。

 シグナルはまだ赤いが、じきに消灯する。そう見越してアクセルを踏み込む。




 ブラックアウト。




 意識から余計な思考の一切が消え、Zのエンジン音が全てを包み込んだ。


 加速のラグが宿命であるターボを積んだ周りのスーパーカーに比べて、俺はスタートで若干優位に立てる。フォーメーションラップの隊列があっという間にバラバラに崩れ、1コーナーへともつれ込む。


 インもアウトも左右から塞がれていて、やむなく中央を走るしかない。

 絶好のオーバーテイクポイントである次の2コーナーを見据え、早めに立ち上がりアクセルを再び全開に。右のサイドミラーに映るマシンは――――――


「なっ!?」


 咄嗟に右に振ったステアリングをどうにか真っ直ぐに抑え込んだ後、遅れて何が起きたのかを理解する。

 ――――――スピン寸前のイン側のマシンに巻き込まれて危うく突っ込まれるところだった。開幕戦の1コーナーでリタイアなんて考えたくもない。


 2コーナーへ続く上りストレート。前を走るのはランドヴェティルのLP81。深いオレンジのボディーはカーボンファイバー製のエアロパーツによって大地に縛り付けられている。

 さっきの回避行動のロスで少し離されたが、まだ奴の排気音が聴こえる程度の距離だ。


 長いストレートがもう終わる。さすがにここでインに飛び込むのは無茶か。

 アウトから差を詰めつつブレーキング。確実にインを通過して、再びアウトへ。


 バックストレートを挟んだ3コーナーでも攻めきれない。だが焦る必要はないだろう。レースは50周ある。毎周毎コーナーで勝負していてはもたない。


 4コーナーの縁石に乗り、そのまま直線的にフル加速を始めたその時。


「ああ、くっそ……」


 目の前のコースマーシャルに提示された黄色い(イエロー)フラッグとSCのボードを確認し、俺はアクセルを緩めざるを得なかった。今のコーナーはかなり乗れてたんだけどな。


『セーフティーカーだよ。後ろの方で3台ぐらい絡んだクラッシュ』


 エルマからの無線が聞こえた。

 俺含む先頭集団が抜けた後のコーナーでクラッシュがあったらしい。こういう場合は大抵セーフティーカーが導入される。

 つまり、マシンや散乱した破片などが撤去されて安全にレースが再開されるまで、走行中のマシンは先導するセーフティーカーに続いて徐行しなければならない。――今更説明するまでもないが。


「了解。見た感じでいいんだけど、何周ぐらい続きそう?」


『んー、長くても3周じゃないかな。デルタはOK!』


 ここで言うデルタというのは、セーフティーカー出動中の基準タイムのことだ。前のマシンに続いているからといって全開でぶっ飛ばしていい訳もなく、ドライバーは決められたタイムをプラスに保たなければいけない。

 こういう時のためにフェアレディZに新たに搭載しておいたスピードリミッターが上手く作動してくれたおかげで、俺はスイッチを入れるだけで特に難しいことは考えなくて済む。


 にしても、長くて3周か。エステル・リンクはコースマーシャルの作業が迅速なことでも有名だから、すぐに撤去は終わるだろう。

 現在レースは――今コントロールラインを越えて2周目。残り48周。

 今回俺たちが予定している作戦は、他車より早くタイヤ交換してタイムを稼ぐアンダーカット。


 賭けに出るべきだろうか?


「……エルマ」


『何?』


「ピットレーンって開いてるよな?」


 ホームストレート周辺でクラッシュが起きた場合は、ピットレーンが閉じられるケースもある。

 今回は大丈夫だと思うが、念のため確認。


『うん。さすがにこの周で入るマシンはいないっぽいけどね』


「よし。じゃあ、この周で入りたい(・・・・・・・・)


 そう、あえて。

 普通に考えたらまともな戦略とは言えないだろう。50周あるレースのうち、48周を1セットのタイヤで走りきる。実質的には昔流行ったタイヤ無交換作戦と何ら変わらない(今はルール上禁止されている)。

 しかしセーフティーカーにより全マシンが徐行している今の状態でピットインすれば、タイムロスが大幅に浮くことは周知の事実。


『本気で言ってるの?』


「本気だ。却下するなら、それでもいいけど」


 その覚悟はしている。今までとは違って、スクーデリア・ヴェントというチームの看板を背負って走るのだから。

 だが長い沈黙を挟んだ返事は、俺の予想と違った。


『……問題ないよ、レイ。入ってきて!』




「ありがとう」




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