自分自身でおありなさい
2月18日(日)曇り時々雨
6年ぐらい前だったかな。いや、もっと前か。とある芸術系の学校で改修工事をしたことがある。
もお、大変だったよ。何が大変って、とにかく教授も学生も、ほら、アーティストだから。掴みどころがない人ばかり。
例えば、工事前の下準備として、草刈り機でブインブイン除草をしてるとさ。「すみません。今、降りてるところだから、静かにして下さい」とか言って作業を中断させるんだよ。学生がタバコ咥えて、彫刻刀持ってウーンなんつって唸っちゃってんの。「降りてる」って何だよ? 恐山のイタコじゃねーっつーの。
ったく、こっちゃあ、何週間も前から工事告知をしてんだけどね。そこは、ほら、アーティストだから。感性の人だから。常識にとらわれない人たちだから。
あと、敷地内の通路を三日間だけ車両通行止めにして給水管を埋設する時も、そこの教授が夜中に急になんや知らんでっかいオブジェを持ち出したくなったとかで、車を通してくれっつーんだよ。施設側も「言い出したら聞かない人なので、何とかお願いします」つーんだよ。たまんねーよ。もちろん事前に施設に許可取って、入念な告知をした上での工事なんだけどね。
つくづくアーティストってのは、僕のような工事屋の頭では図りかねる人種だと思ったよ。
僕の経験上、学校の工事で一番難儀だったのがその芸術学校の改修工事。次に難儀だったのが、工期が受験シーズンと重なった進学高校の改修工事。ちなみに、逆に一番工事がやりやすかったのは、工業高校。先生も生徒も、涙が出るほど協力的だった。学校側にお願いする残置物の移動とか雑用とか、アンタら職人かよ!って感じで、テキパキと動いてくれた。
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「自分自身でおありなさい」
僕の大好きな詩人・中原中也が、かつての恋人・泰子に「芸術の動機」と題した手紙の中で送った言葉。
「自分自身でおありなさい。弱気のために喋ったり動いたりすることを断じておやめなさい。断じてやめようと願いなさい。そしてそれをほんの一時間でもつづけてごらんなさい。そうすればそのうちきっと何か自分のアプリオリというか何かが働きだして、歌うことが出来ます」
女優志望の元カノ泰子が、自己の表現に悩んでいる時に、中也が書いた長い手紙の一文である。もちろん、中也はこの言葉を有言実行した詩人だった。 みずからの心をみずからえぐり取るような詩を数多く発表し、波乱の人生の末、最期は頭がおかしくなって、三十歳という若さで死んだ。
十三歳になるうちの長女の将来の夢は「芸術家」。保育園の頃からの変わらぬ夢だ。4月からは、これまでよりも、さらに本格的な芸術の塾に通い、徹底的に絵の勉強をする。どーぞどーぞ、なれるもんならなってちょうだい芸術家、ってな感じよ、僕としては。少なくとも親の経済的な理由で挫折だけはさせたくないので、がんばるしかない、父としては。
てかさ、詩人であれ、画家であれ、音楽家であれ、小説家であれ、その作品に世間の需要がなければ、当然芸術活動で生活は出来ないのだけれど。だからと言って、みんなが「いいね」と評価するような、世間に媚びた作品だけを作り、いつしか他人からの評価そのものが活動の目的と成り果て、そしてその思惑が作品から露骨にダダ洩れしてしまうことで、結果として、逆に世間からの評価を下げてしまう、なんてこともあるにはあるわけで。
重ねて言うが、アーティストってなあ、まったく不可解な人種だなあ。自分自身であり続けることで、他者からの評価を得るのだ。自分自身であり続けることが、仕事みたいなもんだ。芸術を生業とし続けられる人ってのは、はるか昔にそんな感性をどこかに置き忘れてきた、しがない工事屋の僕からすれば、いやはや、やはりどこか図りかねる人達なのだよ。
兎にも角にも、長女よ。君の夢が芸術家ならば、どうか自分自身でおありなさい。死ぬまで絵筆を片手に、自分自身であり続けることが、さて、君には出来るかな?




