第十一話 隣国からのお便り
「おっ、資本集約型・酒造工場の第一棟ができたか。よしよし。目玉は水力の取り入れによる人件費の削減と、大量生産化……だけど、利益の回収は、まだ先だろうな~。……いちおう株主だから、潰れるとひじょーに困る。
工場は酒座(酒造業組合)のかしら所有だから、株主から見れば、一回や二回の失敗なら致命打にはなりえないんだけど、無限の資金力はないから、株がパアになるのは……。
頼むぞ~。アレコレやってるから、オレのふところはカツカツだからな~」
天文十七年(一五四八)一月。
伊豆国・韮山城――。
その一角の館である。
韮山城と内部の館群は、小田原北条家の最初の拠点。元々が室町幕府奉公衆(将軍親衛隊+事務官僚)の出身である、開祖・伊勢宗瑞(北条早雲)の趣味か、なかなか風光明媚なつくりをしている。
季節ごとに違った花が咲き、そうした花のない冬であれ、雪化粧がほどこされれば、城内とは思えぬ風情があった。
松千代(北条松千代丸)は、居室の縁側で文書類を読み、近習・小姓衆を遠ざけて思案していた。数えの十歳である。
兄の西堂丸をさしおいての『韮山城代』への就任は、たとえるのなら『北条王国・古都の知事』への就任といえた。
ひいては伊豆国南北の郡代(それぞれ北伊豆/南伊豆総督といえる。なお、南伊豆総督は伊豆水軍の旗頭/海軍司令官を兼ねる)、笠原綱信、清水綱吉の両家老を補佐役とし、伊豆一国を管区とするから、事実上の親藩大名化であった。
もちろん、細かくいうと違う。
『韮山城代』の実態としては、西方担当外交官+直轄領の管理運営の総責任者。
それから、分散してあたえられている所領の、農業経営者というところ。
部屋住みではなくなったものの、ものものしい肩書きにくらべると、脱力する職掌かも知れない。
早い話、伊豆南北の両郡代の配置をそのままに、小田原北条家の直轄領の管理運営と外交の一部権限だけ切り離し、松千代に経費分の所領をあたえたのが、今回の『韮山城代』職の正体だ。
軍事・警察・司法は職掌になく、行政の点で、両郡代と協議して執行しなさい、という立場であった。松千代がいじれるのは宗家直轄領と自分の所領だけ。また、長官~次官級の人事権は小田原の宗家が握っている、という、よくできたヒモつき体制であった。
当然といえば当然、柔軟といえば柔軟な配置である。
要するに、松千代の成長とともに、各種権限の譲渡がなされるか、別の地域への配置換えも、想定されているのだろう。小田原北条家らしい――内紛らしい内紛がなく、つつがなく権力移譲をしてきた――こなれたやり方といえた。
しかし、小田原北条家の西方新体制の成立は、小田原の家中にあらぬ憶測――松千代に後継者予備以上の地位をあたえる気ではないのか――を呼んだ。
が、今生の父・北条氏康の鶴の一声でしずまった。
『西堂丸はもちろん、松千代は、駿河今川義元の甥である。相駿境目の代官としてはふさわしかろう』
要するに、
『小田原北条家を継ぐのは西堂丸、松千代は駿河今川家との折衝役』
との方針を明示したのだった。
(スジは通っている。でも、氏康公――今生の父さんの狙いはどっちかってゆーとオレの提案の実現のほうだと思うなあ)
と、松千代はぼんやりと思った。
『領国諸事革案』
おおざっぱにいうと、
『領国改造計画』
である。
(まあ、提案時点では計画っていうか思想に近かったけどさ。要約すると『各種産業の生産性の向上、と、製造工程の改善をすべし』なんだけど、言うはやすしの典型で、やらなきゃいけないことが、い~~~~~~っぱい、あるんだよなぁ――)
具体的には、灌漑設備の設置・開削とか、商品作物の選定とか、新型農具の開発と提供とか、先述のような資本集約型の工場の開設とか、etc、etc、である。
(小田原北条家全体の歳入を注ぎ込んだら、基礎整備の短期的な実現は可能かも知れない。もちろん、国庫の中身をブチまけるようなことは事実上、不可能だから、資金繰りからしなければならない。
有望なのは株式会社の設立による新規事業の展開。で、その収入をそのまま国内開発にあてること――すなわち、明治政府がやったような、新規企業と開発独裁を同時にやるって案なんだけど、すげえたいへん。
だいたい素人がそんなのやるとかバカなの? 死ぬの? 誰だ、こんなイケイケドンドンな案を出したの。……オレだ!!!)
