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異世界でレースしてみない?  作者: 猫柾
第五章 新天地にアクセルを
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104.あの二人の枕話

 



 *ジルペイン国*




 数多くのビルやネオンが立ち並び、周りは首都高架道路に囲まれたオフィス街。

 まだ薄暗い空に吹く風を受け、シンボルタワーが寒そうに人々を見下ろしている。


 そんな都心に建つホテルの一室で、朝を迎えた二人がいた。


「……起きたかァ?」


 黒髪の男が優しく訊くが、返事は返ってこない。


「昨日はオレが悪かったよ。ごめんな」


「……それは、別にいいんだけど」


 ベッドから聞こえたのは、囁くような細い声だった。

 女は寝癖が付いた青いショートヘアを整え、軽い朝食を手早く済ませると、新聞を読み始めた。


「最近、アレ(・・)の売れ行きが良いとは聞くがァ……実際どうなんだろうねェ」


 男の硬い表情とは裏腹に、女は心底興味が無さそうに答える。


「そんなに変わらない。最近は警察も厳しいし。そっちは?」


 話題を逸らすように女が話を振る。

 彼はよくぞ訊いてくれた、といった調子で語り始めた。


「実はつい昨日、ティアルタの客からターボの注文が入ったんだ。しかも、普通じゃ考えられねぇ個数でさァ」


「へえ。どっかのチューナーから?」


「いやァ、あんまり聞かない名前の企業だったよォ」


「ふーん……ガズル、これ見て」


 ファインが手招きして新聞を開く。

 ガズルは身を乗り出して、上から見出しを目で追っていった。


「ゲメント峠中腹で身元不明の男性遺体発見……?」


「違う。その下」


「どれェ……ティアルタのエントリーリストが出たのか!にしてもアンタ、クラス2まで観てるとは意外だなァ」


「正直、今のグランプリ・ワンはマシンの開発力勝負。ドライバーは怪物をどうにかして手なずけるだけで、テクニックの争いは過去の産物と化しつつある」


 ため息交じりに嘆きながら、ファインは話を続けた。


「でもクラス2なら、将来有望なドライバーたちが限界まで競い合ってるのを見ることができる。その中の何人かがグランプリ・ワンに上がって、昔みたいに伝説を作ってくれればいいな……って」


 と言って微笑み、つい喋りすぎてしまったとでも言うようにベッドに寝転がる。

 ガズルはファインから新聞を受け取り、エントリーシートを一瞥した。


「コーリンからルーキーが参戦するのか。ウラク・ダラーレ。アンタも知ってるよな?」


「一応。タイヤの使い方は雑だけど、センスは悪くない」


 それを聞いて感心するように頷き、更に下の方を読む。

 他は特に面白味がないと見切りを付けて新聞を閉じようとした寸前、ガズルの視界にとある名前が入った。


「……レイナーデ・ウィロー!あのヴェントから出るのかァ!」


「え……!?」


 ファインも驚いて目を丸くする。瞳に映ったのは『レイナーデ、スクーデリア・ヴェントから参戦』の小見出し。小さな写真も添えてあった。


「これは面白くなるぞォ……チームがレイの足を引っ張らなければの話になるが」


 ガズルの思わぬ発言に、ファインは首を傾げた。


「足を引っ張る……って?」


「アンタ、知らないのか。スクーデリア・ヴェントはかつての威光を失い、今じゃ寂しそうに最下位争いなんて光景もよく見るようになった」


 そう呟くように言うガズルの目には、微かに失望の色が宿っていた。

 無理もない話だ。スクーデリア・ヴェント誕生直後からの古参ファンならば誰もが同じ感情を抱いているはずである。


 ティアルタのレース界に突如現れた新興チーム。プライベーターにありがちな資金不足には常に悩まされてきたものの、それでも理知的な戦略と才能溢れるドライバーによって瞬く間に地方のレースを制圧していった。


 しかし大舞台に出ると、勢いは次第に失われていった。

 井の中の蛙はやはり大海を知らなかったのか、あるいは知っていたとしても荒波には到底太刀打ちできなかったのか。サーキットで恥を晒す度にスポンサーとファンが離れ、今のチームが持っているのはもはや過去の栄光だけにすぎない。


「……レイなら大丈夫。本気になれば、誰よりも速いはず」


 確信に満ちた表情で語るファイン。信頼とはまた少し違う――当てはめるべき最もふさわしい言葉は『願望』だろう。


「でも結局、あいつと走ったことは一回もないんだろォ?」


 ガズルが怪訝そうに訊くが、気にも留めず涼しげに返した。


「ないよ。でも分かる。走りから伝わってくる」


 事実、ファインはレイに対して特別な感情を抱いている。それが単純な速さとドライビングテクニックだけに起因するものではないことは言うまでもない。今まで出会ったどのレーサーとも異なる、執念とも言えるほどの情熱がレースに向かっているのだ。


「確かに、普通じゃない走りだよなァ」


「そう。上手く言い表せないけど……ありえないぐらい人間的に運転している」


 自分に言い聞かせるようにして、考えを巡らせる。

 あの燃えるような攻め方は一体何で出来ているのか。


 普通、ある程度上達したレーサーは熟練を重ねるごとに、機械のように精密なドライビングを遂行するはずだ。正確で無駄がない、たった一つの最適解。

 でもレイは?まるで意味が違う。一人だけサーキットを自分の足で(・・・・・)走っている。




「あの子のレースは、生きている」






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