130、昔の事とハニーカフェオレ。
文化祭お疲れ様でした。
「懐かしい夢を見たなぁ……」
夕日の差す打ち合わせルームにて、穏やかに笑いあう人達はミロクに優しくお茶を勧めてくる。他愛のない話をしてお茶の礼を言い帰ろうとすると、見積書を届けに来たんだからそれは置いて帰れと言われて「営業が営業忘れてどうするんだ」と笑われる。
今は懐かしい、昔の夢だ。
大学を卒業後、なんとか入社できた会社は、健康食品のメーカーとしてはそれなりに有名どころだった。初めての会社勤め、初めての仕事、その中で新人の殆どが回される営業部に所属したミロクは、毎日方々を走り回った。
話を聞いてもらうという第一段階までが大変だった。そこまで辿り着くことが一番難しく、とにかく毎日足を運び頭を下げる。ミロクは笑顔でゆっくり確実に相手の懐に入り込む、そして終いには相手も苦笑して「話だけだぞ」と聞いてくれていた。
継続して取引している会社相手ではない、まったくの新規で取引相手を増やすというのは本当に難しい。
それなりに有名なメーカーではあるものの、取り扱うのはそれなりに高額な健康食品だった為に、ミロクの所属している部の成績は中々上がらなかった。
「お客さん達、元気かなぁ……」
勤めている時は辛く苦しかったが、取引してくれるようになった客は皆ミロクに優しく温かかった。だからこそ解雇されるまでの三年間休まず勤めることが出来たのだ。
外回りをしている方が楽しく、デスクワークはサービス残業でこなしていた。営業は残業代が出なかったのだ。
上半身を起こしたミロクは、長めの黒髪をくしゃりをかき上げる。白い肌は寝汗でしっとりと濡れており、壮絶な色香を放っているミロク。幸いにも自宅であるため特に問題はない……と思われていたが、最近は344(ミヨシ)のメンバーであるヨイチとシジュが泊まりに来ることが多く、オッサン二人が顔を赤くしてリビングにいる姿を大崎家の人間はよく見るようになった。
ブラコンであるニナは「寝起きのお兄ちゃんを見て動揺するなんて、修行が足りない」と手厳しい。そういう彼女は寝起きの兄を見ないように、朝はなるべく顔を合わせないようにしているのだから、オッサン達のことを言えない。
「おはようミロク。昨日のせいで、また筋肉痛なんですけど」
シャワーを浴びてスッキリしたミロクがリビングに行くと。姉のミハチがスエット姿でソファにぐったりと座っている。昨日のゲスト参加した高校の文化祭にて、『ワルツ』でヨイチとシジュのダンス要員として参加したのはミハチとニナだった。
日頃から立ち仕事であり、美容師として忙しく動いているニナは若さもあり特に影響はなかったようだが、デスクワークが主のミハチにとって数分のダンスでも筋肉痛になってしまうらしい。
「姉さんはジムをサボっているからだって」
「日曜に行くようにしてるのよ。これでも」
「それじゃ足りないよ」
あんたの所為なんだからと言うミハチは、文句を言いつつも嬉しそうだ。
自分の弟がCM出演したことによって、新商品の売り上げは好調。彼女の残業は増えているものの、今年のボーナスは期待が出来ると、ミハチだけではなく会社の社員一同が『オッサンアイドル344(ミヨシ)』に感謝しているそうだ。
「それにしても、昨日は大盛況だったわね」
「あれは皆が協力してくれたおかげだよ。俺たちだけじゃ無理だったし、ファンの人達もあんなに集まってくれるとは思わなかったな」
「ふふ、ミロクの新しい扉も開いたみたいだしね」
「それは言わないでよ……」
ミロクはフミと真紀に言われて軽い気持ちで女装をしたのだが、思った以上に好評であり、その日の内に問い合わせが殺到しているとサイバーチームから苦情を言われた。
声も作ることなく、そのまま歌ったのに何故だろうとミロクは首を傾げる。ヨイチかシジュが居れば「そういう問題じゃない」と言ったであろう。
ミロクの声は男性でも高めの声だ。そして誰が聞いても心地よい声質でもある。だからどんな姿であろうと彼が彼である限り、男女関係なく「人を惹きつける」のだろう。
「アニメを知ってる人達も多かったわね」
「あのアニメはロボットアニメでも長い歴史があるからね。挿入歌で作品に携われたのは嬉しいし、二期の制作も入っているみたいだから、また呼ばれるかもって期待しているんだ」
「あれ、ロボットアニメだったの? 王子とか言ってるからファンタジーかと思ってた」
「ロボだよロボ」
そう言いながらミロクはカフェオレに蜂蜜を入れて作っていると、ミハチが手を出したので苦笑して持っているカップを渡し、新しくもう一杯入れるために牛乳を冷蔵庫から出す。
「何にせよ、姉さんありがとう。あの曲はアルバム曲だからやるつもりはなかったんだけど、執事とメイドの流れで俺たちがやりたくなっちゃってさ」
「いいわよう。日曜日だったしね。今日は午後から出社だし」
「ああ、だからゆっくりしてたんだね」
「アンタね……まぁ、それは良いけど。何かあるんならヨイチさんに話すのよ」
え?とミロクがミハチを見ると、彼女は空になったカップを置いてリビングを出て行く所だった。手をヒラヒラさせて部屋に戻る姉を見送り、ミロクは小さくため息を吐く。
「姉さんにはお見通しだったのか」
蜂蜜を入れたカフェオレは、温かくてほんわりと甘い。カップを両手で持ってソファーに深く座る。
久しく見ていなかった昔の夢は以前とは違い怖くはなかったが、絶えてしまった繋がりを思い出してしまい、つきりとした痛みを古傷から知らせてくる。
それは温かく、甘く、ほろ苦い。
姉の言いつけは守るべきであろう。
ならばこの気持ちをどうやってヨイチとシジュに伝えようかと考えるミロクだったが、持っているカップの中身が冷めているのに気づくと、また小さくため息を吐くのであった。
お読みいただき、ありがとうございます。
ミロクの心が少しずつ動き出します。




