98.ここは最高の馬小屋
トレーラーやコンテナが立ち並ぶ敷地内を歩く。
絶えず作業音が聞こえてくる倉庫のような建物の前に立ち、もう一度深呼吸。
ノックする。
しばらくして自動ドアが左右に開き、俺はガレージの中を見て思わず気持ちが高ぶった。
工具やタイヤ、そしてパーツが至る所にある。それでいて汚れひとつない清潔感のある真っ白の壁と床。用意されている6台のリフトのうち、4台の上にはそれぞれ車が乗っていた。
その中でも俺は赤いフェンリルのF-398に魅かれたが、他の3台も負けることのない美しさを放っていた。
「ようこそ、“スクーデリア・ヴェント”へ。待ってたよ」
俺がガレージを眺めて唖然としていると、歓迎の言葉が聞こえた。
穏やかな声の主は、グレーの立派なロングコートに身を包んだ長身の男性だ。
「ジョンと話は済んでいるが……改めて、契約について確認するとしようか。さあ、どうぞこちらに」
紳士的な応対で彼に案内された先は、執務室のような場所だった。
ガラスのケースに飾られている様々なコレクションが部屋を彩っている。
曲線が多用された木製のテーブルを挟んで用意された椅子に、深く腰を下ろす。
「自己紹介がまだだったね。私はチーム代表のゼカリア・ヘインズだ。よろしく」
「よろしくお願いします」
「そんなに緊張しなくてもいいさ。スクーデリアってのは、家族みたいなもんだ」
スクーデリア――――――古代ティアルタの方言で、馬小屋を表す言葉だ。
そこから転じてティアルタのレーシングチームがそう呼ばれることも多い。
「家族……ですか」
「ああ。アットホームとでも言うのかな。まあそのおかげで、このチームには代表の威厳なんてありはしないんだけど」
なるほど。そういう意味では、ここもおっちゃんの店も同じようなものなのかもしれない。
「ってことで、本題だ。まずはドライバーのレイナーデ・ウィロー」
「はい」
「ジルペイン出身、16才、デビューイヤーでクラス3全国選手権を制覇……と。いやぁ、すごいね。はっきり言って、こっちはかなり期待させてもらってるよ」
「それは嬉しい限りです」
やはり具体的な数字と経歴に勝る判断材料はない。俺にとって期待に応えなければいけないということはプレッシャーにはならないし、むしろ好都合だ。
「マシンはフェアレディZ……って“朱雀”の!?」
「あ……ご存知ですか?」
さすがはレーシングチームの代表。海を越えた国のイベントもチェックしているらしい。
「今年は忙しくて、フェスティバルに行けなかったんだよ……まさか、あの“朱雀”がウチの看板背負って走るなんてさ。楽しみだ」
「こちらこそ、スクーデリア・ヴェントのドライバーとしてレースに出れるなんて光栄です」
「ありがとう。フェアレディZは今、外に停めてある?」
「まだ船で輸送中です。もう何日かで着くかと」
俺としては到着が早いに越したことはないが、実際のところまだ年は明けていないし、整備や調整のことを考えてもだいぶ時間には余裕があるはずだ。
「オッケー。じゃあ、頑張ってくれよ」
ということで俺は契約書にサインし、ヘインズさんと固い握手を交わした。
これでめでたくチーム入りだ。
「んで次は、と……メカニックのエルマ・クライス」
「はい!」
さすがエルマ、良い返事。
「――――――だ。改めて、これからよろしく」
「よろしく!」
そういえば今更だが、エルマも一緒にスクーデリア・ヴェントでメカニックとして働くのか。
俺の専属メカニック(自称)として、そばにいてくれれば頼もしい。
「そして、そこの男の子が獣人のシビくん……だね?」
「うん!」
いやちょっと待て。
いくら何でもシビくんは働かないのでは?
「ここはペットOKだ。犬の姿でも人の姿でも、自由に過ごしてくれて構わない。たまには作業を手伝ってもらうかもしれないけど」
「ありがと! 犬の手が借りたくなったら、いつでもいいよ」
「助かるよ」
――――――そもそもシビくんは何の立場でここにいるのか分からないが、まあいいか。
「さて、お互い挨拶も済んだことだし、じっくり案内といこうか」
そして再びさっきのガレージに帰ってきた。
来たときは車や設備に見惚れて気付かなかったが、そこではメカニックの人たちがそれぞれ様々な作業を絶え間なく行っていた。
「いつも使ってるガレージだ。たいていはここで車をチューニングしたり、セッティングしたりする。6台のリフトのうち4台は使用済みだから、君のフェアレディZはナンバー5のリフトで寝起きすることになるね」
と言ってヘインズさんは空きのリフトを指差す。
「えっ……ナンバー5はずっと俺が使ってていいんですか!?」
「もちろん。それぐらいは当然の投資さ」
そうか――――――ここは本当に、レースをするためだけの設備が揃っているんだ。
おっちゃんの店のリフトを借りていた今までとは違って、スクーデリアはレースに携わる俺たちみんなが主役。こんな恵まれた環境はそうそうない。
「ちなみにリフトはシャーシダイナモにもなるから、いつでも好きな時に馬力を計っていいよ。ああ、いつでもって言っても夜9時から朝6時までは禁止。近所迷惑だから、そこはご勘弁……」
最高だ。そんな機材が使えるなら時間帯なんて全く気にならない。
「……詳しいことは、フェアレディZが到着した時にでもまた話すから。長くなっても飽きるだろうし、最後にチームの体制だけ話そう」
そう言うと、手を叩いた。
「おーいみんな、ちょっと集合! ドライバーはこっち、メカニックはそっちの方で」
集まった20人以上のメカニックを背に、堂々たる風格で立つヘインズさんが口を開く。
「この人たちが、スクーデリア・ヴェントに勤めるメカニック。何人か今日来てない人もいるけど、まあひとまずよろしくってことで」
「来シーズンからここで走る、ドライバーのレイナーデ・ウィローです。お世話になります」「レイの専属メカニック、エルマ・クライスです。よろしく!」
「「よろしくー」」「「よろしくっす」」
やはり、さすがプロ。そこらの整備士とは迫力が違う。
彼らになら安心してマシンを任せられそうだ。
「で、ここの四人がドライバー」
ドライバーとして紹介された四人の中には俺より年下の子もいれば、ヘインズさんと同い年ぐらいに見える人もいる。
「こいつらは……基本的には地方のクラス3に参戦してる感じかな。機会があったら、仲良くしてやってよ」
「よろしくお願いします」「よろしく!」
俺たちのたどたどしい会釈を、ヘインズさんが優しく遮る。
「ということで、来年からこの二人もスクーデリアの一員として戦うことになる。新しい仲間に拍手!」
その瞬間、サーキットのグランドスタンドにも負けないぐらいの歓声と拍手が沸いた。
「いよっ!」「頑張れよ!」「期待してるぜ!」
一人一人が暖かい言葉を俺たちに送り、そして作業に戻った。
ヘインズさんの言っていた『アットホームな雰囲気』とはこういうことだろう。なんて良いチームなのか。
「……それじゃあ、ひとまず解散ってことで。何か分からないことがあったら、いつでも訊いてくれて構わない」
「ありがとうございます」
「来シーズンまでまだ時間はたっぷりあるからね。リラックスしていこう」
かくして俺たちはレーシングチーム“スクーデリア・ヴェント”の一員となった。
精一杯の力で走ろう。
俺のために。エルマとシビくんのために。そしてここにいる、みんなのために。




