48、少しずつ変化する弥勒。
「おはようございまーす」
事務所に入って挨拶するミロクは、少し癖のついた黒髪を手で撫でつけながらフワッと欠伸をした。
数人いた事務所の内勤スタッフは挨拶を返すも、相変わらずの美形っぷりに彼から目が離せなくなる。欠伸をしてようが、眠そうにムニャムニャ口を動かしてようが、絵になるのがミロクであった。さすが「リアル王子」と言われるだけある。
「眠そうだな、どうした?」
デスクワークをしていたシジュは、ミロクの体調をいち早く察知していた。ダンストレーナーでもある彼は344(ミヨシ)メンバーの状態を見て、マネージャーのフミに食事の買い出しの内容をアドバイスしていたりもする。意外とマメなオッサンであった。
「ああ、昨日緊急家族会議が白熱してまして……」
「それって、そこの花飛ばしているオッサンに絡むやつか?」
シジュの指差した先には、社長用の椅子に座って眩しいぐらいに輝く笑顔で、タブレット端末を操作するヨイチがいた。
事務所内にいるスタッフ達は敢えてつっこまずにいたが、シジュはヨイチが爽やかすぎて気持ち悪いとバッサリ切る。ミロクもウンザリした顔でため息を吐いた。
「そうですよ。昨日ずっとヨイチさんが居ましたから……姉さんは使い物にならないし、ニナは怒り心頭だし、疲れましたよ……」
再び欠伸をして、ミロクは空いている椅子に座ると、背もたれを前にしてぐったりと顎を乗せている。そんなミロクに憐れむような視線を送ったシジュは、再びデスク上のパソコンに戻りキーボードを叩いていく。
「シジュさんは何してるんですか?」
「雑用だ。俺は344(ミヨシ)で一番仕事少ねぇし、フミちゃんは社長補佐もやってるからな」
「俺もやりますよ!」
「馬鹿か、この事務所で一番の売れっ子は、ちゃんと外で仕事しろよ」
「シジュさんだって売れっ子なくせに……」
実はシジュが言うほど仕事が少ないわけではない。比較的ミロクに比べて少ないというだけで、シジュは彼の野生的な雰囲気に合うモデルの仕事を多く受けていたりする。
ミロクは正統派なら、シジュはアウトローな危険な男という感じだろうか。
「ほら、早速モデルの仕事だ。マネージャー付いて行けねぇけど大丈夫だよな?」
「大丈夫ですよ」
フミは忙しい。いや、フミだけではなく最近ここの事務所は忙しくなっている。主に344(ミヨシ)のデビューから、相乗効果で仕事が増えているのだ。
ミロクは分かってはいるものの、少し寂しいなと思いながら事務所を出ると、ちょうど事務所に入ろうとするフミがいた。
「おはようフミちゃん、行ってきます」
「ミロクさん!いってらっしゃい!」
寝不足の顔から一転してニコッと爽やかに笑うミロクに、フミはうっすら頬を染めて送り出す。そんな彼女の可愛い反応が見れただけで満足なミロクは「俺ってチョロイな」と思いつつ、足取り軽く駅に向かって歩いていくのであった。
メガネをかけてはいるものの、ミロクのフェロモンは隠しきれていない。イベントやモデル活動など経験すればするほど、彼は周りに自分を「見せる」ことが上手くなっていく。
そして、それを無意識に発動するようになっていた……危険である。(主に一般人が)
(周りの視線にも慣れ……ないな)
未だ心はヒキニートなミロクは、電車内の隅っこで立っていた。今日の現場は都心のオフィスビルの一角との事。
(都心に行くのも、まだ少し抵抗があるし……)
なるべく何も考えないようにボンヤリしていると、途中から乗ってきた若い女性たちがミロクを見て騒ぎ始める。ミロクのイケメンっぷりを見て騒がれるのはいつもの事だが、今日は少し違っていた。
「あの……今日はお一人なんですか?」
勇気を振り絞ったらしい、一人の女性がミロクに話しかけてきた。ミロクは少し驚く。
「あ、はい、今日は一人の仕事なので……」
「そうなんですか。あの、応援してます。344の三人とも素敵だから……」
顔を真っ赤にしながらも一生懸命話す女性に、ミロクの少し強張っていた顔が自然と綻び、そのまま甘く微笑む。
「ありがとう。俺たちの事を知っててくれて嬉しいよ」
「ひゃ、ひゃい!」
ミロクの笑顔を真正面から受けてしまった彼女は、フラリとよろけて周りの友人に支えられる。「芸能人なの?」とか「知ってる人?」とか聞かれているが、フェロモン攻撃を受けてしまった彼女はもういっぱいいっぱいだ。
「えっと、一応アイドルとしてデビューしたんだけど……まだまだ新人なんだ」
「アイドル!?」
「シャイニーズみたいな!?」
「ごめん、シャイニーズは関係ないんだ」
真っ赤に茹で上がってしまった彼女を助けようと口を出したが、降りる駅に着いてしまった為「ごめんね、ありがとうね」と慌てて降りる。
電車の中から手を振る女性達に手を振り返すと、思わず大きく息を吐く。
ミロクは344(ミヨシ)の知名度が少しずつ上がっているのをジワジワと感じた。
「デビュー……したんだ」
そのなんとも言えない不思議な感覚を、ミロクはゆっくりと心に刻み込む。
「俺一人じゃない」
夏はもう終わりに近づいている中、心なしか胸を張ってオフィス街に向けて歩き出すミロクだった。
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