117、与一は人形師さんと白虹さんとデートする。
増えるモブ様。
ヨイチがその人形師に会う機会ができたのは、本当に偶然だった。
アニメ『ミクロットΩ』のキャラクタードールを作る企画で、球体関節人形の素体を担当していたのがサイバーチーム経由で紹介してもらった人形師の男性だった。
彼は普段、都心から離れた場所にあるアトリエに住んでいるため、めったに都内に来ることはない。
ヨイチはオリジナルで作って欲しいと人形の依頼をしており、そのやり取りはメールで行われていた。
「……着物?」
渋谷のスクランブル交差点にて、着物の男性がふらつきながら歩いている。
落ち着いた濃い茶色系で仕立てられた上質な長着に、少し厚手の羽織を身につけている。なぜヨイチがその男性に注目したのかというと、昨日までメールでやり取りしていた人形師の近影にそっくりだったからだ。
早歩きで彼の前に回り込むヨイチ。
「わっ……え? 344のヨイチさん?」
「はい。そうです。いつもメールでやり取りしているので、久しぶりという感じはしないですけど」
「キャラクタードールの企画以来ですね。確かに何かしらやり取りしていますからね」
「それにしても、どうしたんですか? 渋谷に出てくるなんて珍しいですね」
「届けた子が破損してしまったようで、急きょ直しに来たんです。プレゼントだから送り返す時間がないとのことで」
「なるほど……で、どこかで休みましょうか」
「え? 何故ですか?」
「顔色悪いですよ。落ち着ける喫茶店を知っているので、そこに行きましょう。きっと気に入ると思いますよ。それに次の仕事まであと三時間は待機なんですよ。僕の暇つぶしに付き合ってください」
「はぁ、それでは」
本人は自覚がないようだが、彼の顔色は誰が見ても良くなかった。人が多いところは疲れるとメールでのやり取りの中で見たことがある。渋谷のど真ん中で歩くのは、彼にとってはさぞかし苦痛だろう。
案内した場所は、裏道を数分歩くとある古い喫茶店だ。
レコードでジャズがかかっており、しっとりとした落ち着く空間になっている。若い人達はここに来ることは少ないようだ。
「どうも、人の目が気になって。気のせいだとは分かっているんですけどね」
やれやれとため息を吐く人形師に、ヨイチは苦笑する。
肩くらいまで伸びた髪はゆるりと結わえられ、茶道や華道の家元なのかという上等な着物に、それなりに整った容姿は、多くの注目を集めてしまうだろう。
そういう世間からずれているのは『職人』と呼ばれる人間によくある話だ。
ヨイチはいつものメールでのやり取りではなく、別の会話をしようと考える。自分にとってはプライベートな話でも、彼にとっては物作りの話は仕事になってしまう。
「そうですねぇ……まずは視線を感じたら『笑顔で会釈して素早く通り過ぎる』を実践するのはどうでしょう」
「笑顔で会釈……ですか?」
人形師は基本無表情だ。目を細めて口角を上げるだけで充分笑顔に見えるだろうと教えてあげるヨイチ。
「あと、対人との会話で切り上げたい時は、少しこうやって顔を近づけて……」
言いながらヨイチが人形師に顔を寄せると、どこからか女性の悲鳴が聞こえた気がしたが、とりあえず今は無視する。
「普段は無表情の人間が笑顔を見せるのは武器になります。相手が話を止めたら『では、この辺で』とか言って逃げちゃいましょう」
「はは、何か楽しそうですね。ヨイチさんに言われると試してみたい気持ちになってきました」
「是非とも、お試しあれ!ですよ」
ホッと肩の力を抜いた後に見せた人形師の笑顔は、なかなかの破壊力だった。
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遠くから撮っているカメラは、ほとんど気にならなかった。
ヨイチは待ち合わせ場所となっている、渋谷のハチ公前に小走りで向かっていった。
「ごめんね。待たせたかな?」
「だ、だ、大丈夫です! 本日はお日柄もよく……」
「はは、力を抜いて、リラックスして。大丈夫だから」
「は、はひ!」
先日アルバムのジャケット撮影先で、新規の仕事の依頼があり受けることにした。プロデューサーである尾根江がどこからか聞きつけ、ぜったい受けるように言ってきたというのもある。
番組企画の内容は「美中年と一般人がデートする」という内容だ。どうやら応募者が多く激戦の中デート権を勝ち取った女性は、清潔感のある薄紫のニットのワンピースに、黒のタイツ、ショートブーツを履き、たいそう可愛らしいデートスタイルである。
「今日はよろしくね」
「はひ!」
噛むのはデフォルトなのかなと、ヨイチは苦笑しながら彼女を指定のカフェにエスコートする。
「ええと、人が多いから………はい。どうぞ」
ヨイチが腕を差し出すも、女性は真っ赤になって慌てている。クスッと笑ったヨイチはそっと女性の手を持って自分の腕に乗せた。
「僕はヨイチ。君の事は何て呼べばいいかな?」
「し、白虹で、お、おねが、い、します」
はわはわしている女性……白虹の歩く速度に合わせ、ヨイチはのんびり歩く。カフェに着くまでしばらく無言だったが、 その間に少し落ち着いてきたらしい彼女だが、頬は赤いままだ。
ドアを開けると鳴るカウベルに、独特な雰囲気を感じる店内は少し薄暗い。ベルベットのソファに、重たそうな猫足のテーブル。
二人席を案内されたが、二人がけのソファに隣り合って座る仕様だった。
「こ、これ……」
「あ、もしかして体がくっつくのは嫌? 席を変えてもらう?」
「だ、大丈夫デス!」
「はは、片言になっちゃってるよ? じゃあ、このままでいいね」
ヨイチは白虹を先に座らせ、テーブルを回って彼女の隣に座ると思った以上に沈むソファに驚く。
「ふぁ!?」
ヨイチが座ったことによって沈み込んだクッションのせいで、 隣に座っていた白虹は思わず彼の太ももに上半身を倒してしまった。
「ひゃっ! すいませ!」
筋肉量の多いヨイチの逞しい太腿に、思わず縋り付くようになってしまった白虹は再び真っ赤になって飛び退いた。
「気にしないで。このソファすごいフカフカだね」
本日のおすすめコーヒーを二人は頼み、半分くらい飲んで、その温かさに白虹はやっと落ち着く。
「すいません。実は私、ヨイチさんのすごいファンで……今回何気なく応募したのが344(ミヨシ)だと知って、本当に本当に嬉しかったんです」
「そうだったんだ! モニターさんにお願いしたって言ってたからファンじゃないと思っていたよ」
「違うとは思っていたんですけど『美形なオジ様とデートする番組企画」だったので、つい応募してしまって」
えへへと笑う白虹に、何て勘の鋭い子なんだと慄くヨイチ。
それでも「オッサン」である自分に向かって、素直にファンだと言う彼女の顔は、とてもキラキラしていた。
「ああ、嬉しいよ。ありがとう白虹さん」
ヨイチはその切れ長の瞳を潤ませて、彼女を笑顔のまま真っ直ぐに見つめる。
そう。彼は油断していた。
撮影は中止になった。
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