235、練習風景と子犬の猛攻。
(何だか今日はやけに疲れた……)
空腹なのに疲れのせいか食欲がわかないニナは、夕飯を食べないことを母イオナにどう言い訳しようかと悩んでいた。
大崎家ではバランス良く食事を摂ることを推奨しており、「食事を抜く」という行為をするとそれはそれは恐ろしい説教タイムが待っている。少しでも食べればいいのだが、今のニナはとにかく早く布団に潜り込みたい気分だったのだ。
しかし、自宅に近づくとともにスパイシーな香りに出迎えられる彼女は、知らず笑みを浮かべている。
「ただいまー!」
「おかえりなさい、ニナ」
「お母さん、何カレー?」
「ふふ、ニナの好きなキーマカレーよ」
「卵は!?」
「温玉作ってあるわよ。早く着替えてらっしゃい」
ニナはカレーが好きで、その中でもキーマカレーと温泉玉子の組み合わせが一番好きなのだ。
一気に食欲を取り戻したニナは慌ただしく自室へ向かおうとし、ふと振り返って母親に問う。
「お兄ちゃんは?」
「今日は泊まりがけで舞台の稽古みたいよ」
「お姉ちゃんは?」
「またお仕事が忙しくなってきたみたいね。来週また海外行くみたいよ」
「そっかぁ……」
少し寂しそうなニナの珍しい様子に、イオナは微笑みながら末っ子の頭を撫でてやる。
「お父さんは帰ってきてるから、一緒に食べれるわよ」
「んー、お姉ちゃんかお兄ちゃんに話したかったんだけどなー」
父親のことをぞんざいに扱うような娘ではないのだが、ニナの言葉を聞いた父イソヤは若干落ち込んでしまう。そんな父を母が慰めるのを見ながら、ニナはつらつらと考える。
(姉さんまた出張……このままだとヨイチ義兄さんとは遠恋みたいになっちゃうんじゃ?)
余計な心配だと思いつつも、最近あまり顔を合わせていない姉を無理にでも休ませようと決意するニナだった。
もう 苦しまなくていい
もう 傷つかなくていい
君だけを守るから
側にいて 離れないで
さぁ ここから連れ出そう
さぁ 迷わず手をとって
君だけに教えてあげる
この世界の 真実を
舞台装置に見立てた木箱を歌いながら降りて行く三人の美丈夫を見て、他の役者やスタッフ達は感嘆の声を漏らしている。思わず見とれてしまった美海以外の女子二人は演出家から「集中しろ!」と注意を受けていた。
「ここでいちいち見とれてたら、やっていけんだろうが」
「すみません」
「つい、かっこよくて……」
「まぁ、気持ちは分かるが慣れておけよ。メロンは平然としているぞ」
そう言われてイチゴとミカン役の少女二人は、メロン役である美海を見る。その艶やかで真っ直ぐな黒髪は高い位置で結わえ、Tシャツとジャージという姿でもなお美少女であることは変わらない。少し鼻の頭が赤くなっているのが不思議ではあるものの、何も演じていない彼女は無表情のまま静かに立っている。
「すごいねメロンちゃん」
「うん。尊敬する」
役に慣れるため、普段から役名で呼び合うことを提案したのは美海だった。演じることに慣れていないのであれば、日常生活にあるていど演じる役を取り入れるというのは悪いことではないだろうと美海は考えたのだ。
「メロンは演じることよりも、そのデカいのに慣れろ」
「……はい」
アニメ『ミクロットΩ』でのメロンというキャラクターは、総司令官である父を持つ生粋のお嬢様である。そして彼女が持っているものは金と権力と、破壊的なまでに大きい自家製メロンである。
美海の胸が極端に小さい訳ではない。本人曰く「成長期を経た未来を視れば自ずと分かるはず」という大きさだ。(言葉の意味は誰も怖くて聞けないらしいので、ぜひとも本人に聞いてほしい)
アニメに寄せて創り上げる2.5次元という舞台には、そのアニメのキャラに外見も内面もなりきらねばならない。それゆえ、今の美海の胸には擬似的なブツが取り付けられている。
「これ、すごいね」
「……重い。でも、触ったら柔らかい。謎のブツだよ」
「うわぁ、本当だ。なんだこれ柔らかい!」
メロンの擬似メロンに興味津々な少女達を、ニヤニヤ見ているシジュはヨイチからスリッパで叩かれている。ミロクは本物ならまだしも偽物には興味がない……そもそもフミ以外の女性に性的なものを感じないため、ペットボトルの水を飲みながらふとフミの声が聞こえたような気がした。
「すいません。ちょっと今トイレ大丈夫ですか?」
「ちょうど休憩に入るからいいぞ。主役三人は居残りだ」
「「「はい……」」」
かわいそうな少女達を残し、ミロクは軽やかに練習ルームから出ると思った通り茶色のポワポワな頭を発見する。
「フミちゃん!」
振り返った彼女の愛らしい顔に目を細めたミロクは、その後ろに見える金髪の男の姿を認識すると同時に一気に表情が冷たく変わる。
「うちの可愛いマネージャーに用があるなら、俺を通してくれるかな。KIRA君」
「いや、それおかしいだろ。普通逆だろ」
「何を言ってるの。これは社長であるヨイチさんからも言われていることなんだから」
「叔父さんったら、何を言ってるんだか……ミロクさん、彼は美海さんに用があるみたいなので、私は関係ないんですよ。むしろ美海さんのことを気遣ってあげないと……」
前回、美海に会いにきたKIRAは、舞台練習の場に関係者以外の立ち入りを禁止しているために入れなく、泣く泣く帰っていった。しかし今回、KIRAは関係者として入ることができたようだ。
「執念ですね」
「バカ……何とかの一念が関係者以外立ち入り禁止の壁を通したね」
「長ぇよ! それと何とかの前に、しっかりバカって言ってんの聞こえてんだよ!」
相変わらずキャンキャンうるさいKIRAだが、ミロクは彼を弟のように見ているため気にしていない。そんな兄のように接するミロクの、いつもと違った甘い雰囲気にフミは内心身悶えている。
「それで、今回はどうやって入り込んだの?」
「おう、監督と演出家に直談判しにきた」
「直談判、ですか?」
「俺を使えって。アニメに出てるだろ? ディーバに乗れる唯一の男性キャラクター『キウイ』として役が欲しいって」
「「はぁっ!?」」
お読みいただき、ありがとうございます!
ちょこちょこ、書籍版のオッサンアイドルが書店で見かけないというお話を聞きます。
書店ならば「お取り寄せ」ができますので、ぜひともよろしくお願いします。
タイトルを言うのはちょっと……という、恥ずかし乙女な(男性も含む)方々は、ISBNコードでお願いするという裏ワザもw




