23. 都合のいい時だけ(※sideダリウス)
「……。…………ええい、くそ!!何だこれは。さっぱり分からねぇ。……チッ!」
俺は悪態をついてペンを放り投げると、頭を抱えて深く溜息をついた。
2年生に進級してからというもの、全ての授業が一気に難しくなったように感じる。……いや、本当は1年の終わり頃からだ。入学以来今までずっと良い成績と高順位をキープしてきていたというのに、ここに来て一気に成績が落ち込んでいる。
(……理由は嫌というほどよく分かっている。……あいつだ。クラリッサを失ったからだ)
学園に入ってからずっと、俺の勉強を陰からサポートしてくれていたのがクラリッサだ。最初のうちは一緒に宿題をやるという体でそれとなく代わりに問題を解いてもらったり、翻訳をしてもらったり。そのうちに堂々と全部肩代わりしてもらうようになっていった。
『本当に賢いなぁお前は。頼りになるよ、クラリッサ。ありがとう。俺はこういう小難しい座学は一切合切苦手なんだ。でもな、領地の経営なら自信がある。子どもの頃から父に叩き込まれてきているからな。安心しろ、クラリッサ。将来苦労させるようなことは絶対にないからな。在学中だけだ。頼むよ』
『うふふ。分かりましたわダリウス様』
おだて、褒めそやし、その気にさせ、嘘もつき、俺はクラリッサを使って全ての課題や提出物を乗り切っていた。だからあいつの家と婚約破棄で揉めてからは、かなり苦労していた。進級試験も本当なら落第のはずだったのだ。学園から父に連絡が行ったらしい。進級点に足りていないと。
だが仮にもディンズモア公爵家の一人息子が貴族学園で1年から留年なんて、そんな恥ずかしいことは絶対にさせられないと、父が手を回した。細かい話は聞いていないが、校長か誰かに金でも握らせたのか。父は俺をきつく叱った。
『一体何をしに学園に通っているのだお前は!!まさかその辺の女たちと遊び歩いてばかりいるわけではあるまいな?!それともアレイナ嬢にうつつを抜かして本分を忘れたか?!お前はこのディンズモア公爵家の一人息子だぞ。子どもの頃から何人もの家庭教師をつけ、あらゆる知識や教養を身につけさせてきたつもりだ。他のどの生徒たちよりも恵まれた環境の中で育ってきているはずだろう。なのに、何故人より出来ない?!もっと勉強に本腰を入れろ!!』
「…………あーあ。そうは言われてもなぁ~」
自慢じゃないが、俺は子どもの頃から真面目に勉強したことがほとんどない。いくら教育に金をかけられても、良い教師をつけられても、俺本人にやる気がない以上どうにもならないのだ。全ての勉強が嫌すぎて何も頭に入ってこない。
(……その点クラリッサは本当に役に立ったよなぁ。あいつさえいれば何もかもカバーしてくれたもんな)
相手が代わっても、誰でもそうしてくれるものだと思い込んでいた。クラリッサ以外の女たちはただの遊び相手。一緒に勉強したり宿題やレポートを手伝ってもらったりしたこともないからよく分からなかったが、女は皆俺のためにこの手のことを代わりにやってくれるわけではないらしい。
アレイナに頼んでみたところ、
「……なぁ、アレイナ。次の提出物、俺の分も見てくれないか?いや、正直俺は座学は本当に苦手でな…」
「えぇっ?!嫌よ…。自分の分でも手こずってるのに、人の分までやってられないわよ」
……だもんなぁ。
(そういえばアレイナはあまり頭がよくないんだったな…。噂によると、わざわざ妹のミリーの方が王太子殿下の婚約者になったのは、妹の方がだいぶ優秀だったからだとか…)
茶会でよくご婦人方がそういう話をしているらしい。あのジェニング家との婚約破棄騒動の後、母が父に言っているのを耳にしたことがある。その時は別に深く考えていなかった。フィールズ公爵家の娘と結婚できるなら、賢い方でも賢くない方でも構わないと。肝心なのは家の後ろ盾だと。
(だけど……、参ったなこれは。クラリッサの代わりを、アレイナが全部やってくれるわけではないんだ…)
どうする。
これから卒業まで、どうやって乗り切ればいい。
(他の賢い令嬢を誰か口説き落とすか……?いや、そう簡単にはいかないだろうな。賢い女ほどガードが固い。それに俺が誘いをかけて、そのことがアレイナに伝わりでもすればものすごく厄介だ。アレイナはクラリッサと違って気が強いからな。どれほどひどい癇癪を起こすか分からない)
以前の楽さとはあまりにも違いすぎるが……。
(……だが、別に後悔するような話じゃない。とにかくこの在学中を上手く乗り切るんだ。そうすれば卒業後は何もかも目論み通りにいくはずだ。たとえジェニング家との裁判で負けて慰謝料の支払いが発生したところで、ディンズモアとフィールズ公爵家にとってはさほどの痛手じゃない。ゆくゆくは俺がディンズモア公爵を継ぎ、その上フィールズ公爵家の後ろ盾を得て莫大な権力を手にすることになるんだからな)
優秀な部下を何人も雇い、仕事も丸投げすればいい。そう。将来は薔薇色なんだ。この数年間さえ乗り切れば。
(…………クラリッサに、声をかけてみるか……?)
あいつは心底俺に惚れていた。最近はそうでもないが、以前はずっと俺とすれ違う時でさえ緊張した様子で、明らかに俺に声をかけられることを期待しているのが見てとれた。いつもずっと顔色が悪く、俺との婚約破棄が相当堪えているのは間違いない。
ただ、最近はクラリッサの態度が少し淡々としてきたようには思うが。
俺やアレイナの姿を見ても、少し顔を曇らせてフイッと視線を逸らすだけだ。
(…無理をしてるんだろうな。やせ我慢だ。おそらくこうなった今でも、本当は俺との関わりを持つことを心の底から望んでいるはずだ。声をかけて、よりを戻したい、考え直して欲しいなどと泣きつかれたらものすごく鬱陶しいが……。まぁ適当にあしらいながら、レポートだけやらせてみるか。散々無視してきたのに、都合のいい時だけ頼って申し訳ないがな。ふふ)
などと大して申し訳ないなどとも思わずに、俺はひそかにそんなことを企んでいた。




