102.赤く温まる心
「ただいま……」
走ったせいで乱れる呼吸をどうにか押し殺し、そっと部屋のドアを開ける。
さっき確認したが、幸いなことに共有のキッチンは今空いているようだ。助かった。
「あれ、エルマは?」
「まだかえってきてないよ。今のうち!」
シビくんから嬉しい知らせを聞いて、俺は早速夕食の支度に取り掛かる。
荷物を降ろして手を洗い、冷蔵庫からありったけの新鮮な食材を抱えてキッチンに飛び込んだ。
「それで、こんだてはどうするの?」
「簡単だ。全部煮込んでスープにする。スープというよりは、鍋だな」
「いいね! まだまださむいからね……」
まな板と目に付いた大きな鍋を適当に掴んで、調理を始める。
まず水煮トマトの缶詰を開けて、ざく切りにする。今回の鍋はトマトを下地としたスープがモノコックになる予定だ。
玉ねぎもついでに切っておく。
「シビくん、ブロッコリーを食べやすい大きさに分けといてくれない?」
「まかせといて!」
そろそろ鍋を火にかけて、オリーブオイルを温めよう。
その間ににんにくをみじん切りにして、良い頃合いで鍋に投入。玉ねぎも入れる。
どのくらい炒めるかがポイントだ。もちろん硬すぎては駄目だが、新鮮な玉ねぎのシャキシャキとした食感を残しておきたい。
スープは具の剛性がコーナリングに直結する。
あえての強火でさっと炒めるべきか。高回転で一気に吹かしてしまおう。
ふと、俺はあることに気付く。
「あのさ……すごく今更な話だけど」
「なに?」
「玉ねぎとか食べていいの?」
おそるおそる訊くと、シビくんはつまみ食いしながら答えた。
「ん、だいじょうぶだよ。獣人だし」
「ならよかった。もう玉ねぎ炒めてるんだけどね」
「たべちゃダメだったらどうするつもりだったの……」
良い飴色になってきた。
「まあ、こんなもんかな」
タイミングを見計らい、水とトマトを投入。あとコンソメも。
火加減を調整して、煮立つまではクルージングだ。
「ブロッコリーできたよ!」
「ありがとう。他に食材何があったっけ?」
「けさ買ったカーヴォロとソーセージ、それからホタテもつかえそうだね」
「おお、結構揃ってるな……」
キャベツのような分厚い葉のカーヴォロも、程よい大きさに切って鍋に入れる。
特徴的な歯ごたえがスープにおける縁石となってくれるはずだ。
ブロッコリーも入れよう。
ソーセージは斜めに切る。ホタテはそのまま投入。
煮立ったので、スロットルを弱めてスープの味付けだ。
「ワイン……はさすがにないか」
「ないよ。ボクたちだれも買えないし」
とりあえず塩と少しの砂糖でトルクを太くする。ブラックペッパーを挽いて馬力を出し、レッドゾーンにレモン汁とチリペッパーソースを少々。
野菜の旨味とうまく調和できるチューンを目指す。
「あ、いたいた!」
――――――心臓が止まるかと思った。
暖かそうなコートを着ているエルマは、ついさっき帰ってきたばかりなのだろう。
部屋に俺たちがいなかったからキッチンの様子を見に来たのか。
「おかえり。今夜は俺とシビくんがつくりっ……作るから、ゆっくりしてていいよ」
噛んだ。動揺を隠せていないのが自分でも分かる。
今はまだ何とも思っていなさそうだが、これ以上キッチンに近づかれれば命が危ない。
「ありがとう。テーブルセットしとくね」
「お、助かる」
エルマが部屋に入っていくのを確認して、安堵のため息をついた。
料理が全て完成し、席についていただきますを言うその時まで、気は抜けない。
「……美味い。シビくんも味見する?」
「うん――あっつ!! ……おいしい!」
「よし。じゃあ、完成!」
ということで、トマト鍋(仮称)の出来上がり。
ソーセージとホタテをメインに、そのほか色とりどりの野菜が具沢山。
身体のエンジンブロックまで温まるスープになったはずだ。
「こっちもできたよ。もっていこう!」
「え? 何作って……おお!?」
暇そうにしていたシビくんがさっきから何かしていたのは知っていたが、まさかもう一品作っていてくれたとは。
「すいぎゅうのチーズとトマトのサラダ、バジルぞえ。あじつけは黒こしょうとオリーブオイル」
「やるじゃん。ありがとう」
ひとまず無事に料理が完成してよかった。
俺とシビくんは共有キッチンの調理器具を雑に片付け、鍋やらサラダボウルやらを抱えて部屋に戻った。
ドアを開けると、エルマがすぐさま出迎えてくれた。
よほど空腹なのか、料理を見て嬉しそうに目を輝かせている。
「美味しそう……! ありがとね、レイ」
「いいって。そのサラダはシビくんが作ってくれたんだよ」
「そうなんだ! シビくんも、ありがと」
「えへへ」
そんなことを話しつつ、器に盛りつけた。
案外――いや当然と言うべきか、かなりの量があるので今夜だけでは食べきれなさそうだ。
たしか冷蔵庫にフェデリーニという細い麺があったはずだから、明日にでもスープに入れてみよう。
「にしても、こんないっぱい……よく野菜とか足りたね。二人で買い物でも行った?」
飲み物を注ぎながら、エルマが笑顔で問いかけた。
俺は窮地に陥る。ここまで来て、この食材消費証拠隠滅スープの真意を悟られては意味がない。
何か咄嗟に言わなければ。
「ああ……まあね。たまにはこういうのもいいかなって」
と適当に濁すが。
「あ、わかった!」
勘付いたか――――――?
「フェアレディZのおかえり記念か!」
「…………えっ?」
「この真っ赤なトマトスープ、Zをイメージしたんでしょ?」
「いや……うん。そうだよ」
「やっぱり! そういうところ、レイらしいな」
なんとか危機を逃れ、俺は胸をなでおろした。
Zと同じ赤色のスープ――そういう解釈も全然ありだろう。というか、せっかくなので正式採用。
「それじゃあ、冷めないうちに食べようか」
「うん!」「わーい!」
俺たちはZ鍋を中心にテーブルを囲み、グラスを掲げた。
エルマがニコッと口を開く。
「私たちのフェアレディZに、乾杯!」




