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第三話 仲の良いきょうだい

 翌朝。

 九月一日。

 今日は高校の二学期が始まる日だ。

 いつもの時間に起きて、一階のリビングに向かうと、そこにはいつもと違う光景があった。

 食卓を家族が囲んでいたのだ。

 家族で一緒に朝を過ごす。

 世の中の多くの人にとっては当たり前の光景であっても、俺にとっては何年振りか思い出せないくらい久しぶりの出来事だった。 


「弟くん、醬油取ってー」

「分かった。はい」

 

 隣の席に座る姉さんに頼まれて、俺は机の端に置かれた醬油の小瓶を渡す。


「ん、ありがとー」


 どうやら姉さんは目玉焼きに醬油をかける派らしい。

 VTuberのニノンも雑談中にそんなことを言っていた気がするな。

 こういう細かい部分からも、この人が推しと同一人物なんだと実感させられる。


「あれ? 弟くん制服着てるけど……もしかして、今日から学校?」

「正直憂鬱だけど、そうだね……夏休み中は一日中ゲームできていたのに、今日から怠い日々が始まる」

「そんなこと言って、高校生なんだから勉強もちゃんとしないとだめだよー」

「分かってはいるけど……」

「弟くんって成績はどんな感じなの? ゲームのやりすぎで赤点取ったりしてない?」


 姉さんはやたらと俺のことを気にかけてくる。

 これも本人としては、お姉ちゃんらしい振る舞いの一環のつもりなんだろうか。


「赤点を取ったことはないよ。大体いつも、平均点くらいだ」

「そっか、弟くんはちゃんとゲームと勉強を両立してるんだねー」


 姉さんはそう言うと、目玉焼きを箸で切り分け、口に運んだ。

 まだパジャマ姿で朝ごはんを食べる姉さんを横目で見ながら、俺は思う。

 さっきから自分のことを聞かれてばかりだけど、この人の予定はどうなっているんだろう。

 やはり、推しの生態は気になる。


「姉さんは……この時期だと、まだ大学は夏休み中?」


 姉さんは昨日、自分のことを大学2年生だと言っていた。

 学校や学部によるだろうけど、大学の夏休みは9月の中頃か末くらいまであるらしい。

 だから今もその最中かと推察していたのだけど。


「夏休みではあるんだけど……私の場合は諸事情により休学中かな」

「それって、あまり人の成績をとやかく言える状況じゃないのでは」

「別にそれは……ほら! 私の場合、学業よりも優先したいことを見つけて、ちょっと大学をお休みしているだけだから! 至ってポジティブな理由で、決してサボっているわけじゃないからね!」


 姉さんは箸を止めて、身振り手振りを交えながらそう主張してくる。


「今は配信活動を優先しているってこと?」

「そ、そうそう! そんな感じ。大学に行ってなくても、私の場合はちゃんと稼いでるから」

「まあ、あれだけ人気なら……っ!?」


 きっと収益もかなりの額なんだろうなと納得しかけたところで、俺の口は姉さんの手で塞がれた。


「弟くん、昨日決めたルールを思い出して……!」


 姉さんは俺の口から手を離すと、小さな声で耳打ちしてくる。

 昨日決めたルールとは、姉さん……黒川(くろかわ)丹音(にのん)の正体がVTuberのニノンであるという秘密を誰にも漏れないようにすることだ。

 お母さんも、姉さんが配信活動をしていること自体は把握していても、その正体までは知らない。

 特定に繋がる可能性のある不用意な発言は、例え家族の前であっても避ける必要がある。

 だが今の俺には、ニノンの正体が露見することへの懸念以上に、気になることがあった。


(なんでこんなに近いんだ……!) 


 姉さんの、身体的な距離の近さ。

 手で口を塞いできたり、耳打ちしてきたり。

 きょうだいだから変に意識する方がおかしいのかもしれないけど、この人が姉になったのはつい昨日の話だ。

 まだまだ、俺にとっては他人という認識が強くて、年上の美人で、推しの中身だ。

 姉さんがどう思っているかはともかくとして、俺がまったく意識しないのは無理だった。


(こういうのも、姉と弟として接していたらいずれ慣れるのか……?)


 俺が悶々とした気分になっていると、姉さんが肩を軽く揺すってきた。


「おーい、ちゃんと聞いてる?」

「あ、うん」


 姉さんに呼びかけられて我に返った俺は、改めて反省した。

 さっきの発言は、うっかりしていたな。 

 今は親の前だから最悪大丈夫かもしれないけど、他の人の前で口を滑らせたら大問題だ。


「二人とも、昨日の今日ででずいぶん打ち解けたんだな」

「いったいいつの間に……でも嬉しいわ。新しい家族としてうまくやっていけるか、正直不安があったから」


 父さんと母さんは、俺たちきょうだいのやり取りを見て「仲が良い」と感じたらしい。

 なんにせよ、VTuberとしての姉さんの正体について気にしている様子はないから、助かった。

 などと、俺が安堵していたのも束の間。


「私と弟くんにかかればこれくらい余裕だよ! 昨日もパソコン周りの設定を手伝ってもらってすごく助かった!」


 姉さんが、今度はガシっと肩を組んできた。


「ちょっ、姉さん……!?」


 この人、スキンシップが多すぎるだろ。


「弟くん、意外とガッチリした体格だね?」


 俺の動揺などお構いなしに、姉さんは話しかけてくる。


「……そんなことはないと思う。むしろ同年代の平均より少し痩せているくらいだ」

「つまり弟くんも、ちゃんと男の子ってことだ。ふーん……なんか新鮮かも」


 姉さんから、じっと熱っぽい眼差しを向けられたような気がした。


「……?」


 なんだろう。

 姉さんの頬が、少し赤くなっているような気がする。

 そして、どこかボーっとしているような。


「二人とも、もうすっかり仲の良いきょうだいね」

「へっ? あ、うん。私は弟くんのこと、頼りになるから好きだよ」


 俺の気のせい……だったんだろうか。

 姉さんはパッと組んでいた肩を離すと、母さんに対して笑顔で応じた。

 好き。

 いや、特別な意味はないよな。

 姉さんにとって俺は、仲の良いきょうだいだ。


(きょうだい、か……)


 人の気も知らずに、と思わなくもない。

 けど、この新たな家庭こそが、父さんの望んだ幸せだ。

 きっと、母さんにとっても同じだろう。

 両親がやっと手に入れた幸せ。

 それを壊さないために俺は秘密を守る。

 このやたらと距離感の近い姉にも、弟として慣れていく必要がある。


 ——弟として。

 その言葉を自分で頭に思い浮かべておきながら、俺はどこか心地の良くない引っ掛かりを覚えた。


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