266、佐藤のちょっとした変身。
役所勤務の佐藤が如月事務所に来たのは、ちょうどヨイチが社長職から離れた翌日だった。
空き時間は大体デスクワークをするヨイチは、日に一回は事務所に必ず顔を出していた。できることなら書類を直接手渡して、ついでに次回の商店街で行うイベントの件を話したい佐藤だったが、不在なら仕方がないと事務所スタッフに書類を預けることにした。
「あ、佐藤さん」
「こんにちは如月さん、今スタッフの方に書類を預けたところなんですよ」
「そうだったんですか。すみません、仕事の関係で社長がしばらく事務所を不在にすることになりまして……」
背の高い佐藤は、マネージャーのフミに向ける目線をかなり低くして合わせる。肩までのポワポワな茶色の髪を揺らし、申し訳なさそうにしているフミを見て佐藤はゆったりと話す。
「いえいえ、お忙しいというのは良いことでしょう」
「はい、ありがたいことにドラマの出演が決まって、その撮影で忙しくしているんですよ」
「すごいですね」
嬉しそうなフミの笑顔に、つられるように佐藤も微笑む。普段あまり表情の変わらない佐藤だが、フミの小動物的な雰囲気に癒されるのか、彼女の前では柔らかな表情になるようだ。
「あの、すみません」
「どうしたの?」
出入り口で会話していたフミと佐藤の側に、事務所の女性スタッフがおずおずと声をかけてきた。彼女の顔色は悪く、何があったのかと尋ねようとしたフミに佐藤は気を利かせてその場を去ろうとする。
「では、失礼します」
「あ、あの! ちょっと待ってください!」
「はい?」
「申し訳ないのですが、少しだけお時間をいただいても大丈夫ですか?」
「はぁ、まぁ、少しであれば……」
女性スタッフの輝く目と迫力に、戸惑いながらも了承する佐藤であった。
念入りに体を動かしたヨイチは、久しぶりに味わう筋肉の疲労と充実感に浸る。そのままスポーツジムの受付前にある商品棚からプロテインドリンクを取ろうとして、笑顔のシジュにガッシリと腕を掴まれた。
「おう、オッサン。まだ元気そうじゃねぇか」
「軽い冗談だよ、シジュ」
「あわよくばって思ってましたよね?」
「否めないねー」
「オッサン……」
隙あらば筋肉をつけようとするヨイチに、シジュは最終兵器を出す。
「この前、聞いたんだよなぁ。ミロクの姉っぽい人が、ゴリマッチョだけは無理って言ってるのをなぁ」
「さぁ、体をしぼろうか! ミロク君!」
「ええ!? 俺はもういいですよう」
「遠慮は無用だよ!」
シジュの言葉を聞いた瞬間、ヨイチはキラキラなシャイニーズ・スマイルを振りまき、有無を言わさずミロクの首根っこを掴む。そのまま引きずられていく可哀想な弟を見送ったシジュは、悪い笑みを浮かべる。
「やっぱヨイチのオッサンには、これが一番効果があるよな」
ミロクの姉ミハチは、実際ヨイチの体形がどうであろうと気にすることはない。しかし、とある時期からヨイチが体力をつけるのを避けて欲しいと思っているのは事実だ。彼女曰く、これ以上体力をつけられると保たないとのことだ。
何がとは、ここで詳しく語らないことにする。
「おーい、オッサン。張り切るのはいいが、今日はやめとけ。逆に体を痛めっちまうぞ」
「そう? なら、今日はここまでにしておこうか」
「うぅ……シジュさん、早く助けてくださいよ」
涙目でへたり込むミロクが恨めしげに見上げると、シジュは薄っすら顔を赤らめて目をそらす。
「悪かったって。んな目で見んな。フェロモン出すな」
「ひどいです」
「わかったわかった。チーズケーキ一個解禁してやっから」
「やったー!!」
「シジュは、ミロク君には甘いよね」
今度はヨイチが恨めしげにシジュを見るのだが、何も解禁してもらえなかった。
事務所に戻ったオッサン三人は、スタッフたちがざわついてるのに気づく。何があったのかと事務所内を覗き込むミロクは、奥からフミが出てきたことに気づく。
「フミちゃん! 今戻ったよ!」
「あ、おかえりなさいミロクさん。社長とシジュさんもお疲れさまです」
「おう、お疲れー」
「少し騒がしいけど、何かあったのかな?」
心配そうに問いかけるヨイチに、フミは笑顔を返す。
「先程、役所の佐藤さんが来られたんですけど、衣装のデータを撮っていたスタッフのお手伝いをしてくれてるんです」
「衣装のデータって?」
「尾……プロデューサーさんから、いくつかサンプルの衣装を着た状態でデータが欲しいって言われてたみたいなんですよ。ミロクさんたちがいてくれたら良かったんですけど、誰もいなくて困ってたんです。そこで佐藤さんに着てもらって、首から下のデータを送って期日にギリギリ間に合ったところなんですよ」
「それは申し訳ないことをしたんじゃないかい? 佐藤さんもお忙しいだろうに」
たしなめるようにヨイチがフミに言っていると、奥から女性スタッフたちのため息が漏れる。そこには高身長でカッチリとした体を持つ男性が、少し照れたような表情で立っていた。
オッサンアイドル用に作られたサンプルの衣装は、和装と洋装を半々にしたような奇抜な黒を基調としたものに、金糸で縁取られた襟や袖がとても綺麗だ。
「あの、お気になさらず。こういう機会は滅多にないので楽しかったです」
スタッフが佐藤に頼んだ理由にヨイチも気づいている。なにせオッサンアイドル三人の身長は高い方だし、メンバーは細マッチョ……いや、マッチョといえるくらい筋肉がついてきている。
それらの条件をクリアしている佐藤は、役所の人間とは思えないくらいの良い体をしていた。
「すみません、助かります。それにしても佐藤さんは、いい体をしてますね」
「一応、元自衛官ですから。これでも筋肉量は落ちた方なんですよ」
そういえば聞いたことがあるなとヨイチは思っていたが、それはサイバーチームの情報だったことを思い出して苦笑する。一時期、佐藤がフミの近くを頻繁に現れることがあった。その時に佐藤の素性を調べさせたのは良い思い出だ。
「フミ、僕らは着替えたらラジオの仕事に行くよ。ちゃんと佐藤さんにお礼をしておくよう、担当のスタッフに伝えといてね」
「了解です! 車を出してきますね!」
「頼んだよ」
フミと話している間にミロクとシジュは佐藤の着ている服が気になるようで、二人は彼の背中を見たり、座らせたり立たせたりしている。
「こら。佐藤さんで遊ばない!」
注意するヨイチの声は聞こえているのだが、自分たちの衣装を他の人間が着るという状況に、ミロクとシジュは不思議な感覚をおぼえていた。
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