17. テラスでのひととき
「……し、失礼いたしました、殿下。誰もいないかと思って…」
静かな空間が恋しくて何気なくテラスに出てみたら、なんとそこにはエリオット殿下がいらしたのだった。それも、深い溜息をつきながらぐったりした様子で柱にもたれかかっている。
(しまったわ……エリオット殿下も、一人になりたかったんだわ)
私は慌てて広間に戻ろうとした。だけど、
「待ってくれクラリッサ嬢!…ここにいて欲しい。少し、話をしないか……?」
「えっ?…………、は、はい。私で、よろしければ…」
(……呼び止められちゃった……)
殿下は私の返事を聞くと嬉しそうに微笑んで、ベンチに座り私を隣に来るよう促した。緊張しながら、少し距離をとっておずおずと隣に座る。
「……君も休憩したかったの?」
「え、ええ。…なんだか少し、疲れてしまって……。あ、いえ、すみません…夜会はとても楽しいのですが、その、」
「はは。いいよ、分かっている。僕も同じだから。…静かなところでゆっくりしたい時もあるよね。それに君は、きっと今そんなに体力もないだろう」
「あ……、はぁ…」
食欲があまり湧かない日々が続いている。それなりに頑張って食べているつもりでも、結構痩せてしまった。
(私、病人のように見えているのかしら…)
「すみません、もっとしっかりしなくちゃと思ってはいるのですが…」
「無理することはないよ。ただ、あまり痩せてしまっていると心配になるだけだ。……ふふ、子どもの頃の君は、もっとふっくらしていて元気に走っていたものだから、つい思い出してしまうね」
「…えっ?そ、そうでございますか…?」
(殿下、子どもの頃の私のことを覚えてくださっているんだ…)
私は何だかびっくりした。そんなに言葉を交わしたこともなかったから。
「うん。僕がよく覚えているのは、君が純白のエプロンドレスを着ていてね、髪も白いリボンで結っていた姿だ…。それで王宮の中庭を飛び跳ねるように可愛らしく走っていたよ」
「……ま、まぁ……」
やだ。そんなに細かく覚えられているなんて。
何だか気恥ずかしくて頬が火照ってくる。
その白いエプロンドレスがとてもお気に入りだった時期がある。そう、あの頃私はいつもお茶会で走り回っていたっけ…。
……いつもずっと、ダリウス様を追いかけていたから……。
「…………。」
「……クラリッサ嬢」
ついまた昔を思い出してしまい、その胸の痛みをひそかにやり過ごしていると、エリオット殿下がとても静かで穏やかな声で私の名を呼んだ。
「……僕は決してお世辞を言っているんじゃないよ。いいかい?…君はね、特別な人だ。持って生まれた美しさももちろんそうだけれど、それだけじゃない。君には言葉では言い表せないほどの魅力が備わっている。君の穏やかな優しさ、謙虚さ、勤勉さ、賢さ……全てが唯一無二のものだ。君が報われないはずがない。必ず、君の元に幸せがやって来るから……大丈夫だよ」
「…………殿下……」
どうしてこんなに私に優しくしてくださるのだろう。殿下の言葉のひとつひとつが、いまだ傷の癒えない私の胸にじわじわと染みこんでいく。その甘い痛みが涙となって、堪えきれずに私の頬を流れた。
「もっ、……もうしわけ……ございません…」
思わず顔を背けた私の肩を、エリオット殿下は労るように優しく抱き寄せ、私の頭をゆっくりと撫でてくれた。
「大丈夫。……悲しみはいつか必ず癒えるよ。もうすぐだから。大丈夫。…時間が君の味方をしてくれるよ」
(……兄も、同じことを言っていた。心の傷は、時間が解決してくれると……)
「……だけど、あまりにも苦しくて……。い、いつになれば、私はダリウス様を忘れられるのでしょうか…」
ああ、私は一体何を言っているのだろうか。優しく受け入れられて、つい気持ちが緩んでしまったのか。
こんな高貴なお方に胸の内を吐き出すなんて。
「……そうだね。それまでが長くて、苦しいよね。…クラリッサ嬢、何か、他に打ち込めることを見つけてみるのはどうだい?自分の好きなことを。それをしている間は余計なことを何も考えられなくなるぐらい、夢中になれるものを」
「…………。夢中に……なれるもの……」
「うん。びっくりするほど時間が早く過ぎるよ。ふふ、僕は本を読むのが好きだからね、公務の合間に時間を見つけてはいろいろな本を読んでいる。時間がたっぷりあると思っている日だって、気付けば日が沈んでいたりして驚くよ」
……なるほど……。
「……素敵ですわね。……私も、読書に明け暮れてみようかと思いますわ」
「うん。たとえばね、小説なら好きな作者が見つかれば、その原書に挑戦したりするのもいいんだよ。翻訳されたものではなくて、作者本人が書いた文章のニュアンスが理解できるようになるとすごく充実感もあるし楽しいよ」
それを聞いて、私はハッとした。
「それ、素敵ですわね。私も以前から大好きな作者がいるんです。セレナス国の方で、たくさん素敵な小説を書かれているんですが……原書は読んだことがありませんでした」
「はは、いいんじゃないかな。君は語学がとても得意だとウォルターも言っていた。もういくつもの言語を習得しているのだろう?君ならきっとセレナス語もマスターしてしまうよ」
「は、はいっ。早速明日から挑戦してみますわ。……ありがとうございます、殿下」
私が見上げてお礼を言うと、殿下はとても優しく微笑んだ。
その微笑みは私の胸にじんわりと染みこんでくるような、不思議なほどの温かさをまとったもので、ついさっきまで感じていた苦しさを忘れてしまうほどだった。
(……すごいわ。やっぱり王族の方って特別なのね。…こんなに包容力があるなんて…)
私は今夜の殿下との時間に、心から感謝していた。
広間の中からテラスへと続く窓のところにミリー嬢が立っていて、じっとこちらを見ていたことにも気付かずに。




