【3】人の数だけ業(ごう)がある。
自習室に戻れば、茶葉の良い香りが室内に漂っていた。レポート用紙の上で必死にペンを走らせるユリウスの傍らにティーカップが置かれている。いつも通り従者が淹れたらしい。
「リリカ先輩。紅茶を用意させたのですが、僕一人で飲むには量が多くて。良かったら一緒にどうですか?」
「じゃあ、御相伴に預かろうかな」
汚さないように本を木机の端に置き、ユリウスに向かい合う位置に座る。すかさず青年の方の従者によって程よい熱さの紅茶が注がれた茶器が置かれた。右手で持ち上げ、良い香りの紅茶を一口飲めば、口一杯に心地よい苦みが広がった。
「……美味しい。ベンノさんは本当に紅茶を淹れるのがお上手ですね」
「恐れ入ります。……リリカ様。本日の茶菓子はリリカ様のお好きな栗をシロップで煮て、洋酒で風味付けした栗の糖蜜漬けです。お気に召したらよいのですが」
いつも紅茶を淹れてくれる青年従者を褒め称えれば、目を伏せて微笑まれた。白手袋が嵌った彼の手が、茶菓子を白磁の皿に盛って差し出す。添えられたケーキフォークで半分に割ったマロングラッセを口に入れ、リリカは紅玉色の瞳を細めて相好を崩した。
「これ、初めて食べましたけど、舌触りが独特で面白いですね。凄く甘いのに栗の風味が生きてて、それを洋酒がさらに昇華させてます。……いいんでしょうか、私みたいな庶民がこんな高級菓子を頂いて」
「勿論でございます。坊ちゃまがリリカ様のために……」
従者ベンノの話を、慌てたように坊ちゃまが遮る。
「リリカさん! ……えっと、気に入って貰えたなら何よりです。その、帰ってくるのが少し遅かったですけど、もしかして何かありましたか」
ああ、そういえば、とリリカは深赤色の瞳をユリウスに向け、指を三本立てた。
「ユリウス君に近づくなっていう御令嬢の牽制が2回、扉の前で出待ちしてた御令嬢の対応が1回あったから、≪魔除けの護符≫で追い払ったよ。家名は……」
御令嬢たちの名前を列挙して報告するリリカに、ユリウスが菫色の瞳を伏せて申し訳なさそうな表情をする。
「すみません、リリカ先輩」
「いいって。野ネズミ先輩に任せなさい。これでもお貴族様相手の打たれ強さとしぶとさには定評があるんだよ」
ニッと笑ってみせたリリカは、残りのマロングラッセを口に入れる。リリカは知っている。この紅茶も、この茶菓子も、ユリウスが彼女のために用意したものだと。
最初の頃、ユリウスは虫よけの礼をしたいとしつこかった。だが、リリカはそれをずっと固辞していた。礼が欲しくてしたことではなかったからだ。
それでもめげないはユリウスは、魔獣石やら宝玉やらドレスに装飾品まで色々なものを提案して、時には実物を持って来さえした。そして、リリカも頑固にそれを断り続けていた。
両者の攻防が続いていたある日、自習室に戻ると紅茶と茶菓子があったのが、このティータイムの始まりだ。
既に淹れられた紅茶と綺麗に小皿に盛られた茶菓子が机の上に並べられていて、ユリウスのために用意したものだが余ってしまった、リリカがいらなければ捨てると言われて、彼女は恐る恐ると紅茶に口を付けた。すっかりお決まりとなった朝の紅茶と茶菓子を楽しみつつ、リリカはユリウスに微笑みかけた。
「紅茶もお菓子も美味しいよ。御相伴させてくれてありがとう、ユリウスくん」
「きっ、気に入って頂けたなら良かったです」
頬と耳を赤らめて、薄紫色の瞳をウロウロさせる少年に、リリカはフフッと笑い声を上げる。素直で可愛い家猫くんのためならば多少の苦労は負ってやろうと野ネズミは二杯目の紅茶に口を付けた。
***
「ちょっと通信を一件入れてもいいかな」
「どうぞ」
紅茶で喉を潤して一休みしたリリカは、同席するユリウスの許可を得て、耳に付けたピアス式通信具に魔力を流した。登録通信回路を呼び出せば、聞き馴染んだ叔父の声が耳元から流れ出す。
「へーい。こちら第156帯同神官部隊副官テオフェル」
「テオフェルさん。リリカです」