と、松千代は疲れた頭でキレたりしている。
たとえば、尾張織田家――より細かくいえば、勝幡織田家――富裕だといわれる、織田信長の生家のように、あるいは、松千代が個人的に『あそこは裕福だろう』とにらんでいる、土佐長宗我部家のように、強力な鉄砲隊の存在をにおわせる=新兵器の導入や生産基盤をととのえられるだけの経済力がある勢力ならば、このような苦労はしなくてよいのかも知れない。
しかし、小田原北条家――少なくとも、この世界線のそれ――は、複数の戦線を抱えるため、多額の軍事費に苦しめられている、というのは先述したと思う。
つまり、
(お金稼ぎからはじめないとニッチもサッチもいかないのっ!!!)
と、松千代はキレるしかなかった。
このようなギャップの埋め合わせのため、松千代は望むと望まざるとにかかわらず、自分を『政治家であり、かつまた、天才実業家』にせねばならないのだった。それは苦労するだろう(提案したのは自分なんだから、身から出たサビではあるが)。
松千代はかたわらの火鉢にかわるがわる手をかざしつつ、かざしてないほうの手で、文書をあぐらのうえに開いている。出されたモチはもう食べてしまった。湯呑だけが、かすかな湯気を立ちのぼらせている。
(今生の父さんに『領国諸事革案』を提示したら、割とすんなり採用されたのはいいけど、まさかオレにやれって辞令がくるとはなぁ~……すごいなぁ、さすが戦国大名だなぁ(?)。割り切り方がスパッとしてるもんなぁ……)
松千代は妙な感心の仕方をした。さすがは相模の獅子だ、こいつはデキるだろ、となった時の決断力がすげえな……などと思いつつ、寒風に肩をちぢこまらせた。
昨年の初冬に韮山城へ派遣され、ずうっと家族と離れ離れなのだ。冬の風がさびしかった。ネコかイヌがいればいいのに、と思う。
しかし『飼って! ねぇ飼ってぇ~』とは、笠原・清水の両家老や、山角康定ら、側近集団にねだれなかった。
『そんなお金はありません』
としかられよう。この時代、イヌはともかく、ネコは高価であった。
周囲の理屈は分かるから、
(ふんだ。ほんとうにえらくなってから飼ってやる)
と、松千代はふてくされるにとどめている。
(粉コンニャクの特許料徴収が高評価だったからかな……あ~、それとも、株式制度で目をつけられたのかなぁ。藤菊丸(のちの氏照)や、弟妹たちと遊びたいなぁ~……)
『ハァ……』と今生の家族を想って、白いため息をつきつつ、松千代は文書類を小脇に抱え、小姓を呼んで湯呑と皿をかたづけさせたあと、みずからは火鉢を持って居室へもどった。
文机を前にする。
お仕事の時間である。
(さ~て、見積書の作成ついでに、オレの所領限定で、試験的な新型農具の製造と貸与をはじめたのはいいものの、江戸から明治の木製農具や工業機械って設計思想が基本的にブラックだからな。再現が容易なのはいいんだけど、そのぶん、人力に頼る割合が高い。
ヨーロッパ型の産業革命は資本投下を増やして人件費の節約を、なんだけど、アジアは人件費が安いから、労働力を利用するかたちで生産性や製造工程に手を加えないと、採算がとれない。
かといってブラック団体一直線はイヤだから、組織をホワイトにしたい。
必要なのは休養と給与に気をくばった制度、と、あとは純粋にお金だな。……結局はお財布の問題になるんだよなぁ。商業的発展こそが、経済的理由からの各種衰退を食い止める、というか。
簡単にいうと、お金がないと、みんな先のことを考えず、ヤケになる。結果、モラルがなくなるから、お金は大事。とても。
工場はともかく、村落経営のほうは名主との調整がいるから……事前連絡だな。宿泊先の手配と、あと……先に各村落から代表を選ばせて、協議を重ねたほうが、あとくされがないかな。山角兄弟に頼んどこっと!)
