190、大崎家の一幕と、弥勒の気合。
深夜の帰宅となったミロクの妹であるニナは、それでも玄関で靴をきちんと揃える。どんなに急いでいても命に関わらない限りはマナーを守る、それが大崎家の家訓にあるのだ。
それでも我慢出来ずにダイニングに駆け込んで来た娘の様子に、今日ばかりは母親のイオナも目を瞑ることにする。
「そんなに慌てなくても、まだ始まっていないわよ」
「録画はそのままにしておいてね!」
「分かってるわよ。とりあえずご飯食べなさい。まだなんでしょ?」
「ありがとう。ソファで食べてもいい?」
「しょうがないわね」
クスクス笑う母の様子を見て、ニナは少し頬を膨らませる。普段は表情を変えない彼女も、母親の前では子供っぽくなる。
「だって、お兄ちゃんのアドリブ劇だよ?初めてのだよ?初回の放送だけはリアルタイムで観たかったの」
「ニナは本当にお兄ちゃん大好きなんだから。ミハチも『ブラコン』って言ってたものね」
「ブラコンじゃないよ!家族思いなだけだよ!」
母親の用意した夕飯の唐揚げを頬張りながら、早速テレビの画面に注目するニナ。そんな娘の様子を楽しげに見ていたイオナの後ろのドアから、ちょうど風呂上がりのイソヤがダイニングに入って来た。
口には出さないが、息子の活躍を一番喜んでいたのは父親のイソヤである。今日もミロクの出ているドラマのスピンオフが深夜に放送されるとあって、その前に風呂を済ませて来たのだ。
「もうすぐかな?」
「ええ、ちょうどニナも帰って来たから、一緒にみれるわね」
「最初はミロクがモデルとかアイドルとか、どうなる事かと思ったけど。さすが君の息子だよ。しっかりやり遂げているね」
「ふふ、あなたの息子でもあるのよ」
「ほら、お父さんもお母さんもイチャイチャしてないで。もう始まるよー」
微笑み見つめ合う夫婦に向かって、ウンザリしたようにニナが声をかける。せっかくリアルタイムで観れる状態なのに、この二人は放っとくと延々とイチャイチャするのだ。
若い頃、大恋愛の末結ばれたというのもあるとは思うが、もういい歳なので少しは自重して欲しいと思いつつも、二人のような恋愛をしたいという憧れがニナにはあった。
(まぁ、私にはしばらく無理かなー)
きっと叶わぬ恋になるだろう相手の顔を思い浮かべ、それを脳内から追い出すようにプルプルと頭を振る。
追い出したところで再びテレビ画面に出てきてしまうのだが、画面の向こうにいる彼は『アイドル』である。
(さてと。しっかりとお兄ちゃんの勇姿を目視に焼き付けなくちゃ)
半ば強引に思考を変更したニナは、今度はタルタルソースをたっぷりとつけた唐揚げを口いっぱいに頬張るのだった。
「えっくし」
「シジュさん風邪ですか?」
「いや、これは女だな」
「どんな判断でそうなるんだい?」
マネージャーのフミの運転する車には、オッサンアイドルの三人が乗り込んでいる。続け様に出るシジュの漫画のようなクシャミに、思わず吹き出すヨイチ。
「女性からの何かにしても、そんなに出るなんてどんな思われ方をしてるんだろうね」
「きっと俺の事を好きで好きでたまらないんだろうなー。あー、罪な男だな俺はー」
シジュを想う『かの女性』が聞いたら、彼はきっと無事ではいられないだろう。色々な意味で。
「それにしても……第一回のスピンオフ撮影はアドリブドラマでしたけど、俺全然ダメダメで、すみませんでした。」
「まぁミロク君の演じる弥太郎は口数少ないキャラだから、とにかく僕らが頑張るしかなかったっていうのもあるよね」
「おう。疲れたぜ」
クシャミを連発したせいか、鼻をすすりながらもまったく疲れた様子を見せないシジュ。彼のすごいところは疲れている状況でも『疲れた様子を見せない』ところだろう。
いつかミロクが、シジュに「なぜ疲れないのか」と聞いたことがある。
「アイドルってのは他人に見られての商売だろう?『夢を売る』って言うのは言い過ぎかもしれねーけどな。ホストもそうだったんだ。客に『夢』を見せるんだよ。だから誰かの目があるところじゃ、俺は素を見せねーんだ」
「でもシジュさんは、俺たちしかいなくても疲れた顔を見せないですよね?」
「当たり前だろ。仲間だからこそ気持ちよく仕事してぇし。ミロクだって怪我したのを隠してたじゃねぇか」
「アレは本番前でしたし……」
「同じだろう。それは信頼してないとかそういうんじゃねぇよ。空元気でもなんでも、俺らはアイドルだ。他人だろうと仲間だろうと、心配させるようなパフォーマンスをするなんざ、プロじゃねぇだろ」
「そう、ですね」
「本当に無理なら無理って言うしな。この歳だからこそ自分の限界くらい知ってる。まぁミロクは限界を知った上で無理するから怒られるんだぞ。気をつけろよ」
そんな会話をミロクは思い出しつつ、後部座席の隣に座るシジュを見る。じっと見られていることに気づいたのか、シジュは「こっち見んな!」と言いながら照れ臭そうにそっぽを向く。
(今回はアドリブが上手くない俺のせいで、ヨイチさんとシジュさんの足を引っ張っちゃったな)
心の中で反省しつつも、今回の撮影で流れは掴めたような気がするミロク。次回はゲストを交えてのアドリブドラマとなるため、また違った雰囲気になるだろう。
(ん、次はもっと上手くやれる)
ミロクの良いところは、失敗したイメージをプラスのイメージに出来るところだ。それが出来るようになったのは、引きこもっていた頃にネットゲームで知り合った人達との交流で教わった、イメージトレーニング方法のおかげだと思われる。
(経験に勝る知識はないって教えてもらった)
一見無駄とも思える経験でも、何が幸いとなるか分からない。
長く引きこもっていたミロクも、ネットという交流はずっと続けていた。そしてそれは今でも続いている。
手に持っているスピンオフドラマ、第二話のプロットに目を落とし、ミロクは次こそはと再度自分に気合を入れるのであった。
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