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僕の日記  作者: Q輔
34/50

考えないも思考のうち

 3月17日(日)晴れ


 命は、なぜ生まれるのだろう?


 命は、なぜ死ぬのだろう?


 人は、なぜ殺し合うのだろう?


 世界は、いつ平和になるのだろう?


 思春期の頃は、そんなことを夜中に考えて眠れなくなったものだ。社会に出てからも、不意にそんな問いを考えあぐね、悩みに悩んでしまう癖があった。そして、まだ何も成し得ていないヒヨッコのくせに、早々に人生に絶望をしていた。


 考えても、考えても、答えは出なかった。もちろん、今だって答えを出せよう筈がない。問題のスケールがデカすぎて、愚民の僕には、アウトオブコントロールの範疇なのだ。上記の問いに限らず、自分がいくら考えたところで、どうにもならない問題は、現在も歴然と存在し続けている。


 ならば、いっそのこと、考えても答えの出ないことは、考えない。


――そんなふうに思えるようになったのは、四十歳を過ぎた頃からかな。


 別に開き直っているわけではない。人生を斜に構え、社会の諸問題から目を逸らしているわけでもない。いい歳こいて、いつまでも青臭く悩んでいるのは罪なこと。自分の人生の限られた時間においては、考え抜けば答えが出そうな問題に真剣に取り組むべきではないか、と思ったのだ。


 だから今は――


「命は、なぜ生まれるのだろう?」という問いは、子供二人を成人まで育て上げるのに掛かる総費用はいくらなのだろう? という問いに発展し。


「命は、なぜ死ぬのだろう?」という問いは、自分が死んだら、互助会は? 葬儀の流派は? 遺産相続は? 墓はいる・いらない? という問いに発展し。


「人は、なぜ殺し合うのだろう?」「世界は、いつ平和になるのだろう?」という問いは、世界中の恵まれない人々のために活動する機関に、自分はいくらの募金が出来る? という具体的な問いに発展をしている。


 世の中には、僕がどれだけ考えても分からない問題に、明確に答えを出せる人がいる。そういった問題は、そういった人に任せておけばよい。自分は、自分なら答えに辿り着けるであろう、身の丈にあった諸問題について、命がけで考え抜けばよい。


 考えても答えの出ないことは、考えない。


 思考から逃げているのではない。


 考えないも思考のうち。


 思考の選択肢のひとつだ。



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