274、弥勒の青空お悩み相談室。
閑話っぽいのですが、本編に。
いつも通り、挨拶をしながら通用口から入った佐藤は、朝早くから来ていた上司から祝福の言葉を受ける。
なぜ祝福されるのか分からないままデスクに座ると、さっそく同僚たちが集まってきた。
「佐藤さん、あの『344』とステージに上がるって本当ですか?」
「やっぱり背が高いといいよなぁ。ボランティアで踊る人たちと一緒にってことらしいじゃん。さすがだよな」
……これは一体何の話をしているんだ、と佐藤は先日ミロクたちと会ったことを思い出す。しかし、どうも話がおかしな方へ向かっている。
ボランティア? 確かに、先日の話では一緒のステージに上がり手伝ってほしいという話で報酬の話は出ていなかった。この線で断ろうとしていた佐藤の計画は頓挫してしまう。
「あの気難しい所長を説得するとか、すごいよな。あのヨイチさんって人」
「うちでやってるセミナーとかイベントのゲスト出演するとか、色々とありがたいよな」
月に数回行われている子供向けイベントについて、もしあの三人が来てくれるのなら本当にありがたい。シジュは幼児に人気があるし、ヨイチはミロクがいれば親たちも喜ぶだろう。
しかし……。
「自分、出ると決めたわけではないのですが……」
「え? そうなのか?」
「そもそも、そういう世界とは無縁の人生でしたから」
「まぁ、そりゃそうだろうけどさ」
同僚の男性が「もったいないなぁ」と言ったのに、佐藤は首を傾げる。
「もったいない、ですか?」
「背も高く、男前で、女性職員には騒がれてて……羨ましいだろ?」
「バツイチですが」
「それは欠点とは言えないだろう」
そうだったのか、と佐藤はなぜか不思議な気持ちになる。離婚した当初、両親は自分を責めることはなかった。それでも離婚を経て、佐藤は自分に価値があるとは思えなくなってしまったのだ。
仕事で頑張っている? それが一体何だと言うのだ。一番応援してくれていると思っていた自分の妻は、自分以外の男の元へと行ってしまった。
そんな自分が「もったいない」と言われるような人間とは思えないと、佐藤はぼんやり考える。
「多くの人間がいるこの世界のたった一人に逃げられただけじゃないか。それがどうしたって話だろ?」
「たった一人……」
「結婚するほど好きだった相手に逃げられるっつーのは、まぁ、同情するけど」
「好きだった……」
佐藤は愕然としていた。青ざめた顔で俯いた彼を、同僚は心配そうに見て声をかける。
方々からかけられる声に答えることもなく、佐藤は「今日は帰らせてください」と上司に申し出るのだった。
「あれ、佐藤さん? こんにちは! 先日はどうも!」
「……ああ、ミロクさん。こんにちは」
晴れた日の昼下がり、穏やかな陽気のせいか公園内には平日にも関わらず人が多い。ぼんやりとベンチに座っていた佐藤は、ジャージ姿で走っていたミロクに声をかけられるも返す挨拶に覇気がない。
「顔色が悪いですね、大丈夫ですか?」
「はい、お気になさらず……」
気にするなという言葉を、世の中の何人が言われて気にせずにいられるのだろうか。そのようなことを考えつつ、ミロクは気遣わしげに佐藤を見る。
元自衛隊員である佐藤。それなりに健康的な肌つやをしている彼の顔が白く見えるのは、よほどのことがあったに違いないとミロクはトレーニングを中断すると、ベンチに座る佐藤のとなりに腰をかけた。
「それで? 何があったんです?」
「……敵わないですね。まぁ、少しショックな事がありまして」
「もしかして先日のヨイチさんの申し出、やっぱり迷惑でした?」
「それは戸惑ってはいますが、そうじゃないんです。……ミロクさんは好きな人いますか?」
「す、好きな人ですか? そりゃ、俺もいい歳ですし、す、すす好きな人くらいいますよ」
日焼けしづらいミロクの白い肌が、みるみるピンクに染まっていくのを見て、佐藤も釣られるように頬を染める。男二人の間になんともいえない空気が流れたところで、佐藤は慌てて言い直す。
「申し訳ない。好きな人のことを、本当に好きなのかと聞こうとしたんです」
「本当に、とは?」
「恥ずかしながら、自分は妻だった人を『結婚するほど好きだった相手』と言われて素直に頷けなかったんです。あの頃の自分はただ付き合ってた彼女の言われるがままに結婚して、そのまま仕事に追われ、気づけば離婚となっていました。好きかと聞かれれば好きだったんでしょうけれど……」
そう言うと額に手をあてて佐藤は俯く。ミロクは思い悩む彼の様子にしばらく無言になっていたが、やがて口を開く。
「それの、どこが悪いんでしょうか?」
「……え? そりゃあ、もう少し自分にもやりようがあったんじゃないかって思いまして」
「好きか嫌いかといえば、好きだったんでしょう。少なくとも佐藤さんは、元奥さんがやりたいようにやらせようとしていましたから。お仕事柄、家を留守にしがちだというのもしょうがないことです」
「自分がもっと気を遣ってやればと……」
「それこそおかしな話ですよ。だったら元奥さんも佐藤さんに気をつかうべきでしょう? そうすれば少なくとも、浮気するという選択はしないはずです」
「ミロクさんは優しいですね」
「そりゃあ、俺は佐藤さんの元奥さんのことを知りません。だから俺は全面的に佐藤さんの味方をしますよ」
「味方、ですか」
「はい、俺は味方です。俺が味方してるなら、きっとヨイチさんもシジュさんも味方してくれますよ」
「そういうもんですか」
「そういうもんですよ」
心強いなと呟き、佐藤は隣に座るミロクの横顔を見る。
ミロクがここまでになるには、どれほどの積み重ねをしてきたのだろう。絶対に自分を裏切らない存在として『344』のメンバーであるヨイチとシジュを受け入れるには、相当の覚悟が必要だったのではないか、と。
「一番ショックだったのは、彼女が浮気していたという事実を知っても傷つかなかった自分に、でしたね」
「良かったじゃないですか。佐藤さんが傷つかなくて」
当たり前のように笑顔をみせるミロクに、佐藤はなんだかおかしくなってきた。そうだ。傷つかなくて良かったじゃないか。悩んでいる自分が馬鹿みたいだと。
「そうですね。良かったんですね」
ホッとしたのか肩の力を抜いて微笑んだ佐藤の笑顔に、ミロクは一瞬見入ってしまう。
普段あまり表情が変わらない人間の笑顔は破壊力があるものだと、自分を棚に上げて感心するミロクだった。
お読みいただき、ありがとうございます。
「公務員のアルバイトは不可」というご意見についてですが、お話の流れがありましたので、あえてぼかして書いてました。




