251、変わらない気持ち。
「台風が近づいているみたいだから、気をつけて帰るんだよ」
「分かりました。社長も……あまりミロクさんのご家族にご迷惑かけないように」
「フミちゃん、やっぱり家に泊まっていけば?」
ヨイチとやり取りするフミを、ミロクは心配そうに見ている。不安のせいか少し潤んだ瞳に色気が滲み出ているのを見て、慌ててフミはミロクから顔を背ける。
「だ、大丈夫です。まだ風も弱いので……じゃ、皆さんお疲れ様でした!」
顔を真っ赤にして慌ただしく車に乗り込むフミに、ミロクは残念そうにしながらも「結婚前のお嬢さんにお泊まりは良くないか」などと昭和のお父さんのようなことを呟いている。
「相変わらず、無自覚にフェロモンを振りまくよね」
「え? 俺なんかやっちゃってました?」
「そういうのはここぞという時に使った方が……いや、ミロク君がここぞという時に出すのもなんか違うか……」
「ま、無自覚で天然っつーのがミロクの持ち味でもあるからなー」
フミの車が見えなくなったところで、シジュが甘い香りをまといながら会話に入ってくる。
「シジュ、その香り……もうお風呂に入っているとか、どんだけくつろいでいるの」
「いい湯だったぞー。相変わらずミロクの使ってるボディーソープが甘ったるいぜ」
「ああ、確かにこれミハチさんもたまに使ってるやつだね」
そう言いながら自分の腕の匂いをかぐシジュに、ヨイチも近づいてくんかくんかしている。そうかなとミロクも匂いをかいでいると冷たい空気を感じる。
「ちょっと。オッサン同士で何イチャイチャしてんのよ」
「あ、ニナおかえりー」
「よう、邪魔してんぞー」
「おかえり、ニナちゃん」
「……ただいま」
不機嫌そうな顔をしつつも、律儀に挨拶を返すところが大崎家の教育の賜物であろう。やけに色香漂うオッサンたちを見て、ニナは疲れたようにため息を吐くとリビングへと向かう。
「じゃ、僕もお風呂いただこうかな。ミロク君も一緒に入るかい?」
「狭いと思うんで、また今度にします」
「今度ならいいのかよ……じゃ、俺はリビングで待ってんぞー」
シジュが軽く手を振ってリビングに向かうのを見て、ミロクは口を開く。
「なんだかんだ、シジュさんはニナを気にしてますよね」
「気になる?」
「そりゃ、二人とも大切な人ですから」
「はは、それを聞いたらシジュは泣いて喜ぶだろうね」
「そうですか?」
「だって、妹さんと同じくらいシジュを大事だって思ってるってことだろう?」
ヨイチに指摘されたミロクは、その白い肌をみるみる赤くさせて俯く。そんな彼を微笑ましげに見るヨイチは、その黒髪をワシワシと強めに撫でると風呂場へと向かっていった。
以前のミロクならば、断然ニナの方が大事だと言っただろう。色々と変わったことに少しくすぐったく感じ、火照った頬を手で押さえながらリビングではなく自分の部屋に行くミロクだった。
「何よ」
「いや、急に来て悪かったなって思ってな」
「別に……お兄ちゃんが呼んだだろうし、私は関係ないでしょ」
「拗ねんなよ」
ニナの前になるようソファに腰をおろしたシジュは、濡れた髪を肩にかけたタオルで拭きながらテレビ画面に目をやる。当たり前のようにくつろぐ彼の様子に、ニナは不思議な気持ちになっていた。
CDを出したり、テレビに出たりしている人間が自分の目の前にいる。兄に対してはそこまで感じないが、他人であるシジュはやはり別なのかもしれないと考えたニナはふと思い出す。
「そうだ。悪いと思うならお願いがあるんだけど」
「んー? なんだ?」
「友達とかお客さんからサイン頼まれているんだよね。今日ちょうど三人揃ってるしお願いできる?」
「おう、書いとく」
オッサンアイドルとしてジワジワと活躍するようになり、ヨイチはともかくミロクとシジュはサインを求められることに未だ慣れていない。しかし応じる必要があるため、羞恥に悶えつつ二人は考えた。
ヨイチは昔のままアルファベットを変形させたもの。ミロクは漢字が難しいためひらがなで書くことにした。そしてシジュは漢字を崩したものである。
ニナの持ってきた大量の色紙を見て驚いたシジュだが、とりあえず自分のだけでもとスラスラ書いていく。ペンもぬかりなく同じものが数本用意されていた。さすが「デキる女」ニナである。
「へぇ、意外と達筆なのね」
「ホスト時代にメッセージカードとか文字を書く機会が多かったからな。通信のペン字とかもやってたぜ」
「メールじゃダメだったの?」
「上客って呼ばれる人ほど、手紙とかカードは喜ばれたし名前もおぼえてもらえたからな」
長い足を組み、色紙を膝の上に乗せて書くシジュ。その姿をしばらく眺めていたニナだが、風呂から上がったヨイチがリビングに来ると立ち上がって「じゃ、よろしく」と言ってそそくさと出て行った。
「おや、お邪魔だったかな?」
「うるせーよ。ほら、オッサンも書けよ」
「これはまた……大量にあるね。ミロク君は?」
「ここには来てねーぞ?」
「うーん、やっぱり僕はお邪魔しちゃったね」
「うるせーよ」
そう言いながらもスラスラとペンを走らせるシジュに、ヨイチはクスクス笑いながら座ってペンを取る。色紙を一枚取り同じようにサインを書きながら、少し真面目な顔でヨイチは口を開いた。
「ねぇ、シジュ。君はこれからどうなりたい?」
「あん? どうなりたいかなんて、オッサンにしては随分フワッとした言い方だな」
「社長としては、可能な限り従業員の要望をね……」
「オッサンはどうしたいんだ?」
ヨイチの言葉を遮るように、シジュはペンを走らせる手を止めて目の前にいる美丈夫を真っ直ぐに見る。湯上りの火照った体を気怠げにソファにうずめたヨイチは、切れ長の目に迷いの色を浮かべる。
「僕は……このままどこまで登れるのか試してみたい。シジュは?」
「俺は訳の分からないまま突っ走っていたからな。それでもこの年齢でどこまでいけるのかっつーのは興味がある。今更おりるつもりはねぇよ。実家の奴らにも啖呵きっちまったからな」
「ふふ、そうだったね」
「ミロクには聞かねぇのか?」
「まずはシジュからだと思ってね。僕とシジュが同じ方向を見てる方が引き込みやすいでしょ?」
「策士め」
「年の功ってやつだよ」
こういう時だけ年上ぶりやがってと、シジュはブツブツ言いながらも強く言うわけでもなくサインを書く作業に戻る。
なんだかんだ、兄二人は末っ子と一緒にいたいのだ。
それは例えアイドル稼業をしていなくとも、変わらない二人の強い気持ちがそこにあった。
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