第十二話 資正と氏康/漁民対策企画会議in韮山
先年(天文十六年/一五四七)十月、岩付城の太田全鑑が死去した。
全鑑は小田原北条家方だったが、元をただせば旧扇谷上杉家の重臣であった。旧主を裏切り、結果として死に追いやったことは、かれの病状をあつくし、ついに没したのだった。
全鑑の弟は太田資正。かれは難波田善銀(旧扇谷上杉家の家宰/重臣筆頭)の娘婿。
そりの合わない兄君の治める岩付太田家より、かえって義父の取りしきる旧扇谷上杉家のほうが居心地がよく――ひいては義父と、おのれの愛する主家をうち滅ぼした小田原北条家を憎むこと、はなはだしかった。
山内上杉家の後援をもって武蔵松山城を奪い、虎視眈々と旧扇谷上杉領の回復を志向する太田資正にとって、実家・岩付太田家の断絶/家督空位は勢力拡大の好機であった。
かれにはそれをする理由(恩讐)と武器(才覚)があった。かれは正しくそれを実行に移した。
太田資正の岩付城への進軍と攻略は、一見すると小田原北条家にとって危機である。しかし、危機にひんしたはずの第三代当主・北条氏康は、かえって頭を働かせた。
(これは敵方の戦力の分散、および、兵站負担の増大ではないか?)
ひいては、物資の取り分の不均等化は避けられまい、という意味のことをだ。
氏康はさっそく調略をしかけた。この策略は当たった。
資正の同僚の上田朝直(資正後任の武蔵松山城主)が、武蔵松山城とともに、小田原北条家方に寝返ったのだ。
上田朝直の寝返り/武蔵松山城の失陥(小田原北条家から見れば奪還)は、北条氏康・太田資正の双方にとって、重大な意味を持った。
あえて地図上の関係を記すが、次の通りである。
山内上杉領国⇔武蔵松山城⇔岩付城。
つまり、武蔵松山城こそは、山内上杉領国と太田資正勢力を結ぶ、主要な連絡線であった。
より正確にいえば、山内上杉領国~太田資正勢力圏を結ぶ、複数の連絡線のうち、もっとも利用頻度の高いところが、一昼夜にして分断されたのだから、上杉~太田間の混乱は必至である。
小田原北条家としては、敵方が意思疎通を欠き、各個に撃破が可能な機会に乗じ、ほかの連絡線を封鎖するかたちで岩付城の包囲をしてしまえば、遠からず、同城を攻略できるだろう。
要するに、反撃の好機であった――。
◇
(ウフフ。要は今生の父さんと小田原衆(中央軍/主力)は、太田資正へ引導をわたすために北方戦線に行って不在でぇ~。
相対的手薄の東部戦線(江戸~葛西地域+下総千葉家領国)で安房里見家の軍勢が暴れ、海側では里見水軍が乱暴狼藉を働き、こっちの戦争努力にダメージをあたえてるんだな。
わあ、すごい。これはすごいぞ~。現代視点で見ても、海軍戦略にかなってる~。安房里見義堯ってば名君~。
今生ただいまの敵でさえなきゃ、もっともっともっと、ほめたたえてたぁ~。今生の立場視点だと、えげつな~い……。義堯ってばマジ海賊大名・関東版~。
結果、相模湾で魚群を追えない――元々、漁労は豊作と不作の移り変わりが激しいバクチだから、戦争で漁労は中断だね、なんて言われても、漁村視点だと激怒する案件だろうから――いいも~ん、駿河湾のほうに魚群を追うも~ん、ってなったんだろうな。
つまり、それぞれの機会と引き換えにオレが死にそう……)
と、半ば意識をトばしている、松千代の顔には、あきらかな死相があった。
韮山城の館。つまり、伊豆国政庁における、臨時の評定(幹部会議)の場である。
駿河今川家と小田原北条家の提起し、松千代に対応することを迫られた、
『伊豆半島の東岸~南岸の漁民の駿河湾での違法操業にどう対応するか(意訳)』
の対策協議に関し、韮山城代・北条松千代丸の署名と印判のもと、事前に文書として韮山領(伊豆管区)内に公布し、重臣~幕僚に意見の提出を要請していた。
要するに、対策企画の立案を求めたのである。
しかし、韮山領の軍事・行政の過半・外交の一部・司法(地方裁判所)をあずかる、南北の郡代・笠原綱信と清水綱吉の持ってきた対策企画案は、当然のように割れていた。
(ハイ! 分かります。オレは前世で会社づとめとかしたことないけど、これだけは分かります。オレの家老格といえる、ジイさまふたりは、お互いの職掌の違いから対立してるんですねっ!)
