178、新曲の内容とボイストレーナー弥勒。
遅くなりましたー。
ボイストレーニングに使っているスタジオの重いドアノブを、片手で軽々持ち上げて開けるミロク。幼い頃の自分はこのタイプのドアを開けるのさえも大変だったなと、何となく思い出しながら手慣れたように電子ピアノの準備をする。
(電子ピアノは音量調節できるのが便利だな)
ボイストレーニングにピアノを使うのも良いとは思うミロクだが、音量調節出来る電子ピアノの方が声の調子に合わせることができるので重宝している。
「ほらシジュさん、座ってないで腹式呼吸からやりますよ」
「ヨイチのオッサンが来てからでいいだろー。どうせイチャこいているんだからよー」
「シジュ、僕はいるからね。ここにいるからね」
「あ、いたのオッサン」
「だからね、僕は君の一個上でね……」
「はい!!二人とも腹式呼吸から始める!!」
「へーい」
「はーい」
基本ボイストレーニングの時間にトレーナーが不在の場合は、ミロク主導で行なっている。そして彼のトレーニング方法は本職のトレーナーよりも厳しい。
柔らかな床材が敷かれているとはいえ、仰向けになってひたすら腹式呼吸を行う三人のオッサン。はたから見ればシュールだが、本人達はいたって真剣である。一番スタミナのないはずのミロクは、この手のトレーニングは軽くシジュ以上のペースで進めているのが不思議だ。
「あ、ヨイチさん。デモのデータあるんですか?」
「メールで送ってもらったよ。かなり出来上がっているからイメージしやすいんじゃないかな」
「それは助かるな。俺って想像力ねぇから」
ピアノやギターのみの物とは違って、いくつかの楽器で組み合わさっていると曲のイメージを掴みやすく歌いやすい。
今回は女子高生作家のヨネダヨネコ作詞で、尾根江が曲を担当している。プロデューサー業の傍ら数々ヒット作を生み出す彼は、本物のヒットメーカーなのだ。
「楽譜のデータはプリントアウトしておいたよ。メロディラインはここね」
「うわ、本当に出来上がっているんですね。ワンコーラス部分だけでも、ここまで出来ているのはすごいですよ」
「ヨネダ先生の走り書きした文章を担当編集者が上に見せたらしい、そこから編集長経由で尾根江さんに繋がって、スピンオフ関係なく曲は作るつもりだったみたいだよ」
「何も聞いてないこっちとしては、振り回されている感じがするな」
「まぁ、尾根江さんの思いつきはヒットに繋がりやすいからね……」
周りが動くの早いよねと苦笑するヨイチ。話している二人の横で、初見でメロディだけではなくコードから伴奏を弾くミロクに、シジュは軽く口笛を吹く。
「相変わらず上手いな。その記号だけで伴奏みたいなの弾けるのか」
「適当ですよ。俺ギターは管轄外ですから、なんとなく『C』なら『ドミソ』みたいな感じで弾いてますよ。基礎は習ってるんですけど」
「ミロク君はピアノをやっていたんでしょ?コードとかって習うの?」
「一応座学みたいなのもやったんですよ。和音での長調と短調とかは小学生にあがる前に習ってましたから、ギターのコードはその延長みたいなものです」
「お前、音大とか行けば良かったんじゃねぇか?」
「十年やってれば、皆それくらい出来ますよ」
「そうなの?」
ヨイチは首を傾げる。音楽に関して素人である彼には、ミロクの技術が高いように見えていた。ちなみにピアノ十年習っていてここまで出来る人間は少ないと思われる。
ミロクは天才ではないが、努力を怠らない人間であった。
「ミロク君はそのまま弾いていてくれるかな。僕らは歌詞を読んで合わせてみよう」
「テンポはゆっくりなんだな。振り付けのイメージはしとくか」
「シジュ、手の振り付けを多くしてくれる?視聴者も踊れるように分かりやすいタイプで」
「ああ、そういうやつね」
ドラマの最後に曲を流しつつダンスをするというのは、ある一定の流行りでもあった。深夜の短いスピンオフドラマであれば、かなりの『お遊び』が許されるだろう。
344(ミヨシ)の公式サイトでは、彼らが歌っている時にファンが一緒に踊れるような簡単な振り付け動画を公開していた。それを考えているのはシジュであり、そのダンスは動画サイトでも徐々に広まっている。
「歌詞にある言葉の意味を、そのまま振り付けに出来るといいんだけどな。えーと……」
『あなたを守りたい、高鳴る鼓動をそのままに
あなただと信じた、その意思は変わらず永遠に
共にあることを望んだ、交わした約束は遠い
泣かないと決めたのは、あなたの笑顔を見るため
道は続く、その向こうで
きっと会えると、信じている』
「うーん、この『あなた』は、僕らの主君ってことだよね?」
二人のオッサンは唸りながら歌詞を見ている中、ミロクはピアノでメロディを奏でている。ドラマの撮影現場ではKIRA扮する主人公『司』に忠誠を捧げることは出来るのだが、この場でうまく感情移入出来ずにいるようだ。
「僕もまだまだ未熟だね。ミハチさんだったら一瞬でイメージ出来るんだけど」
「ハゼロハゼロ。今は別にいいんじゃねぇか? 俺は昔飼ってた犬とかイメージしてるし」
「シジュさん犬飼ってたんですか?」
ミロクはピアノを弾く手を止めて、シジュの言葉に食いつく。自分の部屋に『モフモフわんころ餅』という謎のキャラクターグッズを置く彼は、モフモフな動物に目がない。
「おう。ポメラニアンでな。ダイゴロウって名前で可愛かったぞ」
「何ですかそのアンバランスというか、名は体を表さない系のやつは」
「真っ白でなぁ、小さくてふわっとしててなぁ」
シジュの話を聞きながら必死に我慢をしていたミロクだが、ここにきて笑いの発作を我慢しきれず吹き出す。
「ぶっ、はははっ、やめてくださいシジュさん! ダイゴロウという名前のせいで、脳内イメージで太い眉毛を書かれたポメラニアンが浮かぶんですけど!」
「シジュ、うちのボイストレーナーに変なこと言わないでよ」
「おいおい、変なことったぁ何だよ。ダイゴロウは可愛かったんだぞ」
「もうやめてくださいー」
笑いのツボにハマったらしいミロクは、おさまるまでしばらく時間がかかってしまい、その間シジュは罰として基礎の腹式呼吸強化版をやらされることとなった。
そして名付け親はシジュだと判明し、彼のネーミングセンスは壊滅的だということが判明する。
「いい名前だと思うけどなぁ」
周りの同意を得られず、寂しそうな表情をするオッサンなシジュだった。
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