205、王子様の従者のお仕事。
ミロクたちが夜の街に出かけることに、フミは特に反対はしていなかった。社長である叔父も付き添うと言っているし、マネージャーとして問題はないと思い納得した。
それでも、純心で真っ白なミロクが、着飾った夜の蝶に囲まれているのを想像すると、フミの胸はキュッと苦しくなる。彼に「行かないでほしい」などと言える立場ではないのに。
そんな胸の内を隠してオッサン三人が出て行くのを笑顔で見送り、事務所に一人残ってデスクワークをしているフミ。彼女の後ろに忍び寄る影……。
「ミロクさん行かないで……」
「ふえぇぇ!?」
驚いたフミは、座ったまま数センチ飛び上がる。慌てて後ろを振り向くと、先ほどまで嬉々としてオッサンたちのヘアメイクをしていたニナが立っていた。
「フミちゃんの心の声」
「そ、そんなこと思ってないです! あの、ニナさん帰ったんじゃなかったんですか?」
「次は女子の番だから」
「へ? え? いや、あの、え?」
疑問符を多く飛ばしているフミに構うことなく、ニナは手早く服を脱がしていく。事務所に響き渡るか細い悲鳴は幸いにも外に漏れることはなく、ポワポワ猫っ毛な小動物はニナに思う存分弄ばれて(?)しまい……。
「まさか、ミロクさんたちがホストクラブに行くとは思ってなかったです」
「何? マネージャーはミロクが女の子がいっぱいいる店に行って欲しかったとか?」
ニナを挟んで向こう側に座るシジュが、面白がるような表情でフミをからかう。
「いえ、そんな……」
「こらシジュ、僕の可愛い姪っ子をイジメたらお仕置き追加だよ」
「お仕置きって何! 怖いんですけど!」
フミの隣に座るヨイチが、冗談っぽく笑顔で言っているものの目は笑っていない。兄の様子に弟は首をすくめると、そっとニナの後ろに隠れるように座り直す。
半円を描くように設置されたソファに、フミとニナを挟むようにヨイチとシジュが座っている。裾がふんわりと広がるワンピースを着たフミとは対照的に、ニナはタイトなワンピースに薄手のジャケットを羽織っていた。そんな彼女たちを囲むオッサンたちは、若い女性を誑かす美中年ホストといったところであろうか。
フミをからかったせいか、シジュを見るニナの視線は冷たい。そんな彼女の様子に気づいたシジュは悲しげな表情をしてみせた。
「そんな表情してもダメ。他の女性みたいに私は騙されないから」
「人聞き悪いこと言うなよ。俺そんなことしねぇぞ。優しいシジュさんで通ってんだからな」
「でもホストって、女性と疑似恋愛とかするんじゃないの?」
首を傾げるニナ。隣にいるフミも同じように首を傾げている。
「そういうホストもいるらしいけど、シジュは基本面倒くさがりだからね。通常の接客を最短実働時間するだけで、ホストの中で真ん中くらいの収入だったらしいよ」
「それで真ん中ならナンバーワンにもなれたんじゃないの?」
「面倒くせぇだろ。俺そこまで働きたくねぇし」
「いやいや、真ん中あたりの売り上げをキープ出来るホストなんて、滅多にいないよシジュ」
「そうか? 普通だろ」
シジュのキャラクターに似合わないキョトンとした表情を見て、思わずニナは吹き出す。「シジュさんチートですね!」と、フミが最近覚えた言葉を発し、たまらずヨイチも吹き出した。そんな彼らを憮然とした様子で見ていたシジュだが、ニナの笑顔に小さく息を吐く。
ふと、シジュの横に寒川と同じ服装の男性が近づき、小さく耳打ちをする。
「準備できたようだな。ではフミ様とニナ様、当店『本日のナンバーワンホスト』をご紹介いたします」
気取った様子でお辞儀をするシジュとヨイチ。黒服の寒川が先導して来たのは……。
「ようこそ、お姫様。俺のことはミロクと呼んでください」
そう言って艶やかに微笑んだのは、真っ赤に茹だったフミの前に優雅な動作で膝をつく『王子様』だった。
「これ、完璧お兄ちゃん私を見てないよね。別にいいけど」
「まぁまぁ、俺がいるから許してやってくれよ」
「……いなくてもいいんだけど?」
「冷たいなっ」
フミをエスコートするミロクを見て、妹であるニナは複雑な表情だ。それでもシジュに対して憎まれ口を叩くくらいは元気なようだ。
「お兄ちゃん、ちゃっかりフミちゃんと二人のスペースを確保している……あの黒服の人が自然に誘導しているんだ。すごい」
「全体を見て、ホストの接客の割り振りしてるのも黒服の仕事だからな。サムはハイスペックだから、ホストの教育や事務仕事までこなす変態だ」
「仕事出来る人を変態呼ばわりって……あれ? ヨイチさんは?」
いつの間にかこの場にいないヨイチを探すニナに、シジュがそっと指をさす。少しずつ増えてきた店の女性客がミロクに相手をしてもらいたくて奥に行こうとするのを、ヨイチが相手をしつつやんわりと止めているのだ。
スーツの上からでも分かる均整のとれた筋肉、和を感じさせる整った風貌に切れ長の目を向けて丁寧に対応されれば、どんな女性でもうっとりしてしまうだろう。
例に漏れず、他の女性客もその色香に翻弄されているうちに、いつものホストが他の場所に連れて行くというのを繰り返している。この店のホストの平均年齢は二十代半ばのため、あまりいない四十代の大人の色香に当てられる女性客が続出していた。
「行かなくていいの?」
「今日は客として来てるからな」
「ヨイチさんも客じゃないの?」
「あれは事務所の社長として、所属タレントを守っている一環だろ。サムもいるし……ん? 何? 俺の華麗なるホストのテクニックが見たいとか?」
「バカじゃないの?」
呆れたようにシジュを見るニナに、彼はソファの背もたれに身を預けると、整えている髭を撫でながら言った。
「俺がここ離れたら、違うホストが来ちまうだろ。ここはお客を一人にしないからな」
「別に、それでも……」
実はあまり男性が得意ではないニナは、一瞬言葉に詰まる。それを見透かされたくなくて強がる彼女に気づいたシジュだが、それは指摘せずに続ける。
「知らない顔より知ってる顔がいる方が、ミロクが安心するだろ。『お兄ちゃん』のためだと思って我慢しとけ」
「……わかった」
しぶしぶ頷いたニナに、シジュは「いい子だ」と言って、子ども扱いするなと、結局またニナを怒らせるのだった。
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