正解であった。松千代は『ハイ(High)』になってるぶん、明晰であった。
北伊豆の軍事・政治・外交・司法を職掌とする笠原綱信は駿河今川家への配慮を優先し、漁民の取り締まりを求める企画を提出していた。
一方、南伊豆の軍事・政治・外交・司法+水軍の旗頭、つまり、伊豆鎮守府海軍司令を兼ねる、清水綱吉は、漁民の供出する物資によって、水軍の管理運営に多大な影響を受けている。
したがって、清水家としては笠原家の案に『原則反対』。漁民の保護を優先し、駿河今川家には賠償金を提示し、あくまで外交の範囲でケリをつけるべきだ、と主張していた。
「そんな銭がどこにあるッ!」
「漁民を罰するほうがおかしかろうがいッ!!」
と、双方ゆずらない。
これはお互い、らちがあかない、と思ったのか、
「それなら、韮山殿(松千代)の案をお聴きし、そのうえで、よりよいと思われる案を採決しようではないか」
「依存はない!」
とか言った。なので、
「オホン。では……韮山城代としては、根底的な解決を求め、ゼヒ、安房里見水軍の撃破を両郡代に要請したいと――」
「「論外ッ!!」」
つまり『戦力比と装備を考えろ。中型船~小型船が主力、かつ、平時は魚群を追う、伊豆水軍が単独で、大型船が主力かつ中型船~小型船をとりそろえ、平時は貿易をおこなう、という大規模な組織力を持つ、安房里見家の水軍と殴り合ってみろ。いろんな面でこっちが負け、しずめられてしまうわ!!』と一蹴されたようなことになった。
両ジイは言うのである。
「大殿(氏康)の来援が約束されているのでなければ、派兵はできかねます」
「そうじゃ。三浦水軍(紀伊半島から招かれ、相模国の三浦半島南岸を根拠地とする、海上傭兵集団)も出せ。単独では無理ですわ!」
と、笠原・清水の両郡代、松千代のジイ役のふたりから、こんこんと『軍事的実現性がない』と説教され、
(トホホ~!)
と、松千代は『ぎゃふん』と言わされ、確かにもっともな正論ではあるので、以後、両ジイの白熱の議論を見守っていたのだった。
なお『安房里見水軍の撃破を』というのは、別に松千代単独の案ではなく、自身が引き連れて韮山領へ入部した、幕僚団(近習・小姓・一部足軽)の案でもあった。笠原家、清水家の提出した企画だって、それぞれの幕僚団と相談したうえの案だろう。
松千代=韮山領の幕僚団としては、問題の抜本的解決を求めるのは当然。ひいては伊豆国の軍事指揮権を分掌する笠原~清水の両家に出兵を要請するのは道理であった。
もちろん、両家がその気になるのなら、韮山領の幕僚団は全面的なバックアップをする、というところであったが……両家のものすげえ反発に遭い、企画そのものを引っ込めてる状態であった。
(ううう、どうしよぉ~……――)
と、松千代は力なく肩をさげ、じっとりと無言であった。もちろん、企画の再提示をあきらめているわけではない。
両ジイの企画は正論ではあるが、現状維持以上のなにかではなかった。領国改造計画の進展を考えれば、ジリ貧は悪手である。
が、このままの情勢だと、企画の再提示はきつい。両ジイの気が変わるような――たとえば、これならば安房里見水軍の撃破は可能だ、というような――なにかしらの新提案が必要であった。
(ウウウ。なんか適当な知識チートできないかなぁ。無理かなぁ。パッとできるのってだいたい欠陥兵器っぽいもんなぁ。
たとえば火縄式の地雷とか、さく裂すれば半径百メートルは制圧可能かも知れない、という点で優秀そうに思えるんだけど、使えって渡されてもオレが兵なら埋めるだけ埋めて『使いましたが不発でした』って報告すると思う。だって危ないもん。
火縄式の時点で敵の動向を見てから着火せねばならず、敵の進行の障害となる土塁や堀が必要な点で退避に難アリって評価になりそうでなぁ……。たぶん使い方が難しいと思う。オレが兵なら使いたくない、というか……。
木箱に細工して火縄ごと埋める時限式のもあるけど、狙った時に相手が踏んでくれる保証がないからなぁ。
惜しい気もするけど……でもなぁ……なんか限定的な使い方なら……――。
しかし、火薬ね。それ自体は偉大で素敵な発想だ。
船には火器が有効だから、火縄銃や焙烙火矢(ハンド・グレネード。いわゆる手榴弾)とかの装備率をあげて、正攻法なら……でも、硝石(火薬の材料。日本には天然の硝石は産出されないため、生成には原始的なバイオテクノロジーが必要。これを)つくるのだって手間ヒマはかかるから、まず、安房里見水軍の活動を鈍化させるような、時間稼ぎになりうる策がないと、両ジイの説得は厳しそう。
第一、春先から初夏にかけて漁労が活発化するから、タイムリミットがあるわけで……う~ん。
ともあれ、まず、確実に『できそう』なのは軍資金集めだな!
沿岸防衛の名目で『富くじ』――すなわち、『宝くじ』を開催すればいい。これ自体はさして珍しい発想じゃない。あるいは中国の清朝初期における、三藩(中国南部のみっつの漢人軍閥)征伐のための軍資金をえることを目的とした売官とかも、手っ取り早い方法だろうな。
この場合の売官は名誉職を売るって意味で、大臣高官の位を金で売るってわけじゃないから、どっちも富裕層からの義援金をえるためのていさい。
もちろん、オレは官位官職をどうこうできる立場ではないから、やるとしたら勲章とかをつくって売るってことになるのかな? 刀剣に感謝状をそえて『勲刀』とかでもいいけど。
それらの集金目的さえ明示しておけば、協力してくれる富裕層はいると思うけど……。
――結局は、安房里見水軍をどう抑えるか、にもどってくるか。ぐぬぬぅ~……――)
その時、廊下の向こうから小走りに近づく、山角康定の姿を松千代はとらえた。康定は近習筆頭、兼、守役。早い話が、韮山領の幕僚団の最先任者であり、事実上、松千代家(仮)のナンバー・ツー。現在、数えの二十九歳である。
(なんだろう)
松千代は思った。今日、康定は松千代の代理として通常業務を統括し、別室で政務にあたっているはずであった――。




