159、ドラマ初回の撮影終了と、謎の美少女再び。
「先生! なんか廊下に血まみれの人が!」
「ああん? んな冗談言ってもベッドは貸さねぇぞー」
「重くて運べないし……手伝え! このエセ保険医!」
生徒の声に渋々振り返った白衣の男は、血の匂いに顔をしかめる。
「先生! この人、この人……」
「落ち着け御堂。まずは傷口を探して止血だ。消毒もすっから、そこの棚の取ってくれ」
落ち着いたバリトンの声に、男子生徒の心は少し落ち着く。棚にある生理食塩水と消毒薬を取ってくる間、白衣の男は慣れた手つきで男性の服をハサミで切っていく。血まみれの上半身に生理食塩水をかけると、血が洗い流されて白い肌が現れる。
「傷が、ない?」
「何? 先生どう言う事?」
「どうやら怪我をしているわけじゃないようだな。おい、こいつどこで拾ったんだ?」
『はい、カットー!!』
休憩を告げるスタッフの声に、大きく息を吐いたシジュは、自分の腕に抱えているミロクが小刻みに震えているのに気づく。
「どしたミロク。腹でも冷えたか?」
「……っぶっはぁーーー!! もう! くすぐったいですよシジュさん!!」
「しょうがねぇだろ。医者は患者の体を触るもんだ。触診触診」
「そんな脇腹に特化した触診、聞いた事ないですよ!」
「はは、いや真面目な話、ミロクが本当に怪我したみたいな気分になってな。悪い、焦った」
「シジュさん優しいっ」
「あと筋肉の付き具合に甘い所があったから、お前この後トレーニングな」
「シジュさん酷いっ」
このシーンでミロクの血のり着物シーンが終わるため、スタッフ達が掃除するのを邪魔しないようにミロクとシジュは移動する。わちゃわちゃ言い合うオッサン二人の後ろを、黙ってついて来る若手アイドルのKIRA少年。先程とは違うその様子にシジュは軽く声をかける。
「どした? なんかやけに静かだな、少年」
「どうしたのKIRA君。お腹痛い?」
「……アンタ達、なんでそんなに落ち着いているんだよ」
「え?」
「特にアンタ、本当に新人なのかよ……」
KIRAはミロクをキッと睨みつけるが、大きめのバスタオルに包まっている彼はキョトンとした顔で首を傾げる。シジュは血のりで汚れた白衣を脱ぎながら「ああ、そうか」とKIRAの言う原因らしきものに気付く。
「もしかしてアレかもな。ラノベごっこ」
「はぁ?」
「ああ、アレですか。楽しいですよね。いつもヨイチさんが振ってくるんですよね」
それは、動物番組のロケから始めたものだった。
極度に緊張していたミロクだったが、ロケ現場についてライトノベルにありがちの『異世界転移した主人公』という一人遊びを始めたところ、ライトノベルを読み始めていたヨイチがノリノリになったのだ。そういうバカっぽい遊びが大好物なシジュも加わり、三人で色々なバージョンを演じている。
殆どがアドリブであり、アニメ『ミクロットΩ』の設定で遊ぶ時もある。時にはフミも加わってツンデレお姫様を頑張って演じたりして、オッサン達(主にミロク)を楽しませていたりもする。
あまりにも積極的に行い、時にはサイバーチームも加わって動画を残す程のヨイチに、シジュは何故そこまでするのかを聞いた。
「緊張ってどんな時にすると思う?」
「緊張? うーん、あまりしねぇけどなぁ……あ、普段と違う事するとか」
「シジュは場数が違うからね。僕は緊張を『非日常』だと思っているんだ」
日常を送っている脳は緊張状態ではない。そこに日常とは違う事『非日常』が入り込む事によって緊張が生まれるとヨイチは考えていた。
ならば、その『非日常』を続ければ『日常』になるのではないか、そういう事らしい。
「ミロク君は真面目だから、こういう遊びにだって全力だし、僕らが真剣に遊んでいれば喜んで加わってくれるでしょ。ラノベっていうミロク君の大好物な題材だから、楽しく『非日常』を体感していれば良いと思うんだ」
ミロクの為と言いながらも、今回のドラマでこの『ラノベごっこ』という経験はシジュの事も助けていた。ヨイチと違いミロクもシジュも素人みたいなものである。舞台経験があるといっても過去のことだ。それを取り戻すのに、この遊びはちょうど良かった。
(あのオッサン、俺のことも考えてやってたな)
シジュはヨイチの計らいに少し悔しい気持ちになりつつも、KIRAが茶髪をわしわしさせて「訳分かんねー!」と言っているのを苦笑して見る。
「ほら、着替えねぇと風邪引くから控え室に戻るぞ。今日はこれで終わりだろ」
「はい。別撮りのヨイチさんとフミちゃんも終わってるみたいだって、スタッフさんが」
「……相変わらずミロクはスタッフさんと仲良くなんの早いよな」
そう言っているシジュだが、彼の場合お姉さんスタッフと仲良くなる(口説く)のが早い。
「じゃ、KIRA君。次回もよろしくお願いします!」
「ちょ……」
そのラノベごっこってなんだよ!というKIRAの叫びは、さっさと控え室に戻るミロクに届かない。そんな可哀想な彼にシジュは「悪い、今度な」と、軽く手を振ってあげるのだった。
「……で、その子はどこで拾ったんですか?」
「いや、拾ったというか、懐かれたというか……」
「叔父さん不潔です。ミハチさんに言いつけますから」
「待って。フミそれは待って」
「とりあえずウチの社長から離れてくれるかな。嬢ちゃん」
控え室に戻ったミロクとシジュの目に入ったのは、ヨイチの腕にしがみつく少女と、その二人を氷点下まで下がった温度の目で見るフミという図だった。
何やらかしているんだと呆れているミロクと、少女の視線が合う。
「……王子」
「へ?」
いつ移動したのか、ヨイチから離れた少女はミロクのすぐ近くにいた。吸い込まれるような黒目がちの瞳を持ち、無表情のまま呟く美少女は、アルバムのイベントでミロクと会っていた子であり、撮影前に挨拶をした地味な女子高生役の子でもある。
「えい」
「うわっ、何すんの急に!?」
少女はミロクの羽織っているタオルを掴むと、思いきり引っ張って後ろへ放った。思わずそのタオルを受け取るフミは、上半身裸のミロクをもろに見てしまい一瞬意識を失いかける。ヨイチは慌ててよろけるフミを支えた。
「良い筋肉。けれど脇腹が甘い」
「おお、それが分かるとは……いや、すまん」
筋肉評価する少女相手に一瞬テンションが上がったシジュだが、ミロクの鋭い視線に慌てて口を閉じる。
「妹の王子様は、貴方なの?」
「いや、俺は違う」
「なら、私の……」
「ダメですー!!!!」
バサっとミロクの頭にタオルが降ってきたかと思うと、彼の目の前にポワポワ茶色の猫っ毛頭が飛び込んできた。
「ダメです! ミロクさんは絶対渡さないです! 絶対ダメです!」
真っ赤な顔で息を切らしつつ、大きな声で一気に言ったフミは涙目で少女をキッと睨む。ヨイチとシジュはニヤニヤ笑い、ミロクは赤くなった顔を手で隠している。
大人達の様子に、少女は首を傾げて言った。
「なら、私の妹が迷惑かけた人って、誰?」
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そしてこの作品はフィクションです……




