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僕の日記  作者: Q輔
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母を嫌いな息子なんていません

 3月24日(日)雨 


 死んだ母のことを思っていました。義母と生活をするようになってから、日常のなかでふと母のことを思い出すことが増えた。死んでから、もう十年近くの歳月が経っているんすけどね。正直言って、今でも寂しい。いい歳こいたおっさんなんすけどね、まあ、ずっと彼女の息子っすからね。


 世間では、息子が母親へ強い愛情や執着を待つことを「マザコン」と呼び、忌み嫌いますが、てか、ぶっちゃけ、母を嫌いな息子なんていません。是非に及ばず、いませんから。


 これは、どうしようもないこと。息子としてマトモなこと。僕は、おっかあ、死んじゃってるからね、照れも、恥じも、外聞もねーから、正直に言っちゃうよ。


 息子は、たとえガミガミうるさい教育ママでも、たとえ隣のママのほうがキレイでも、たとえド貧乏でも、たとえ変人でも、たとえ自分を捨てた母であっても、それでも、本能的に、盲目的に、ママのことが好き、そういう憐れな生き物だっつーの。


 あなたの彼氏や、あなたのご主人にとって、幼い頃からずっと密着してきた彼らの母親が、彼らが異性とお付き合いをする時のひとつの指標になっていることは、まず間違いないと思います。結婚相手、好みのタイプ、これらすべて無意識に「母というモデルを基準としてどうか?」と判断しています。例えば、母とそっくりな相手とか。例えば、母の欠点を補うようなタイプの女性を選んだりとか。息子さんがいる人は、彼にとっては、あなたが異性とのコミュニケーションの重要な指標になっている。これは想像に難くない。マトモなことだと、僕は思う。


 僕の母はね、僕の理解者だったのです。どんな時も、僕の味方だった。社会が僕を見捨てた時も、母だけは僕を分かってれた。そんな母が、突然死んだ。交通事故だった。


 僕は普段、滅多に落ち込んだり、へこんだりしない性分なのだが、この時ばかりは、もうダメかと思った。同県に住んでいるからといって、何年も会いに来ない親不孝息子のくせして、いずれは、いつかは、先に逝ってしまう存在であることも重々承知で、それでも、誠に勝手ながら、僕には母のいない人生というのが、まるで想像が出来なかった。


 そして、想像を絶するそれは、突然やって来た。表面上、必死で平然を装っていたが、本当は動揺しまくっていた。足元がフラつき、マトモに歩けなかった。身心を襲う虚脱感のなか、孤独というものを、嫌というほど味わっていた。あの時、妻がいなかったら、正直どうなっていたか分からない。


 僕に反抗期はありませんでした。息子の反抗期ってのは、家庭ごとに様々な振り幅があるようですね。どうやら、それまで強い愛情・強い密着度を持った親子ほど、怒涛の反抗期をむかえる傾向にあるみたい。あれは、思いっきりブンっと振った振り子が、同じ振り幅で反対側に振られる原理でしょう。危険を伴う巣立ちっちゅうか、痛みを伴う脱皮っちゅうか、まあ、生物的にマトモに成長している証かと。


 てか、反抗期を終えてからですよ、母と息子は。たぶん。きっとね。


 息子の反抗期で悩んでるそこのお母さん。母を嫌いな息子なんていませんよ。いるもんか。是非に及ばず。だって、いるはずねないじゃんね?


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― 新着の感想 ―
[一言]  母親嫌いな息子いますよ。ネットで調べたら出てきますよ。毒親で嫌い、とか。反抗期過ぎても嫌い、結婚してからも嫌いで、母親の老人ホーム手続き、嫁にやってもらった。一度も見舞いに行かなかった、と…
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