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オッサン(36)がアイドルになる話  作者: もちだもちこ


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212、猫カフェアイドルと市役所の佐藤さん。

 佐藤慧さとうさとしは、市役所の職員……いわゆる公務員である。元の仕事は転勤が多く、母親が病に倒れたのをきっかけに転職したのだ。

 給料は下がったものの、安定した給料と残業の少ない市役所勤務は、家のことが何も出来ない父親と入院している母親の看護のためにも良い条件であったと言える。

 幸いにも母親の病は全快した。そもそも軽い肺炎だったのだが、動揺した父親が死に至る病だと早合点し息子に泣きついた。親思いの彼はその日のうちに辞表を提出した。

 しかし、する必要のなかった転職をした彼は今、人騒がせな父親に人生最大の感謝を捧げている。

 彼は出会ってしまったのだ。

 彼の『アイドル』に。


「いつも応援ありがとうございます! えーと、加藤さんですよね!」


「佐藤です。この後のライブ頑張ってください」


「はい! ありがとうございます!」


 ライブ前の入り待ちをして声をかける。この一瞬の逢瀬のために、彼は同志と呼ばれるファン仲間と共に始発で横浜でまで来ていた。

 佐藤は地元にある猫カフェで活動する地下アイドル『ぬこたんず』のファンだ。毎日定時で仕事を終わらせ、時間の許す限り彼女たちの活動場所である猫カフェに足を運んでいる。メディアに露出がほとんどないマイナーな彼女たちのファンは少なく、佐藤のように猫カフェの常連客となって応援するファンは喜ばれた。

 そして今日、横浜で大きなイベントに『ぬこたんず』が参加するとの情報を得て、彼は彼女たちの応援に駆けつけた。入り待ちをしている『同志』と呼ばれるファン仲間も嬉しそうに彼女たちに声をかけている。

 フワフワした猫耳を付けて、尻尾を揺らして笑顔を振りまくアイドル達を、佐藤は眩しそうに見ている。

 そして彼は心の中で叫ぶ。


「転職して、よかった!!」と。







 控え室に現れた壮年の男性は、穏やかな笑みを浮かべている。濃紺に白の縞が入った夏着物をしっかりと着こなし、手には風呂敷に包まれた四角い何かを持っている。


「すいません。イベントスタッフさんに案内してもらったんですが、着物のデザインについての会話に、つい口を挟んでしまいました」


「デザインの……ということは、あなたが今回衣装のデザインをされた遠野先生ですか?」


 ヨイチの言葉に、遠野は笑顔を深めて頷く。


「ええ、これほどまでに美しく着こなしていただいて、デザイナー冥利につきますね。あ、そうそう。差し入れを持ってきたので皆さんで……」


 鮮やかな空色の風呂敷から取り出したのは、老舗和菓子店の最中だ。それを見てミロクはパッと顔を輝かせる。


「これ! 美味しいですよね! 最中の皮と餡が別々になってて、食べる時に挟むからサクサクで餡の中の求肥がもちもちで!」


「珍しいな。ミロクがこういう土産に食いつくの」


「だって、シジュさんがお菓子食べるなら和菓子にしろっていうからですよ。たくさん食べれないから吟味するようになって、最近和菓子に詳しくなっちゃいましたよ」


「お前、俺のせいみてぇに言うけど、菓子を食わない選択は無かったのかよ」


「無いです!!」


「…………」


 ミロクとシジュのやり取りに、聞いていた遠野は思わず噴き出す。ヨイチは少し恥ずかしそうに頭を下げた。


「すいません、遠野先生の前でこいつらは……」


「いえいえ、実は今回の仕事を受けたのは下心もありましてね」


 そう言って遠野が取り出したのは、千代紙で綺麗に飾り付けられた色紙だった。


「私も妻も、お三方のファンでしてサインをいただこうかと。ラジオも毎回聴いています。先ほどの会話もラジオのようで嬉しかったのですが、妻に恨まれそうですね」


「それは光栄です。それで、今日奥様は……」


「妻も着物に携わる仕事をしておりましてね。今日は着付け教室なので来れなかったのですよ」


「なんだ。それは残念だな」


「じゃあ、俺たちのサインと、それぞれ一言コメント書きましょうか」


「ありがとうございます! 妻も喜びます!」


 高そうな色紙に少し緊張しつつミロク達はサインを書く。そんな中でヨイチはふと、遠野の持っている紙袋から黒い布地が見えているのに気づく。


「もしかしてこれは、玄武がモチーフとなっている衣装ですか?」


「ああ、はい、そうです。せっかくなので見てもらおうと思いまして」


 広げた黒の中に、銀糸で亀に巻き付いた蛇が刺繍されている。甲羅の部分は光の加減で色の見え方が違うように糸が使われており、幻想的なデザインになっていた。


「これもまたすごいですね」


「ええ、お三方のイメージカラーをきいて閃いたんですよ。ひとつ余ってしまいましたけどね」


「んー、これだと男物だし、チマ子じゃそもそも足りねぇしなぁ」


「ダンサーは女性ばかりだし、僕たちを基準に仕立ててもらっているなら、かなり身長がないと着こなせないよね?」


 残念だと言い合っていると、外に出ていたフミが戻ってきた。そして、その後ろから大きな影が入るのを見たミロクは、何事かと立ち上がってフミを迎え入れる。


「あ、ミロクさん。さっき偶然会ったんですよ。市役所の武藤さんと」


「佐藤です。如月事務所の方とお会いできるとは驚きました。こんにちは」


 驚いたと言いながらも、一切表情を変えないまま佐藤はぺこりとお辞儀をした。佐藤がフミと一緒にいることに不機嫌になりつつあるミロクを抑えつつ、ヨイチが前に出る。


「すごい偶然ですね。 佐藤さんも着物にご興味が?」


「いえ、自分は隣のイベントに来ていたんです」


「ん? 隣のイベントって何だっけ?」


「今日は『集え! 地下アイドル初夏の祭典! 〜モエモエキュンキュンにしちゃうぞ(はぁと)〜』という大きなイベントがありまして」


「モ、モエモエ、ですか……」


「はい。『モエモエキュンキュン(はぁと)』ですね」


「はぁ……」


 無表情のまま復唱した佐藤に、顔を引きつらせつつも何とか笑顔をキープするヨイチ。ゴツくて体格のいい佐藤の衝撃的な言葉に、シャイニーズスマイルが上手く発動できないようだ。


「自分の推しは、猫カフェアイドル『ぬこたんず』です。彼女たちの応援に来ました」


「ぬ、ぬこ……」


「はい。『ぬこたんず』です」


「はぁ……」


 佐藤と引きつった顔で話すヨイチの横で、シジュは呆気に取られた顔をしている。ミロクとフミはお互い顔を見合わせ、こてりと同時に首を傾げるのだった。



お読みいただき、ありがとうございます。

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