105.役者は揃う
*ティアルタ*
アクセルを全開まで一気に踏む。これほどのパワーを一気に受けてもなお、リアは暴れずにロケットのような直進性で加速していく。
自分の体に掛かるGが気持ち良い。
『――どう?タイヤ、暖まってきた?』
無線越しのエルマの声がエンジン音を押しのけて俺に問いかけた。
「これ以上ないほどグリップしてる。最高だ」
このスリックタイヤは、はっきり言って俺が想像していた性能を遥かに上回る。
どれだけパワーを与えても全身で受け止めてくれる安心感。ボイドロープ社のタイヤが他と比べてどうこう言う以前に、レベルの違いに驚かされた。
『なかなか良いラインだね。だが、まだ攻められるだろう?』
と、ヘインズさんが暗にペースアップを促す。
もちろん分かっている。破綻する限界ギリギリ――コントロールを失う寸前までグリップを使い切ってこそ、タイヤは真価を発揮するということ。
甘えてはいられない。
ここはエステル・リンク。
標高700mに位置するこのサーキットが、ティアルタ・クラス2選手権第1戦の舞台となる。しかし、まだレースウィークではない。
今日は春の初めに行われる公式テストの日だ。
シーズンが開幕する二週間ほど前に、第1戦のサーキットを使って全台が参加する走行セッションが設けられる。
それがこの公式テスト。ルーキーはマシンに慣れ、チームは新車や新パーツのデータを取り、ファンは今年のドライバーやマシンに熱狂する。カレンダー上に欠かせない大事なイベントである。
俺はただひたすら周回を重ねていた。タイヤの特性を理解することは、戦略を立てる上でかなり重要になるから、感覚を掴んでおきたい。
Zの調子は良い感じだ。しかし俺のほうはまだ新しいコックピットに慣れていない。新しいといってもまるっきり作り替えた訳ではないのだが、不要なカーナビやオーディオ類は取り外して、いくつかのスイッチを装備した。今のところ特に不具合は起きていない。そのままレースで作動してくれることを祈ろう。
「出たな……」
俺がホームストレートに差し掛かったのとほぼ同時に、1コーナー先のピットレーン出口から見慣れたマシンがコースに合流するのが見えた。
ブラックの塗装に金のストライプと、それを彩る多数のスポンサーロゴ。
そして今までとは明らかに違う刺々しいエアロパーツ。
その車に俺の闘争心が炙られる。
とはいえ、今日はあくまでテスト。コース上のマシンと手当たり次第バトルをするためのセッションではない。
もしここでマシンを壊したりなどしたら、それこそ本末転倒だ。
でもせっかくだし――――――
「……ヘインズさん」
『どうした?』
「あいつと、戦ってみてもいいですか」
『構わないよ。ただし、やるからには本気でね』
「了解です」
とりあえず許可は出た。じゃあ早速、この前の鬱憤を晴らさせてもらおう。
覚悟しろよ、ウラク。
右にほぼ直角の1コーナーに差し掛かる。フルブレーキング。
コーナーはまだ見えてこない。
ここのメインストレートは上り坂だから、坂の頂点に向かってアプローチする1コーナーはステアリングを切り始める手がかりが何も存在しない。
自分の感覚に全てを委ねて進入し、やっと見えた次のストレートへと立ち上がっていく。
まるで龍が羽ばたくように、アウト側の縁石の上で暴れているイライザ350が見えた。ピットアウトしたばかりで距離はそう遠くない。
しかしスリップストリームで様子を伺おうとしても、差が縮まらなかった。
聴き慣れたZのエンジン音を一度シャットアウトして耳を澄ますと、イライザから今までとはかすかに違う音がすることに気付いた。
「ウラク、しっかりエンジンにも手を入れてきたのか」
自信と慢心は違う。あれほどのドライビングテクニックがあってなお、車のチューンも怠らない。
まあ、あいつらしいと言えばあいつらしい。
そういえば――俺がティアルタに来ると決まったのは、ウラクがジルペインを発ってからだ。ということは俺がここにいること自体、ちょっとしたサプライズにもなるのか。
腐れ縁というのも悪くない。
『後ろ、気を付けて。速いのが来てる』
エルマの無線でバックミラーに目をやると、いつの間にか俺のスリップストリームに入っているマシンがいた。
深いオレンジ。メーカーはランドヴェティル。
ランドヴェティルとは、このティアルタ共和国の高級スーパーカーブランドのひとつ。
そしてメーカーを代表するフラグシップモデルがLP81と呼ばれる車種だ。
そのランドヴェティルLP81が今、フェアレディZの後ろから闘牛のような咆哮とともにストレートを駆け上がってくる。
空力を考慮して装備された無機質なエアロパーツは、まるで風洞実験からそのまま飛び出してきた戦闘機だ。
「アタック中っぽいし、譲ろう」
どうやら向こうは本気でタイムを出そうと狙っているらしい。予選のシミュレーションだろうか。
全開走行している車がいれば進路を譲るのがサーキットのマナーだ。俺は2コーナーのインを明け渡し、アウトに寄ってパスさせた。
「ウラクとの勝負は本戦まで持ち越しだな。まあ、一年間あるから急がなくてもいいか」
俺を抜き去ったLP81は、次の獲物としてウラクのイライザを見定めているように見えた。
いずれあの車とも戦うことになるのだろう。
そういえばだいぶ派手になったウラクのマシンを見て思い出したのが、スポンサーの存在だ。クラス2のようなレベルの高いレースに出場するには必要不可欠だが――俺のフェアレディZはというと、ステッカーの数が極端に少ない気がする。
スクーデリア・ヴェントからレースに出るということで、てっきりZは派手なペイントとスポンサーロゴのラッピングに身を包まれるものだと思っていた。
しかし実際には塗装はジルペイン国から輸入してきたバイブラントレッドのままだし(この前塗り直しはしたが)、ステッカーに至ってはチームのロゴとその他いくつかのパーツメーカーのロゴが、フロントフェンダーの後ろ側に縦並びしているだけ。
まるでレーシングカーではなくチューニングカーだ。まあ、そうといえばそうなのだが。
これからの活躍次第で新たにスポンサーを獲得できたりはするのだろうか?




