73、生きるか死ぬか(社会的に)。
無双。
ニコニコ笑顔の大野の横にはミロクが座っている。
目の前にはミロクの姉ミハチと、その隣にはヨイチが座っている。
ヨイチが予約したであろう四人掛けの予約席は、定員ギリギリで埋まっている。
(寒い。寒すぎる)
ミロクはぶるりと震える。
プロデューサー尾根江との打ち合わせが終わり、今日は解散というところでヨイチのスマホに着信があった。いつになく不機嫌そうなミハチから事情を聞くや否や、彼はミロクの首根っこを掴んでデートの待ち合わせ予定のレストランまで来たのだ。
そう、ヨイチの不機嫌さも過去一番ではないだろうか。
凍る空気にミロクはホットコーヒーを頼む。無論、砂糖とミルクを入れた。
「さて、どういう事かな。大野くん……だっけ?」
「はい!ミロクさんのお姉さんと、ぜひお近づきになりたく!」
元気よく答える大野に、ミロクは頭を抱える。
「だからさ、そういうのは困るって言ってるでしょ?」
「はい! でも綺麗なお姉さんと近づけるのって、滅多にないじゃないですか!」
知らねーよ!! と、この場の全員が思った。
「近づくって、具体的にどういう意味かな。僕はね、彼女の恋人だから、恋愛というのは困るんだよね」
キラッキラの笑顔で応対するヨイチの目は、ドライアイス級の冷たく熱い状態を適度にキープしている。さすがのミハチも若干引くくらいだ。
「僕はね、これでも事務所の社長なんだ。知ってると思うけど、君の所属している事務所の社長とも懇意にさせてもらっている。別にね、彼女が良いなら僕は何も言わないけれど、嫌がっていると言われては僕としても考えないとね」
「え、嫌なんですか?」
「ええ。迷惑だわ」
「そんなぁ……でも諦めません!」
ミハチとミロクは同時にため息を吐く。
「君ね、こちらにも考えがあると言ってるんだけど」
「考えって何ですか?」
小首を傾げる大野に、ヨイチは変わらない笑顔で言う。
「消えてもらうかな」
「あはははっ、そんな子供じゃあるまいし、そんな脅し……」
「脅しだと思う?」
ヨイチの変わらない笑顔に、大野はだんだん顔色を悪くしていく。慌てたように言い返す。
「そ、そんな事言って、脅迫ですよ!」
「はは、脅迫? 僕は消えてもらうって言っただけだよ。このやり取りはボイスレコーダーで録らせて貰ったし、出るとこ出ても構わないよ」
さらにキラキラと輝く笑顔に、周りの客もさすがに気づく。そしてヨイチとミロクに注目が集まり、店内は騒めいてきた。
さすがに分が悪いと感じたのか、大野は「帰ります」と言って席を立ち、逃げるように店を出て行った。
ホッと息を吐くミロクに、ドライアイスオーラを収めたヨイチが言う。
「以前ミロク君が『大野光周がミハチ姉さんを狙っているみたいだ』とメールで知らせたのは、こういう事かい?」
「はい……冗談かとも思ってたんですけど……」
「いや、良かったよ。アレが無かったら、彼の所属事務所の社長とも繋がろうとは思わなかったからね」
「「え?」」
ミハチは目を丸くしてヨイチを見ている。それはそうだろう。あの忙しい日々の中、ミロクの冗談みたいな出来事のメール報告から、他事務所の社長と交流を持ち、尚且つ何かあれば(社会的に)消せるくらいの準備をしたと言っているようなものだ。いや、言っている。そして確実に実行する。
「ふふ、そんな驚いている君も、とても魅力的だよ」
未だ唖然とした顔のミハチに向けて、キラキラ笑顔で語るヨイチの色気に、周囲の女性客から思わずため息が出ている。
(良かった。ヨイチさんにメールしといて良かった。危なかった。俺も危なかった)
以前、ホウレンソウを怠った為に怒られたミロクは、完璧に学んでいた。忘れそうな案件でもメールで報告しておけば何とかなる。それは社会人として必要不可欠であり、まさにこの世界では生死につながる事にもなる。
「社長! 呼び出しって何ですか!」
「やぁ、大野くんはいつも元気だね。先日は元気が良すぎて迷惑をかけたそうじゃないか」
とある事務所の一室にて、穏やかに微笑む男性……大野が社長と呼ぶ壮年の男性に、彼は唇を尖らせて抗議をする。
「別に、男女の恋愛は自由でしょ? しかも『消えてもらう』とか、ヤクザみたいな物騒なこと言うし……お姉さんは趣味が悪いんですよ!」
「それこそ、そのお姉さんの自由だと思うがね。ところで大野くんは先週ここを辞めた田村君を知っていたかい?」
「はい! 事務所の経理にいた人ですよね? その人がどうかしたんですか?」
「……」
「社長?」
社長は何も言わずにただ微笑む。その隣で黙って立っていた秘書の女性に目を向けるが、目を閉じていて何も反応がない。
「え? 何ですか? 冗談ですよね?」
「……」
「社長!!」
「大野くんは連絡があるまで自宅待機で。気をつけて帰りなさい」
社長は「気をつけて」を強めに言う。顔色の青い大野はヨロヨロと部屋を出て行った。
それを見送りしばらくした後、秘書が社長に言う。
「田村さんって、実家に帰って農業を継ぐって方でしたよね?」
「うん。憧れのスローライフって喜んでいたねぇ」
羨ましいねぇと微笑む社長を呆れた顔で秘書は見たが、まぁ大野にはいい薬だろうと仕事に戻ることにした。
お読みいただき、ありがとうございます。




