265、メンバーの気持ちを受け入れる弥勒。
会話多め。
夕方、モデルの仕事を終えて報告をしたミロクは、事務所から出ると真っ直ぐにスポーツジムへと向かう。
デスクワークをしていたフミに挨拶をした時にヨイチの姿がなかった。その理由を問うと彼はジムでトレーニングしているという話だった。
「俺も今日は行くつもりだったけど、ヨイチさんがこの時間からいるのは珍しいな」
ブツブツと呟きながら、少し走るくらいのスピードで歩いて行く。そろそろタクシーを使うように言われているミロクだが、運動不足は肥満への近道であるため歩くようにしている。
いや、歩くようにしているというよりも、彼には歩くという選択をせざるを得ない理由がある。ミロクは運転手と何を話せばいいのか分からなくなるという理由で、タクシーに一人で乗るというのが苦手なのだ。
慣れたビルの階段を一気に駆け上がると、やはり息を切らさず……というわけにもいかないミロクは、呼吸を整えつつスポーツジムに入る。
「こんばんは! ヨイチさんいますか?」
「こんばんは大崎さん。如月さんでしたらマシントレーニングルームに入ってますよ」
「ありがとうございます!」
トレーニングルームに入ってきたミロクを笑顔で迎えるヨイチは、ちょうど足を前後に蹴り上げるマシンを使っていた。キリのいいところまで動かしマシンから降りると、彼は流れる汗をタオルで拭い、置いてあるペットボトルのキャップを開ける。
「ミロク君、お疲れ様だね」
「ヨイチさんこそお疲れ様です。珍しいですね、この時間からトレーニングなんて」
「最近サボりがちだったからね。ここで取り戻さないと、ミロク君やシジュの足を引っ張ることになりそうだから」
「そうですか?」
彼の言葉に何かを感じたミロクは、真っ直ぐに彼を……『344』のメンバーであるヨイチを見る。
ペットボトルの水を半分くらいまで一気に飲んだヨイチは、ミロクの視線に気づいて苦笑する。
「大したことじゃないよ。ほら、今回のドラマ出演は本腰入れないといけないなって思ってね。社長業を一時的に休むことにしたんだよ」
「ヨイチさん……」
ミロクは知っている。これまでヨイチとシジュは自分自身のためではなく、ミロクのためにこのアイドルという仕事を始めたのだということを。
シジュは「面白そうだから」と言って楽しんでくれている。それはヨイチも同じであることは分かるのだが、社長業というのは彼にとってのライフワークだとミロクは思っていた。
果たしてこの仕事は彼の時間を割く、そこまでの価値があるのだろうかとミロクは思考の海に沈みそうになるのを、掬い上げるように言葉がかけられる。
「ミロク君、僕は僕がやりたいようにやっている。そしてそれを君に強要することはないし、これからもすることはないよ」
穏やかな中にも厳しさを含んだヨイチの言葉に、ミロクは少し驚いて目を瞬かせる。
「それはシジュも同じだ。最初は君のためにというのもあったかもしれない。でも、結局は僕らがやりたいと思ったからやっているんだ。『344』は君だけじゃない。僕とシジュのものでもあるんだからね」
「俺だけの、じゃない?」
「それに、フミや事務所のスタッフ、サイバーチーム、ファンの子たちはどうなるの。もう『344』は、勝手にどうこうできる存在じゃなくなったんだ。分かるかい?」
「……はい」
ヨイチの言葉、一つ一つを心に落とし込んでいく。元々素直なミロクは飲み込みが早い。しかし、自己評価が低いというのが彼の数少ない欠点だ。それをどう上げていくのかは、上司でありリーダーであり、兄のような存在である自分の仕事だとヨイチは思っている。
「分かりました。俺はもう、俺一人の体じゃないってことですね? ……痛いっ」
すぱこーんとイイ音を立てて、ミロクの頭を緑のスリッパで引っ叩いたのは、いつの間にか後ろに立っていたシジュだった。
「ミロク、お前は何を宿してるんだ。ヨイチのオッサンも笑ってねぇでちゃんとツッコミ入れろよ」
「ははは、ゴメンゴメン。シジュがいるから何とかしてくれるって思ってね」
それはミロクのボケもそうだが、この空気を一新してくれると期待してもものだろう。それを分かっていたシジュだが、少々照れ臭く感じてヨイチに向けて憎まれ口を叩く。
「まったく、年寄りはすぐ怠けようとするんだからよ」
「シジュ? 何度も言うけど君とは一年しか離れていないし、ボーナスカット」
「何でだよ! 横暴! 社長は一時休業だろ!?」
「権限は残しているよ」
「くそっ!! 図られたか!!」
「あははっ、もう、ヨイチさんもシジュさんも、いい歳して落ち着きましょうよ」
「いい歳って言うな!!」
ツッコミながらも、シジュは笑顔のミロクにホッとして目を細める。そこでシジュの格好がスーツだということに気づくヨイチ。
「そうだ、シジュは職場体験してきたっていうけど、どうだったんだい?」
「あ、そういえば知り合いの探偵事務所に行くって……どんな感じだったんですか?」
「おう。地味だったぞ」
「地味……」
「いや、地味とかそういうんじゃなくてね……そうそう、事務所にお礼の菓子折りを送っておかないと」
「いいって。俺がサムに適当な酒を渡したから」
「如月事務所としても必要でしょ。なんなら僕が直接挨拶しても……」
「あ、俺も行ってみたいです! 探偵ってどういうのか知りたいです!」
「ダメだ」
顔をしかめたシジュが強めにミロクを止める。珍しく不機嫌そうな彼の表情に、何があったのかヨイチとミロクは顔を見合わせる。
「シジュ、どうしたんだい?」
「……別に、何もねぇよ。ただそこの事務所長が女で『344』ファンだっつーから、挨拶にいったら俺を見てあからさまにガッカリした顔しやがった」
「あからさま、ですか?」
「その女、ミロクじゃねぇのかってブーブー言いやがってな。イラっとして俺のスマホに入ってる秘蔵ミロク画像を見せたら、鼻血噴いてぶっ倒れてたけどな」
「何やってるのかな、シジュは」
「サムが言うにはいつものことらしいから、ミロクのキスマーク付きのサイン色紙でも送れば、また鼻血噴いて喜ぶんじゃねぇの?」
ニヤニヤしながら話すシジュ。ミロクは「キスマークなら口紅何色にしようかなー」なとど真面目に考えており、そんな弟二人の様子にヨイチはやれやれとため息を吐くのだった。
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