215、演じ手として譲れないこと。
関東圏内の書店には、もう出ているようです。
書籍版のオッサンアイドルもよろしくお願いします。
「結局、衣装の着物をもらっちゃったねぇ」
「デザイナーの遠野さん、サインのお礼とか言ってましたけど、これって値段……」
「怖いから考えない方がいいと思うよ。フミ」
嵐のように過ぎ去った着物イベントの翌日、事務所にてデスクワークに励むヨイチは、マネージャー業に勤しむフミの考えにストップをかけている。
「着物の世界では有名なデザイナーさんみたいですから、デザイン料とかすごそうですね」
「結局、四揃え貰っちゃったからね。……ん? フミ、お客さんみたいだよ」
ガラス張りになっている事務所の入り口に人影が見え、ヨイチに言われてフミは慌てて立ち上がる。現在たまたま内勤のスタッフが出払っており、受付には誰もいない。
しかし、その客の顔を見たフミは一瞬驚いた顔をした後、ほわりとした笑みを浮かべる。
「高本さん!」
まだ数回しか会っていないものの、さすがにフミは憶えていた。高本はアニメ『ミクロットΩ』の敵役である騎士、シジュの声を担当している声優だ。
バリトンボイスを心地よく響かせる彼の美声は、日々乙女達は悶えさせている。
「あ、『344(ミヨシ)』のマネージャーさん! どうもっす!」
「お久しぶりです。『ミクロットΩ』のイベント以来で……あ、こちらにどうぞ」
「ありがとうございます!」
高本を会議室に案内したフミは、こっそりヨイチのデスクまで戻る。
「すいません案内してしまって。アポとってませんよね」
「構わないよ。知らない仲じゃないし、ちょうど一区切りついたところだからね。話だけでも聞いてあげよう」
「はい」
仕事であれば高本もアポイントをとっていたに違いない。厄介ごとでなければいいなと、ヨイチは軽く息を吐いてからパソコンの電源を落とした。
マットの上に足を投げ出し、ゆっくりと息を吸い、吐きながら腹から太ももに付けるようにゆっくりと上半身を倒していく。以前は微動だにしなかった上半身だが、今は多少柔らかくなったとミロクは自画自賛する。
ちなみにシジュは足に体をつけるどころか、床にまで上半身をべったりと付けられる。ミロクは密かに「シジュ軟体動物疑惑」を持っているが、怒られるので口には出さない。
「大崎さん、ずいぶん柔らかくなりましたね。素晴らしいです」
「ありがとうございます! 鬼監督シジュさんのおかげです!」
インストラクターの男性は、ミロクのはにかんだ笑顔を真正面から受け、一瞬ぐらりと体を傾けたものの即時自分を取り戻す。心なしか赤らんだ頬に手を当て、「頑張ってください」と一声かけてからその場を去る彼は、誰が何と言おうとプロである。これがプロ根性なのである。
「昼間っから何をタラシてんだ、お前は」
「いひゃい! いひゃいでふしじゅしゃん!」
後ろから頬を摘まれ伸ばされるミロクは、伸びゆく頬の痛みに堪らず声を上げる。涙目で後ろを振り向くと、日に焼けた顔をニヤつかせているシジュがいた。
「はい、その涙目も禁止だ禁止!」
「痛いから勝手に出たんですよ!」
「痛くされるようなことをするからだろーが」
横暴?な兄の所業で少し赤くなった頬を撫でつつ、ミロクはシジュを見て呆れたような顔をする。
「まったくシジュさんは、今日は夕方までオフなんだからゆっくりしてればいいのに」
「お前だってトレーニングしてんじゃねぇか」
「俺はストレッチしてただけですしー、ゆっくりしてますしー」
「ぐっ……ミロクのくせに生意気なっ……」
そう言いながらも、シジュはミロクの少し固めの髪をワシワシとかき回す。すると、シジュのスマホがジャージのポケットに入れたスマホから着信音が聞こえる。
「やべ。マナーモードにしてなかった……何だ、ヨイチのオッサンからのメールか」
「え? ヨイチさんですか?」
「なんか事務所に来いってよ。ミロクも一緒に」
「え? 俺もですか? 何でシジュさんと一緒だって分かったんですかね」
「大体いつも一緒にいるからだろ。トレーニングも空き時間にやってっし」
「ですね」
まだ昼前で、夕方のラジオ放送までは時間がある。二人は来たばかりのスポーツジムと泣く泣くお別れをし、急いで事務所に向かった。
ほんのり柚子の香りがする緑茶を出された高本は、スッと軽く鼻から息を吸って香りを楽しむ。そんな彼のリラックスした様子から、そこまで深刻でもなさそうだとヨイチは少し肩の力を抜いた。
「それで、今日はどうしたんですか?」
「突然すみません。アポをとるというほどではない用事だったので……不味かったですかね」
「いえ、大丈夫ですよ。うちの事務所は、スタッフが誰もいない時もあるので」
「なるほど。いや、すみません。本当に大したことではないんです」
恐縮したように肩を縮こませた高本は、にこやかな顔をそのままにヨイチを真正面から見る。彼の目がまったく笑っていないことに気づき、ヨイチも軽く姿勢を正す。
「ヨイチさん、舞台とか興味ないですか?」
「舞台、ですか?」
「はい。以前イベントで『ミクロットΩ』のコスプレしながら、軽く舞台演劇みたいなのをしてたじゃないですか」
「アレですか? いや、アレはお遊びみたいなもので……」
「あのですね。今度『ミクロットΩ』が舞台化するっていう話があってですね」
「アニメが舞台になるんですか?」
「流行っているんです。『バドプリ』や『銃器乱射』とか、アニメやゲームを題材にした舞台が」
そこまで言うと、高本は一息ついて温かいお茶に口をつける。
「これは正式な出演依頼ではないんですよ。まだ企画段階なんで。だからひとり言として聞いてもらおうかと思いまして」
「ひとり言ですか。なぜそれを『344(ミヨシ)』に言うんですか?」
ヨイチの切れ長な目は、探るように高本も見る。そんな目線を受けても、高本の姿勢は崩れない。
「そりゃあ、声だけとはいえ『ミクロットΩ』で演じた人間ですからね……嫌なんです」
そう言うと、高本はヨイチを真っ直ぐに見た。
「嫌なんですよ。俺たち三人の役を『シャイニーズ』が演るのは」
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