閑話5、大崎実羽千(38)の場合。
本編にするか迷いつつも、がっつりミハチ姉さんの回なので閑話。
(そろそろ潮時かな……)
元来、飽きっぽい性格であるミハチにとって、一人の男性……それも元アイドルで、現社長兼アイドルであるヨイチを二十年以上も想い続けることは、ある意味苦痛でもあった。
先日行われたイベントでも、目で追いかけてしまうのは弟のミロクよりもヨイチで……。
(もう捨てなきゃって思うのに、私は馬鹿だ)
ミハチも大崎家の人間だ。美人の部類に入るし、外を歩けばナンパの一つや二つ(最近は少ないが)される。
恋愛もそれなりにしてきたつもりだ。結婚しようと言い合った男性もいる。
だがしかし。
現在独り身であり、恋人もいない。
どうしてこうなったかと言えば、初恋相手のアイドルを二十年以上も「本気で」好きだということ。
(だって、近所にいるんだもの。反則よ……)
そう、大崎ミハチ(38)は、アイドル相手の初恋を完璧にこじらせていた。
「いつもこの時間にいらっしゃるんですか?」
「ええ、まぁ」
スポーツジムで器具を使って筋トレしていたミハチは、話しかけてきた大柄の男に一瞬目線を向けたが、すぐに元に戻す。
そんなミハチを見て、男は慌てて名刺を出す。
「怪しい者じゃないです。ここのスポーツジムの近所に事務所がありまして、モデル・タレント事務所の如月ヨイチという者です」
名刺を渡される前から分かっていた。彼がその事務所の社長だという事も。昔と違い太っていても、ミハチの胸はあの頃と変わらずにキュンとする。重症だ。
「事務所の人が何の用ですか」
「あ、いや、用はなくて……モデルさんかなと思いまして、所属事務所がなければ勧誘を……」
「アラフォー相手に何言ってるんですか。揶揄ってるんですか」
「え?アラフォー!?二十代だと思いましたよ!」
驚いた彼の声に、つい顔を上げて彼の顔をしっかり見てしまう。
元アイドルの面影は無い……と、ミハチ以外の人間は思うだろう。未だファンである彼女は顔を真っ赤にして俯く。彼女にとっては、ヨイチが太かろうが細かろうが関係なくときめいてしまうのだ。
(あの後、私が怒っていると思われて、すごい勢いで謝られたのよね。確かにずっと下向いてた私も悪かったんだけど……)
二年前、通っていたスポーツジムで声をかけられて以来、なんとなく言葉を交わすようになり、今は弟のミロクの事で相談されたりもする仲だ。
そんな夢のような日々が終わりを告げる時は近いのだろう、ミハチはすっかり氷で薄まったアイスカフェオレを一口飲み、窓の外に目をやる。
ーーカランカラン
昔ながらの喫茶店のドアベルが鳴る。その音に反応して振り返ると、にこやかに手を振るヨイチがいた。
ミハチの座っている窓際に来る彼の姿を、近くにいた店員も女性客も顔を赤らめて見ている。
今のヨイチはスラッとした、あの頃のヨイチをそのまま大人にしたという感じになっている。本人は筋肉をつけたいらしいが、ダンス担当のシジュに禁止されているらしい。
「……私はゴリゴリでも良いけど」
「ん?何か言ったミハチさん?」
「いいえ、なんでも。こうやって会っても大丈夫なの?」
「僕はアイドルといってもミロク君とは違うからね。それにシャイニーズならともかく、うちはそこまで厳しくしてないしね」
「そう」
「今日はどうしたの?珍しいね、呼び出すなんて」
オフの為、セットしていないアッシュグレーの前髪をかき上げてニコリと笑うヨイチに、ミハチは思わず舌打ちしそうになる。
ミロクの天然フェロモンはご近所で騒がれていて有名だが、ヨイチも負けてはいない。目線だけでご婦人方を悩殺出来るし、それをコントロール出来る年代であるため厄介だ。
そんなヨイチの無意識の仕草は、ミハチにとって毒でしかない。せっかくの決意が揺らぎそうになっている。
「ミハチさん?」
「私、ずっとファンで」
「え?」
「私はずっとヨイチさんのファンなの。だから、もうファンやめる」
「ええ!?」
なぜか慌てているヨイチの反応に、つい笑ってしまったミハチは少し落ち着く事が出来た。そのまま静かに話し出す。
「初めてテレビで見た時からずっと恋していた。アイドル辞めた後も密かに追いかけていた。後輩育成のトレーナーをしてたのも、事務所開いたのも、太ってしまってスポーツジムで声かけてきた時も、私は貴方を知ってた。ずっと見てた。貴方が好きだから」
ミハチは自嘲気味に笑う。
「私は完璧主義なの。付き合った人もいたけど上手くいかなかったのは、ちゃんと初恋を終わらせてなかったからだって気づいてた。でも……」
呆然としているヨイチをミハチは真っ直ぐに見た。
「もう、終わりにしようって思って。中途半端に知り合っちゃったから、ちゃんと振られておきたいの。
私の都合でごめんなさい。
……ずっとファンでした。貴方が……ヨイチさんが好きです」
言い切ったミハチは立ち上がろうとするも、ヨイチに手を掴まれて止められる。
「……放して」
「ちゃんと振られたいって言っときながら、逃げるの?」
ミハチはビクッと体を震わし、そのままゆっくりと座り直した。ヨイチはミハチの手を掴んだまま、小さくため息を吐いた。
「やっぱり君だったんだね」
長くなってしまった……
お読みいただき、ありがとうございます。




