177、無理をする理由と少しだけ甘い時間。
茶色のポワポワした髪を乱し、デスクで頭を抱えるフミを見たミロクは、一瞬にして湧き上がる衝動を抑えることに必死だった。
好きな人が悩み苦しむ姿を見れば、誰だって駆け寄って抱きしめて頭を撫でたりして、存分に甘やかしてやりたくなるものだ。それを必死に我慢するミロク。
そう、彼の我慢は正解だった。色々な意味で。
「ありゃー、きっと無理すんじゃねぇか?」
悶えるミロクの後ろから、のんびり声をかけてくるシジュ。彼もまたヨイチから連絡を受けて、専属モデルをしている雑誌と折り合いをつけてきたクチだ。
「無理、しちゃうでしょうね。フミちゃんですから」
「するなって言うと、余計するんだよなぁ。こういう時って」
「分かります」
自分の力不足を分かっている時こそ、無理をしてしまうのはミロクにも経験がある。今でもそれは変わらないのだが、昔と違うのは無理な暴走を止めてくれる仲間がいることだ。
ポワポワ頭を遠くから心配そうに眺めるミロクに、シジュは苦笑する。
「大丈夫だ。うちのやり手社長が手を回してるからな」
「ヨイチさんが?」
「ドラマ始まったくらいから、うちのマネージャーはキャパオーバー気味だったからな。今回のスピンオフの話でさすがにキツイだろうって」
「俺、結構悩んでいるの分かっていたのに、フミちゃんの心までケア出来なくて……」
悔しそうに俯くミロクの頭をポンポンと軽く叩いたかと思うと、そのままシジュはつむじにグリグリと拳を押し付けた。
「いたた、痛いですよシジュさん!」
「バーカ、誰のために無理してると思ってんだ。俺たち……いや、お前のためだろう。担当のタレントをケアするマネージャーが、その担当しているミロクにケアされてみろ。傷つくのはマネージャーだろうが」
「あ、そっか」
「まったく、お前は普段頭が回るくせに、マネージャーに対してだけダメダメになるよなぁ」
シジュはオマケとばかりに、もう一度グリグリしてやる。
「いたたた、もう何でまたグリグリするんですかぁ」
「罰だ罰。マネージャーが無理する理由だ」
「え? だからフミちゃんは頑張屋さんで……」
「こら。マネージャーが無理すんのは、お前のためだろうが。間違えるなよ」
「!!」
ミロクは弾かれたように再度フミのいるデスクを見る。パソコンのモニターとにらめっこしているその顔は、ひたすら真剣で真っ直ぐだ。そんな彼女の様子にミロクは心が温かくなるのを感じた。
「頑張りましょう」
「おう」
「とりあえずボイトレですね」
「おう、マジか」
「マジです」
「変なハモりが無いといいんだけどな」
「あれだけ出来れば大丈夫ですって」
ヨイチは駅前にいるとの連絡を受けている。この調子だと打ち合わせは外でやった方が良いだろうと、ミロクとシジュはヨイチと合流すべく事務所を出るのだった。
艶やかな髪を背中にゆったりと垂らし、ぼんやりと遠くを見る美しい女性。
窓際に座っている彼女は、カフェ内の客だけではなく、外を歩く人々の視線をも集めている。
(忙しいのは良いことなのかもしれないけれど、会えないのは寂しいわね)
ミロクの姉ミハチは、その整った美しい顔を少ししかめる。彼女の物憂げな表情で小さく吐息をつく様は、周りの男性客を落ち着かなくさせていた。
(体、壊してないと良いけど)
絶賛売れっ子となりつつあるオッサンアイドルのリーダー、ヨイチと恋人同士にはなっているが、二人が会える時間はかなり少ない。
ミハチも仕事で忙しいのもあるが、芸能事務所経営とアイドル活動をしているヨイチは、それに輪をかけて忙しいのだ。
定時であがれた時、ミハチは二時間ほど駅前の喫茶店で過ごしてから帰る。
彼女が喫茶店で過ごすその間に、ヨイチは時間がある時、休憩がわりにコーヒーを飲みに来るのだ。
「ミハチさん、良かった居てくれて」
店のドアが開く音と共に、少し息を切らせて席まで来たヨイチが恋人に微笑みかける。どうやらメールする時間もない程、急いで来たらしい。確かにミハチはあと少ししたら帰ろうと思っていた。
「メールする時間もなかったのね。何かあったの?」
「何かあったという程のことでもないよ。一番は君に会いたかったから」
そう言ってミハチの手を取り、彼女の指先に自分の唇を触れさせる。彼女の頬が赤くなり、周りの男性客から失望する空気が漂うのを感じたヨイチは、牽制の成功に心の中で黒い笑みを浮かべる。
「もう! そういうのはいいの!」
「ふふ、相変わらず照れ屋さんだね。ええと、ミハチさんにお願いがあって……」
「珍しいのね、ヨイチさんがお願いなんて。ミロク絡み?」
「まぁ、ミロク君も絡むといえば絡むんだけどね。うちのフミの事なんだけど」
「フミちゃん?ああ、ミロクが心配していたわね。最近働きすぎじゃないかって」
まだ紅潮している頬を指先で撫でるミハチを、ヨイチは愛おしげに見ながら話を続ける。
「僕らは三人の活動と一人ずつの活動をしているから、スケジュール管理も個々のフォローもいっぱいいっぱいになってきちゃってね。一応仕事を上手くまとめたんだけど」
「なるほどね。経験が少ないのがネックになってる、と」
「最初から関わっているフミを変えたくはないんだよ。そんな事したらミロク君も大変なことになりそうだからね。下手に人を増やすのも出来ない。僕やシジュはともかく、ミロク君のフェロモンに耐えられる人間ってなると……」
「ミロクは大崎家の血を一番濃くひいているから」
ほうっとため息を吐くミハチに、ヨイチは「大崎家って何なのか」と問いたいの抑える。今はフミの話なのだから。
「頼めるかな」
「そうね。未来の可愛い義妹のためなら一肌脱ぎましょう」
艶やかに微笑むミハチを見たヨイチは、眩しいものでも見たように目を細めた。そんな彼の表情にミハチは再び顔を赤くして俯いてしまうのだった。
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