156、台本の読み合わせと、厄介な若者達。
「殿! 殿は……」
「おいたわしい……」
「一体どうすれば……」
「静まりなされい!!」
その場にいる全員が立ち上がり混乱する中、一人の若武者がどっしりと構えたまま声を発する。
彼の凛々しくも美しい容貌から発されたとは思えない太く迫力のある声に、慌てふためく人々は一斉に押し黙る。そこに彼を「若造が」と侮る声は聞こえない。
この美しき若武者は、屋敷の主人であり彼らの主君である男が兄のように慕う男であり、彼の働きで幾多の困難を乗り越えてきたのだ。
しかし、その主人が敵の策略により深手を負ってしまった。その命の灯火は消える寸前であり、もう長くは保たないだろう。
「恵之助殿」
「なんでしょう」
「後は頼みましたぞ」
「っ……分かり……申した……」
若武者は穏やかな笑みを浮かべたまま、伏して泣く男の肩にそっと手を置く。そのまま刀を持ち、向かうは主人の居る場所。己の唯一の居場所。
「殿、ご安心くだされ。弥太郎が冥府もお供しますぞ…」
一人呟く彼は、その整った顔に晴れやかな笑みを浮かべる。主人の元に向かう彼の足どりに一切の迷いはなかった。
「これが始まりですね。プロローグみたいな感じです」
「……マジか。こんな悲しい始まりなのか」
「シジュこういうの苦手だよね。でもヨネダ先生の本を読んだって、言ってなかった?」
「急いで俺の登場する所から読んで、後でゆっくり読もうと思ってたんだよ」
「最初からちゃんと読まないとダメですよシジュさん! ここから現代日本に行くんですから!」
「分かってるって。他に借りてる本もあるから、そっちが気になってるんだよ」
「シジュ、悲しいシーンは最初だけだから」
「分かったって。読むって」
事務所の会議室にて、台本の読み合わせをする三人。冒頭はほぼミロクの台詞となっているため、脇役はヨイチとシジュが担当している。
フミも参加していて楽しそうに台本を読んでいたが、読み合わせが途切れたのでお茶を淹れに立ち上がる。
「ああ、悪いけどこれサイバーチームに持って行ってくれるかな」
「はい。……これ、この前のイベントのですか?」
「そう、この前のアルバム発売の。いやぁまさかシジュが……」
「あれは凄かったですね。あはは」
「あははじゃねーよ。すげぇ喜ばれたけどな! なぜか女性ファンに!」
爽やかで感じの良い青年がシジュにお姫様抱っこされている図は、なかなか迫力のあるもので反応も良かったため、急きょ公式サイトにイベントの様子を公開する事になったのだ。
「選んだのはシジュさんですから、責任はとらないとですよ」
「ミロクてめぇ、自分は美少女だったからって……」
ミロクが引き当てた番号を持っていたのは、ハッとするくらいの美少女だった。姉のミハチや妹のニナで美人は見慣れていると思っていたが、こんな美少女がいるとは世の中広いなぁとミロクは素直に感心していた。
「……じゃあ、台本の読み合わせをしようか」
「そうですね。少しは練習しないとですよね」
「うーん、練習っていうか……まぁ、読み合わせはそこまで力を入れなくても良いよ。素直に感じたままを声に出してごらん」
「はい」
ミロクの才能……というよりも、彼が高めざるを得なかった観察力と感能力は相当なものだ。『その人の身になって考える』事を呼吸をするようにやり続けた彼にとって、物語のキャラクターに入り込み、キャラクターになりきるのは造作もない事だった。
「俺はー?」
「シジュは舞台経験者だし、普段のシジュで良さそうだよ」
「えー、それだとあの反抗期に対して、俺も反抗期になりそうなんだけど」
「シジュさん、彼は小型犬みたいなものですから、こっちがどっしり構えていればいいんですよ」
柑橘系の良い香りのするフレーバーティーを用意したフミは、三人の前にお茶請けのクッキーと共に出す。その香りを楽しみつつ、ひと口飲んでほうっと息を吐くミロクは、思った以上に自分の肩に力が入っているのに気づき苦笑する。
「この歳になると緊張するなんて滅多にないんですけど、それでもやっぱり新しい事に挑戦するって、結構力が入ってしまうものですね」
「いやいや、そこは緊張していいだろ」
「ミロク君。君に負担をかけたくないからね。無理なら無理って言ってくれて良いんだよ」
切れ長の目を柔らかく細めミロクを見るヨイチは、これから起こるであろう様々な事を予測していた。無論、その対処法やミロクを守る方法は、頭の中にいくつも考えてある。
それでもヨイチは彼に選ばせたかった。自分が社長になった時に決めた事だ。
「俺は、やってみたいです。こんな年齢で初めての事がたくさんで迷惑かけるかもですけど、俺は色々やってみたいんです」
「分かった。僕らは君を支えるし協力するよ。ね、シジュ」
「おう。しゃーねぇなっ!」
ニカッと笑うシジュの笑顔に、ミロクもつられて微笑む。そんな二人にヨイチもフミも顔を見合わせて、ホッとした顔になる。如月事務所のエース達にやる気があるのは良い事だ。
あの日。
たまたまCDショップに居た彼女は、買ったCDを見た店員の案内で、たまたまイベント会場に入り込む事になった。
歌う彼らは輝いていて……いや、アイドルだからという一言では言い表せない輝きというか、オーラというか、とにかく目が離せない存在感を会場全体に放っていた。
(ミロク……あの人がミロク……)
彼女の黒く真っ直ぐで長い髪が、背中でさらりと揺れる。フリルやドレープをたっぷり使ったコートは、彼女が着るからこそ似合っている可愛らしいデザインだ。
通りすがる人、皆が振り返って見る程の美少女。
その振り返る理由は、彼女が瞳を潤ませ、仄かに頬を染めている所為だろう。
(まだ、耳が熱い)
彼は「また会おうね」と言った。
そしてその言葉は、現実となるのだ。
(楽しみね。ミロク……)
その猫のような目を細め、彼の吐息を感じた自分の耳を指でなぞる。くふりと笑う彼女はとても可愛らしく、魅力的な『女の子』に見える。しかしその目は笑ってはいない。
「私の王子様、ね」
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