236、子犬の終了と仄かな想い。
一瞬の空白の後、すぐさま再起動したフミはポワポワ慌てふためく。
「な、何を言って……事務所に話はしてるんですか!?」
「言ってない。俺が考えた」
「ドヤ顔で言うんじゃない!」
「いたい!」
ふふんと得意げに話すKIRAの後ろ頭を、緑色のスリッパですぱこーんと叩いたミロクは呆れ顔でいる。
確かに「監督と直談判」や「自分で仕事をとってくる」というアイドルはいるかもしれない。しかし大手芸能事務所であるシャイニーズは、そういうことに関してかなりシビアだ。
ちなみに小さいとはいえ如月事務所では、所属タレントに雑務をさせても「仕事をとってくる」というようなことは絶対にさせない。たとえその相手が身内だとしても、だ。
「何でだよー。俺がとってくれば楽でいいだろ?」
「そういう問題じゃないよ」
「そうですよ。こういうことには会社同士が話し合ったりする必要があるんですから。KIRA君が動いたら大変なことになっちゃいます」
「えー」
不満そうなKIRAの様子に、ミロクは彼の目線に合わせて腰を落とす。突然触れてしまうくらいの距離に整った顔を寄せられ、不意を突かれたKIRAの頬は赤く染まっていく。
「KIRA君」
「な、なんだよ」
「アイドルがアイドル以外の仕事をしたら、その瞬間からアイドルじゃなくなっちゃうよ?」
「……っ!!」
ミロクの言葉に何かに気づいたのか、KIRAはそのまま押し黙ってしまう。そんな彼の様子にフミは「言い過ぎですよ」という視線をミロクに送る。ポワポワな抗議の視線を物ともせずに、ミロクはそのまま話し続ける。
「売れっ子アイドルの君が営業活動するなんて、人の仕事を奪うような事をしたらダメだ。分かった?」
「……分かった」
「良し。いい子だ」
その柔らかな金髪をワシャワシャと撫でるミロクに「せっかくセットしたのに崩すな!」と怒るKIRAは少し嬉しそうで、やんちゃな子犬と飼い主といった雰囲気の二人にフミはほのぼのとした気分になった。
「あ、やべ、俺帰るわ」
「え? もう帰るの? せっかくだから練習とか見ていったら?」
「そうですよ。私許可とってきますよ?」
「いや、いいって。俺ここ来るの止められて……」
急に慌てて帰ろうとするKIRAを、不思議に思って引き止めるミロクとフミに悪気はない。しかし金色の子犬には天敵とも呼べる存在がここにはいるのだ。
「貴方は……ここで……何を……しているの……」
「ひっ!?」
辺りに響く怒りを含んだ声に、KIRAだけではなくミロクとフミも思わずビクッと体を震わせて恐る恐る振り返る。そこにはブリザードを纏った美少女が仁王立ちで立っていた。
「美海……」
「どうやらまだ躾が足りなかったようね。それと、誰が呼び捨てにしていいって言ったかしら?」
「み、美海さん、俺はちょっと来ただけで、すぐ帰ろうと……」
「言い訳無用!! 天誅!!」
「んぶっ!!」
ボール二つぶんの何かを思いっきり腹に受け、悶絶して膝をついたKIRAの首根っこをつかんた美海はそのままさっさと外へと連れ出していく。
美海の鮮やかすぎる手際に、呆気にとられるミロクとフミ。
「おーい、そろそろ練習再開するぞー」
「あ、はい!」
シジュの声に、慌てて練習場に戻ったミロクは、美海は大丈夫かと見回すとしっかりと準備万端で待機している。無論、胸元のメロンもしっかり装着済みだ。
練習終了後に「女心って、分からない……」というKIRAからのメッセージに、一体あの時に何があったのかとミロクは首を傾げるのだった。
「あ、佐藤さん!」
暗い夜道の中でも、見覚えのある高身長のスーツの男性に声をかけるフミ。振り返った彼……市役所職員佐藤は驚いたのか少しだけ表情に変化があったものの、すぐに元の無表情に戻った。
「どこまでですか」
「え?」
「送ります。こんな遅くに一人では危ない」
「あ、大丈夫です。ここからタクシーに乗ろうと思ってたんで……」
「では、タクシーがつかまるまでここにいます」
「ありがとうございます!」
茶色のポワポワ頭をペコリと下げるフミに、佐藤は自然と頬が緩むのを感じていた。
ここを通ったのは仕事でだったが、先方がやっかいな人間であり、相手をするのに酷く体力を消耗していた。重い足を引きずるように歩いていた帰り道で、日頃からお世話になっている事務所社長の姪、フミに会えたのは彼にとって嬉しい事だ。
彼女はいつも一生懸命で、アイドルのマネージャーとして献身的に努めている様子は、佐藤にとって好ましく感じるものだったからだ。
「……可愛らしい」
「え? 何ですか?」
思わず心の声が漏れてしまった佐藤を、不思議そうに見上げるその姿もとても愛らしい。そもそも美形の叔父ヨイチの姪であるフミが、可愛くない訳がないのだ。そんな彼女の視線から逃れるように遠くを見ると、ちょうどよくタクシーがこちらに向かって来る。
「……ほら、タクシーが」
「あ、タクシー!! ちょ、ちょっと、止まってー!!」
一生懸命手を振るフミの前を、無情にも通り過ぎるタクシー。がくりと肩を落とすフミの後ろから、ヌッと現れた佐藤が軽く手を挙げると、通り過ぎたはずのタクシーがピタリと止まる。
「え、すごい」
「たまたまですよ。では、これで」
軽く会釈して去ろうとする佐藤の袖を、フミは慌てて掴んで引き止める。
「ありがとうございます! 今度お礼をしますね!」
待たせているタクシーを気にしてか、早口で一気に言ったフミはポワポワと小走りで去っていく。その小さな後ろ姿を少し眩しそうに見送る佐藤は、小さくため息を吐いて帰路につく。
その足取りは、先ほどよりも少しだけ軽くなっていた。
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