27. 昔を思い出して
それは突然のことだった。
ある日授業の合間の休憩時間に、学園の廊下を一人で歩いていた時のこと。
「クラリッサ!」
「……?…………っ?!…ダ……」
後ろから声をかけられ振り返ると、そこにはダリウス様が立っていたのだ。
とてもニコニコしながら、私を見ている。
(…………っ、え?……え?何?)
私は心の底から驚いた。なぜ……?なぜ突然声をかけられたのだろう。1年の終わりの頃に一方的に婚約を破棄されて以来、ずっと無視され続けてきた。目が合ってもすぐに逸らされ、すれ違いざまにも一切こちらを見ずに無慈悲に通り過ぎていっていたのに。
一体何事なの…………?
呆然としている私にはお構いなしに、ダリウス様はキョロキョロと周りを見回すとそっと私に顔を近付け耳打ちしてきた。
「っ?!」
「クラリッサ……、ちょっと二人きりで話がしたいんだ。放課後、待っていてくれ。裏庭か、もしも裏庭に誰か人がいれば、2階の一番奥の教室だ。頼むよ」
「……え……、あ……」
それだけ言うとダリウス様は逃げるようにそそくさと行ってしまった。
残された私はますますワケが分からず、立ち尽くした。話が、したい……?私と?
(今さら一体、何の話があるというのだろう…)
両家の裁判は揉めに揉めていていまだ慰謝料に関する決定が下されていない。こんな状況で、まるで何事もなかったかのように声をかけられたことが不思議でならなかった。
(もしかしてその話かしら。…だけど裁判や慰謝料に関する話なら、もう私たちが個人的に解決できる問題じゃない。……まぁ、いいか……。ここで一人で考えていてもどうせ分からないんだもの。一応行くだけ行って、話を聞いてみましょう…)
本当は早く帰ってエリオット殿下からいただいた本を読みながら翻訳をしたいのだけど。
自然とそう考えてしまって、私はハッとした。
(……あれ……、私……。何だかいつの間にか…)
そして、放課後。
一度裏庭に行ってみると、そこにはカップルと思われる一組の男女がいたので、私は渋々ダリウス様に指定された2階の奥の教室に行ってみた。
「やぁ!クラリッサ。よかった、来てくれたね」
先にそこにいたダリウス様は、私の顔を見るなりまるで以前のようにパァッと明るい笑顔を見せた。
以前私が代わりに宿題や提出物をやってあげた時のように。
「……ええ、ですが、一体何のご用でしょうか……」
「はは。まぁ、こっちへおいで。ちょっとここに座ってくれよ。俺の話を聞いて欲しいんだ」
「…………。」
久しぶりに向けられる、ダリウス様の明るい顔、優しげな言葉。なんだか胸が苦しくなる。
私はおずおずと指された席に座り、彼の話を待った。
「はぁ。いやぁ、最近はどうだい?クラリッサ。変わりない?勉強の方は順調かい?」
「……。……ええ。はい」
「そうか!はは。さすがだなぁお前は。昔から本当に賢くて、俺のこともずっと助けてくれてたもんな。学園に入ってからはもちろんのこと、ほら、子どもの頃もさ、…俺が遊び回ってばかりで母親に怒られそうになった時とか、お前が必死になってフォローしてくれていたのを思い出すよ。ははは。……本当に、……俺はお前にずっと助けられてきたんだよな……」
「…………。」
「…………はぁ……」
突然昔の話など持ち出してきたダリウス様は、ふいに悲しげな表情をして溜息をつく。……一体どうしたのだろうか。なぜ私に今さらこんな話を……?
ふいに昔のことを思い出させられてしまい、胸に鈍い痛みを覚える。
そう、あの頃の私にはダリウス様が全てだった。
数ヶ月や半年に一度だけ会えることが本当に楽しみで楽しみで、会えば遊んでいるダリウス様にずっとついて回っていたっけ。
ダリウス様がディンズモア公爵夫人にひどく叱られている時に、ドキドキしながら割って入った時のことも、はっきりと覚えている。
『ダリウス!あなた一体どこまで行っていたの!護衛たちから隠れて振り切って逃げ出したそうじゃないの!しかも、クラリッサさんまで連れ回して……。もうこれ以上お母様に恥をかかせないでちょうだい!あなたはこのディンズモア家の息子なのよ?!いつまで子ども気分でいるつもり?!お茶会の席でほんの少しの間じっとしていることもできないなんて……!あなたは…』
『ディッ、ディンズモアこうしゃく夫人……。ご、ごめんなさい……っ、私が、ダリウスさまにお願いしたんです……。もっとおもしろいところに連れて行ってほしいって……。で、ですから、……ごめん、なさい……』
『…………まぁ……。……ふふ、クラリッサさんったら……。優しいのね、あなたは』
(……懐かしいな……)
あの頃のことを思うと切ない。ずっと一緒にいられるのものだと、信じて疑ってもいなかった。
最近は少しずつ心の傷を忘れる時間が増えていた。エリオット殿下のおかげだ。私が夢中になれる新しい趣味を見つける手助けをしてくださったり、頻繁にお手紙を送ってくれては私の気を紛らわしてくださる。久しぶりだった。こうやってダリウス様とのことを思い出すのは。
だから、心に隙ができてしまったのだろうか。
「……はぁぁぁ…………っ」
再び深く溜息をつき、困り果てたように両手で顔を覆ったダリウス様の姿を見て、つい気遣うような声をかけてしまったのは。
「……どうなさったのですか?何か、お困りなんですか?」




