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第十話 推しは俺の心を揺さぶる天才

 30分程並んだ後、カフェの店内に案内された。

 テーブル席に座り、注文をする。

 少し経って、飲み物と噂の限定メニューである栗と抹茶のケーキが運ばれてきた。


「あ、最近食べたいって言っていたのはこれか。この前、写真を見せて紹介してたっけ」


 テーブルに置かれたケーキを見て、俺はそう言う。

 このケーキは、ニノンの配信中に「これを食べたい!」と紹介されていた品だ。

 俺は身バレのリスクを避けるために「配信」というワードは使用せずに話題に出した。 


「うん。やっぱり弟くんってよく見てるねー」


 姉さんも俺に合わせて「配信」のワードは口に出さずに答えた。

 姉さんはスマホを取り出して、ケーキの写真を撮っている。


「やっぱり女の人って、食べる前に写真撮るんだ」

「ん? 別に最近は男の子も写真を撮ってSNSに画像をアップしたりすると思うけど」

「学校と家を往復してゲームしてるだけの俺にはあまり縁のない世界だ……」 

「でも弟くんだって、ゲームのスクショや動画をアップしたりするでしょ?」

「言われてみれば、そうかも」


 確かに俺のようなゲーマーでも、ゲームで活躍したり珍しいことがあったらその内容をSNSに投稿して共有することがある。

 そう考えると、ゲーマーだろうがキラキラした見た目の女子大生だろうがやっていることは大差ないのかもしれない。


「私もSNSにアップするのはゲームとかの画像の方が多いからねー。普段あまり部屋から出ないのは同じ……というか、弟くん以上にそうだし」

「直近で一番の話題はル〇バを買ったことだったっけ……」


 ニノンのSNSでは配信の情報や彼女自身の日常の一端を垣間見ることができる。

 我が家に最近やってきたお掃除ロボットの画像は、ニノンのSNSで嬉々として紹介されていた。


「だからこそ、こうしてたまに部屋から出た時にネタ集めを頑張ってるんだよー」


 姉さんはもう何枚かケーキを撮影した後、ようやくフォークを手に持った。

 それにしても、ネタ集めか。

 遊びに来た場でも配信への意識を欠かさない辺りは、さすが登録者20万人超えのVTuberってところか。

 毎日活発に配信をしているおかげで、今も順調に登録者数を伸ばし続けているし。


(……配信中ではおちゃらけてばかりの推しが裏では真面目とか、なんか感動的だ)


 こういう意外な一面を見ることができるのは弟だからこそだと考えたら、今の立場は最高なんじゃないかと思ってしまう。


「んー、想像通りおいしー! いや、これは想像を超えてるね……ってあれ。弟くん食べないの?」

「ああ、いや。ちょっとボーっとしてた」

「……? 早く食べないと、弟くんの分も私が食べちゃうよー」


 姉さんはそう言って俺のケーキの方にフォークを伸ばしてきた。

 俺はケーキの皿を掴んで、すっと姉さんから遠ざける。 


「自分のがあるんだから、まずはそっちを……ってもう完食したのか」

「うん。おいしいからあっという間だったよ」


 姉さんは満面の笑みを浮かべていた。

 そこまで言うくらいなんだから、余程の味なんだろう。

 俺もいい加減、一口食べてみた。

  

「これは、確かにうまいな。最近食べた甘い物の中だと一番かも」

「だよねー」


 もう一口食べようと、ケーキをフォークに刺して口元に運ぼうとしたその時。


「姉さんって、けっこう食べるの好きだよね」


 俺はふと思ったことを口にした。


「まあ、美味しいものは好きだけど……それがどうかしたの?」

「いや、基本的に家でじっとしてることが多いからさ。その……」


 正直、普段の姉さんは寝てるか配信しているかのイメージしかない。

 今日みたいに外出するのは珍しいし、こんな調子だと体重とか大丈夫なんだろうか。

 そんな不躾なことを頭の中で考えて、口に出そうとして、俺は直前でやめた。

 

「……」


 さすがに直接言うのはデリカシーがないよな。


「ん? どうしたの?」


 俺が途中で言いやめたので、姉さんは不思議そうにしていた。


「……なんでもない」

「あ、もしかして弟くん」


 今更ごまかそうとした俺だったが、どうやら手遅れだった。


「私がぶくぶく太ってるんじゃないかって言いたいんだ……?」


 俺の言いかけていたことに感づいた姉さんは、ジト目を向けてくる。


「いや、そうは言ってないけど」


 それと、そこまで酷いことは思ってないけど。


「言おうとはしたよね」

「……ノーコメントで」 

「ふふっ! 弟くん、本気で気まずそうな顔してかわいいねー」


 気まずさを感じていた俺を前に、姉さんは笑い出した。

 本気で責めているわけじゃなくて、冗談でからかっているだけだったらしい。


「……勘弁してくれ」

「まあ、弟くんが私をからかおうとするのはまだ早いってことだね! 私にかかれば、逆に隙を見つけてからかい返すくらい余裕だからね」


 姉さんは勝ち誇るように胸を張った。

 こうやってすぐ得意げになる姿は、配信中のニノンほぼそのままだ。


「もっと精進してから出直すよ」

「うんうん、私はいつでも弟くんの挑戦を受けて立つよ。ひとまず今日のところは、勝利の証をいただくけどね!」

「勝利の証って……あ」


 俺が姉さんの言葉を疑問に思っていたその時。

 俺のフォークに刺さっていたままになっていたケーキを、机に少し身を乗り出した姉さんがぱくりと食べた。


「へへー、おいしいから食べ足りなかったんだよね」

「だからって、これは……」


 俺がさっき使ったフォークを、姉さんが口にした。

 これはいわゆる、間接キスというやつでは。

 ただの超絶美人が相手ってだけでも色々とすごい状況なのに。

 相手は推しだ。

 いや、でも推しのVTuber……バーチャル空間に存在するはずの存在と間接キスってよく分からない状況だな。

 じゃあこれは推しとの間接キスじゃないのか……?

 でも義理の姉との《《それ》》ではある。

 あれ、きょうだいが相手ならセーフか……?


「弟くん、固まっちゃってどうしたの? 食べないなら私がもらっちゃうけど」

 

 姉さんにそんな声をかけられて、俺は我に返った。 


「自分で食べる。食べるけど……」 


 この絶品ケーキを姉さんに渡す気はない。

 単純に自分で食べたいからというのもあるけど、これ以上食べたら姉さんの身体に良くないだろうし。

 姉であり推しでもあるニノンの健康と食生活を管理することは、この人が黒川家にやってきて以来俺の役割だと自負している。

 だからこそ、残ったケーキを食べたいんだけど。


(姉さんが口を付けたフォークを使ってもいいのか……?)


 俺の脳内には難しい疑問が浮かんでいた。


「弟くん、なんだか難しい顔をしてるね。さっきからフォークをじろじろ見てるし……あ、そっか」


 そこでようやく、姉さんは自分のしたことに気づいたらしい。

 

「私たち、きょうだいなのに……うっかり恋人っぽいことをしちゃったね?」

 

 冗談っぽくそんな言い回しをしながら、配信の時と同じ面影で笑う姉さんを前にして、俺は。

 自分の推しは俺の心を揺さぶる天才だなと思った。

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