松千代はこの一年で確実に成長したことを考え、父母、特に母の椿が知れば、感涙して『うちの息子です~。この子、うちの松千代です~!』と周囲に自慢したろう、利発な少年のふうを深めていた。
元々、容姿は父母ゆずりの色白の肌に、血色のよさがあるのだから、いわば紅顔の美少年である。
たとえば先ほどの、縁側、雪を前にして白い息を吐く姿は、頬の赤さとあいまって、見栄えがよい。遠目に見るぶんには侍女とかに評判がよかったが、松千代は知らない。つまり、お行儀よくしていれば、さまになる程度には顔つきが整っていた。
もっとも、歴史(日本史)好きの弊害か、偉人や戦国文化を見れば、目をキラッキラさせて興奮する癖があるので、三枚目感は抜けなかったし、よく困難に遭遇して七転八倒するから、ごく近しい人間からは『美……形?』と疑問符がついた。
ともあれ。
ふと、手元に『カサッ』とふれるお手紙があった。
「ああ、そうだ――」
隣国・駿河今川家からのお便りである。まだ、返事を書いてなかった。
差出人はなにを隠そう、駿河今川義元と、その母・寿桂尼、からだ。松千代からはそれぞれ、母方の叔父と祖母にあたる。
要するに、お隣の名君・海道一の弓取りのおじちゃんと、女戦国大名、と後世うたわれるおばあちゃん――という、東海道のビッグボスと、そのグレートマザーからである。
峻険な峠道が雪に閉ざされる前に出されたそれは、意外にも、叔父と祖母のやさしみにあふれていた。
私信の内容は後述するが――都合三通に及ぶそれは、叔父と祖母の私信が一通ずつ、残り一通は駿河今川家による小田原北条家への外交文書であった。
(オレの頭痛の元はこの最後の一通なんだよ――)
松千代の顔は『どーすんだよコレ』という意味合いで青ざめ、(私信二通はともかく)外交文書の一通を読み直すだに、目がやぶにらみにすわるのだった。内容は、ズバリ、こうである。
『近年、伊豆の漁民が大挙して駿河沖に押し寄せ、地元の漁師が難儀している。駿河今川家としては看過しがたい。ひいては小田原北条家に問題の解決を依頼したいが、もし断る場合、駿河今川家としては考えがある――なお、伊豆国代官の北条松千代丸は当家の血縁であり、"なにかあれば"当家があずかってもよい。駿府にまで聴こえる若き英才の処遇に間違いがあってはならないから、あえて書いた。小田原北条家のよき友でありたい、義元より――』
みたいな意味合いの文章であった。
よりおおざっぱにいえば、
『そっちの漁民が違法操業をやらかしてるからなんとかしろ。やめさせないと戦争も辞さない。なお、松千代はうちの甥っ子だから、甥っ子だからな! 一朝有事の際は亡命できるやつだし、うちの受け入れ態勢は万全だから! この意味、分かってるんだろうな、氏康、コラ!』
ということであった。
(ほげぇぇぇぇぇぇ~~~っ!!)
まさか、まさかオレを政治的恫喝――いつでも内政干渉できるからね♪ 甥っ子を助けるって理由はそれなりに意義があるんだからね!――に利用しつつ、海上紛争の解決をこっちにだけ押しつけてくるなんてぇぇ~! と、松千代は文机に頭突きを食らわす勢いで突っ伏した。
小田原の宗家に伝えたけど、
『太田資正や安房里見家への対処でそれどころじゃない。
また、おそらく、駿河今川義元の物言いはハッタリだ。三河国で独り勝ちしている尾張織田信秀(信長の父)と義元は対立を深めている。風魔党の忍びから情報はあがっているのだ。少なくとも、いま、駿河勢は相模や伊豆へ侵入できるものではない。
たぶんだが、義元は我々の和睦が本気かどうか、今回の一件で確かめているのだろう。腹立たしいが、先方も大名である。家中の支持……たとえば、駿河今川家中の反北条派の統御を思えば、こたびの恫喝とて分からない話ではない。
もちろん、若いおまえの不安は分かる。
そこで命令である。我々は駿河今川家との和睦を破るわけにはいかない。領土の割譲にならない範囲でいかなる譲歩も認める。よりよいと思われる手段で漁民の西進問題を解決すべし。伊豆両郡代と相談し、そちらで対処しろ。責任はわしが持つ。以上なあり』
とか、例によって氏康側近の南条綱長が派遣され、親しく氏康の上意が伝えられる、という、それなりの厚意はあったが、実質は『がんばれ』と激励だけ返されたようなものだ。
(えぇ……補佐役がいるとはいえ、数え十歳児に多くを求めすぎじゃない? というか、なんて返事すればいいの。変な命令に縛られるよりはマシなのかな。わあ、どうしよう。ふつうに誰か、た~す~け~て~!!!)
松千代は頭を抱え、やはりペットの癒しが必要だ、とらちもないことを考えるのだった。




