95.君と初めての旅
「ご案内いたします。マルケーゼ航空AZ0787便メディオラ行きは、まもなく搭乗手続きを締め切らさせて頂きます。まだ手続きをお済ませでないお客様は、カウンターまで――――――」
コンテナに積まれて一足早く発ったフェアレディZは、今頃海の上で船酔いでもしているだろうか。
俺たちの乗る便のアナウンスが空港に響く。
「エルマ、出国審査は終えたよね?」
「うん!」
搭乗ゲートは確認したので、少しばかり買い物をした後ソファーでくつろいだ。
犬のシビくんも専用の手続きを終え、ケージの中でうとうとしている。
「そろそろか」
この異世界で飛んでいる飛行機は、元の世界のものと比べて明らかに進歩している。前世では日本から出たことがなかった俺にも、それがはっきりと分かった。
ジルペインからティアルタまで行くのだから、普通に考えて半日はかかると思っていたのだが。
*数時間後*
「着いたー!」
「え、嘘!?」
まだ冬だというのに、滑走路の向こうに見える空はオレンジと紺が混ざり合っている。
日没してからそう時間は経っていないだろう。
あっけにとられている間に飛行機はスムーズな動作で着陸した。
空港の広い窓から見える綺麗な空を横目に入国審査へ。
ティアルタの有名化粧品ブランドの広告が眩しい。
審査を担当してくれた空港職員の男性はティアルタ人のイメージ通り、明るくフレンドリーな人だった。
「ティアルタへようこそ。パスポートとカードを見せて」
パスポートを手渡すと、まっさらページに入国スタンプがポンと押された。
「レイナーデ・ウィロー、目的は……仕事ね。オッケー、問題ないよ。楽しんで!」
難なくゲートを進み、荷物を受け取りに行く。
特にトラブルもなく自分のを探すことができた。
「ちょっとレイ、置いてかないでよ!」
俺の後ろで入国審査を受けていたエルマとシビくんも合流。
「ねえ、ボクもうケージから出てよくない? いいよね?」
いつの間にか目を覚ましていたシビくんが言う。一応手続きは全て終えたし――
「いいよ。ほい」
ケージを開けると勢いをつけて飛び上がり、そのまま人間の姿に戻った。
「ありがと!」
「それじゃあ、まずは何しようか?」
エルマが広い空港のロビーを見渡して首を傾げる。
正直に言って、俺もどうしたらいいのか分からない。俺もエルマも、もちろんシビくんも海外に来るのは初めてなのだ。
「とりあえずレンタカーの受付カウンターがあるから、そこに行こうか」
俺の提案で、ひとまず到着したターミナルの案内に従ってカウンターへ向かった。
レンタカーはあらかじめ予約しておいたので、書類の確認だけで借りることができた。
「いらっしゃい。どれどれ……」
船で輸送されているフェアレディZが到着するまでの相棒だ。せっかくの機会を楽しもう。
「車種はタッフィの555で間違いないね? 安全運転で、よい旅を!」
キーを受け取ると、後ろからエルマとシビくんが覗き込んできた。
「おっ! 555か、いいね!」
「なにそれ? どんな車なの?」
用意されている駐車場に向かって歩きながら説明するとしよう。
まずタッフィとはティアルタの自動車メーカーにして、大規模な自動車グループであるタッフィグループ・オートモビルズの親会社でもある。事業分野は自動車関連業のみならず鉄道車両や船舶、航空機の製造など多岐に渡る。
そして555はタッフィの看板車種。60年前に大ヒットした丸っこくて可愛いデザインの小型車をそのまま現代に蘇らせた、3ドアのハッチバックだ。FFのコンパクトカーだからと言って侮るなかれ、5速MTのギアに繋がる1.4L直列4気筒ターボエンジンは160馬力を発揮する。
優雅な街並みにも似合う洒落た車だが、中身はまるでスポーツカーの末っ子。それこそがタッフィ555という車である。
「ん、あった」
広い駐車場の中で白い555のつぶらな瞳が俺を見つめた。
短い間だけど、よろしく。
「先に荷物積もうか。エルマとシビくんは乗ってていいよ」
「ありがとう! よいしょっと……あれ? あ、左ハンドルだからこっちか」
小柄な外見とは裏腹に、室内は案外広々としていて快適そうだ。
三人分の荷物を積み込んでもまだ余裕のトランクを閉め、ドアを開けて運転席に座る。
「ん……なかなかスポーティーじゃん」
しっかりした質感のステアリングを握ると、慣れない高揚感が全身を満たした。
助手席にはエルマ、後席にはシビくんが座っている。
「シートベルト締めた?」
「締めたよ!」「ボクも!」
準備万端。
キーを挿し、回してエンジンを始動すると、ボディーの小ささに見合わない重厚なエンジン音が響いた。
スタートスイッチが主流になった今では珍しい感覚だ。
「じゃ、出発!」「おー!」
「お、おー……」
半ばエルマに急かされるようにして、ギアを繋ぎアクセルをゆっくりと踏み込む。
タイヤに優しくパワーが伝わり、やや硬めのサスペンションが駐車場の路面を捉えた。
視界の中央に鎮座している大きな丸型の液晶モニターは、視認性に優れる一体型のメーターを表示している。
「エルマ、おっちゃんから地図渡されなかったっけ?」
「シビくんが持ってるよ。まあ、しばらくはひたすら南東に走るのみって感じだけど」
「了解。ありがとう」
何の気なしに応えた返事だったが、なぜかエルマはクスクス笑った。
「え、何か変なこと言った?」
「……レース中の返事と全く同じだったから、なんか面白くて。やっぱり、レイはいつもレイなんだ。なんか……安心する」
「よく分からないけど、安心したならよかった」
日没後の街並みを眺めながら、のんびりと車を走らせる。
そろそろ道の確認をしようと思った頃には、エルマは助手席で深い眠りについていた。




