30. 真実の愛に酔う(※sideミリー)
「……可愛いよ、ミリー」
「ふふ。…そればっかりね、あなたって」
「だって本当に可愛いから。せめてこうして会っている短い時間くらいは、君への想いを言葉にさせておくれ」
「……サミュエル……」
熱っぽい瞳で私を焦がすほど見つめてくる美しくたくましい男の腕の中で、私は自分の置かれた状況に思い悩んでいた。
だけどそれは、同時にとても甘い喜びでもあることは否定できない。
(ああ……、私って何て罪深い女なのかしら…。王太子の婚約者という気高き存在でありながら、こんな平民の男と逢い引きを続けるなんて…)
あれから数週間が経った今でも、私はサミュエルから離れることができずにいた。
もう今日で終わり、絶対に今日で終わりにしようと、毎回自分にそう言い聞かせているのに。
会えば私はこの男に身も心もすっかり骨抜きにされてしまうのだった。
「可愛いよ、ミリー」
「愛しているよミリー。…これまでの人生で、こんなに好きになった人はいない」
「俺はたとえ君が修道女だったとしても、どこぞの貧しい孤児だったとしても、…いや…、たとえ死罪を言い渡された大罪人であったとしても…、間違いなく君を愛したよ」
「ああ、ミリー……。このまま地の果てまでも君を連れ去って逃げていけたなら…。俺のこの世でたった一人の、運命の人…」
甘い言葉。熱い恋情。体が蕩けてしまうほどに優しく、そして燃えるような激しいキス。
(知らなかった…。こんな感情があったのね…)
彼の唇の熱を受け止めるたびに、私はうっとりと酔いしれた。自分の置かれた罪深き境遇と、真実の愛に。
(そう、これこそが真実の愛なのよ。初めて知ったわ。…自分の立場も責任もよく分かっていながらも、抗うことができない。これこそが、真実の愛なんだわ…)
「……これ以上はダメよ、サミュエル」
私は惜しみながらも彼の胸をぐっと押し、その唇から逃れる。
「……なぜ。ミリー、こうして俺たちが会っていられる時間はごくわずかなんだ。一瞬たりとも君の体を俺から離したくはない。本当はもう四六時中、生きている間中、君のそばから離れたくないというのに」
ああ……なんて情熱的なの……。
野性的で凜と整った顔で見つめられ、体が火照る。何とも言えない優越感と高揚感で体がふわふわと宙に浮いているようだった。
「…人目を避けているとは言っても、一応外なのよ、ここ。いつか誰かに見られるかもしれないわ」
本当は少しも嫌ではないくせに、私は嫌がるそぶりを見せた。
「構わない……!誰に見られようと、誰に知られようと、俺は全ての者から君を守ってみせるよミリー……!」
「っ!ダ、ダメよ、本当に。誰かに知られることだけは絶対にダメ!私の婚約者はこの国の王太子なのよ。こんなことが知られれば……何もかも終わりよ。全てを失ってしまうわ」
「……ミリー……。…ああ、君はやはり王太子のものなんだね。…どうやったって俺は、君を得ることはできないんだ。そのことがとても……辛いよ。心が引きちぎられそうだ」
「サミュエル……私だって……!本当はあなたのそばにずっといたい……!こんなに私を愛してくれる人なんていないもの…。本当ならこんな関係、絶対に許されないことよ。それでも私だって抗うことができないのよ……!だって、あなたと私は、真実の愛で結ばれているんだから…」
「……真実の、愛……」
「そうよ、サミュエル。あなただって感じるでしょう?私たちが他の誰よりも、どこの恋人同士よりも強く激しく惹かれあっていることを。これはただの気軽な恋心じゃないもの。人生でただ一度だけ知ってしまった、真実の愛なのよ」
私の言葉を受け止めたサミュエルは、ハッとしたような顔をして私を強く抱きしめた。
「そうだ…、これは他の恋愛ごっことはワケが違う。これこそが真実の愛なんだね…ミリー。俺たちは出会ってしまったんだ。誰でも生きていれば必ず出会えるわけじゃないんだよ、ミリー。真実の愛で結ばれた相手とは」
「ええ、……ええ……!」
その言葉に酔いしれて、私もまた彼のたくましくぶ厚い背中に縋りつく。
「ああ、それなのに……、君は他の男のものになってしまうというのか……!この国で最も高貴な男のものに……!何故なんだミリー。何故君はそんなにも才色兼備で気高い存在なんだ……!君が俺と同じ平民の女であれば、こんな苦しみは味わわずに済んだのに……!」
「ああ、サミュエル……ッ!」
私たちは互いに涙を流して強く強く抱きしめあった。私は悲恋のヒロイン。高貴な家柄の賢い娘として生まれ、望む望まないに関わらず王家に嫁ぐことを余儀なくされた、運命に翻弄される女。
(もしかして……、後の世で私の半生が物語になるのではないかしら。歌劇となって世界中で公演されるかもしれない。“ミリー・フィールズの生涯”というドラマチックな本が出版されるかも…。きっと世界中の乙女たちの憧れの的になってしまうわね。身分の差を超越した真実の愛を心に秘めたまま、王太子妃として、そして王妃として気高く生きたミリー・フィールズ……)
無骨な熱い手で顎を持ち上げられ、私は目の前の愛しい男を見つめる。それ以上に情熱的な瞳が私を貫く。再び熱い口づけを交わしながら、私はぼんやりとする頭の中で考えた。
(ああ、どうにかできないかしら。殿下の元に嫁ぎ、さらにサミュエルも手放さずに済む方法ってないのかしら…。誰にも知られずにこの人と愛人として一生付き合っていくことってできない……?だって殿下はきっとサミュエルのように私のことを情熱的に愛してはくれないわ。こんな男、他にはいない…。一度この愛を知ってしまったら、もう他の男じゃ物足りないに決まってるわ。こんな完璧な容姿で、こんなにも私を心の底から愛し抜いてくれる男なんてもういない……)
王太子妃の座は絶対に捨てたくない。
だけどサミュエルとも絶対に離れたくない。
望みうる限り最高峰の地位と、真実の愛。そのどちらをも手に入れる方法がないか、私は必死で考えていた。