普段は『テオ叔父さん』と呼ぶ彼の名を、他人行儀に呼ぶのには理由がある。リリカは外ではおじ達と他人の振りをしろと言い聞かせられているためだ。
***
リリカの祖母、つまりリリカの父やおじ達の母親はタネ集めが趣味だった。これが可憐なお花の種だったら良かったのだが、彼女が集めたのは≪種馬≫。つまりは高貴なる血筋の男性から優秀な遺伝子を頂くのがライフワークのアグレッシブおばあちゃんだったらしい。
ヴァッレン帝国において14名の男子を全員種違いで産んだ彼女は、今は帝都神殿の無縁墓地で眠っている。帝国お家騒動の生きた火薬庫たる、とんでもねぇ血筋の子供たちを遺して。
万が一誰かの出自がバレたときに他の兄弟を巻き込まないように、対外的には互いに他人ということにして全員の出自を偽装したのは長兄ルドルフだ。祖母が魔獣によって滅亡した祖国から共に連れて来た長男は、祖母亡き今も兄弟たちのまとめ役として一族を取り仕切っている。
***
平穏な平民生活を守るために、姪っ子リリカと叔父テオフェルの関係は、対外的には父親の知り合いということにしてある。他のおじ達も同様だ。
父の知り合いのお兄さんテオフェルに、知り合いの娘さんリリカは質問した。
「テオフェルさんが先日おっしゃってた、瀕死の重傷を負って治療中に『高飛車で巨乳な貴族令嬢にヒールで踏みつけられるまでは死ねない!』って叫んだ騎士様なのですが」
―――「「ブフウッッ!!!」」
耳元と正面から同時に吹き出す音が聞こえた。見れば、机の向こう側でユリウスが咳き込んでいる。気管支に入ったのか咳が止まらず苦しそうだ。従者二人が慌てて背中をさすったりハンカチを差し出したりしている。
通信具の向こう側も騒がしかった。叔父テオフェルは魔獣戦線の帯同神官だ。タイミング悪く、戦場で負傷した騎士を治療中だったらしい。
「おいこらテオフェルっ、この馬鹿者が! 治療中に知りえた情報には秘匿義務があるんだぞ! 陣営地に戻ったら始末書を書け!」
「テオフェル神官! 腕! 腕が三本生えてます!!」
「ああっ、掴みかけてた魔力回路放しちまった!」
「ちょっとまって……蘇生のために集中しろ、私……ぶっふぅぅ。ヒィッ。ムリッ」
ありゃあ、とリリカは顔を覆う。通信具の向こうで阿鼻叫喚が広がっていた。
「テオフェルさん、お仕事中でしたか。邪魔をしてすみません。また今度にします……」
「……だ、大丈夫だ。それで、その騎士がどうしたんだ? ……まさか、ヒールで踏んで欲しいって追いかけ回されたとか……」
リリカは母親に似て、背丈以外は年の割に発育が良い。確かに騎士の願望を体形だけならば満たしているといえなくもない。だが、断じて高飛車令嬢ではない。
チャキリと金属が鳴る音に顔を上げれば、ユリウスが机に立て掛けた長剣を片手で掴んでいた。未だ咳き込みながらも、眉間に皴を寄せて険しい表情をする彼に、ステイと掌を見せて静止を掛ける。落ち着け、後輩よ。
こちら側と通信具の向こう側両方で殺気立つ男二人に、リリカは急いで否定の声を上げた。
「違います。……その騎士様なのですが、まだ御存命ですか? 該当する御令嬢を見つけたのですが」
「―――『なにいっ。本当か!?』」
通信具の向こうで聞き覚えのない男性の声がした。ドッタンガッシャンと何かが暴れたり倒れる音の後に、リリカの通信具に本人だという声が名乗りをあげた。ぜひ紹介をと鼻息荒く迫る騎士に、リリカはつい先程対峙した伯爵令嬢の名を告げる。
「上二人の御令嬢が魔獣戦線で戦死して、家名維持のために功績をあげる騎士が家門にいなくなってしまったようです。残った三女様は学術分野において優秀な方ですが、戦闘実務が苦手でいらっしゃいます。騎士様の魔獣戦線での討伐実績を見せれば、すぐにでも縁組を成立させれらるものと」
「そうか、感謝する。すぐに実家の男爵家を通して話を進めよう」
弾むような声で返事をする男性騎士に、リリカが更に御令嬢の好きな菓子と花を教えていると、叔父テオフェルがげんなりした様子で、その辺にしとけ、と男性騎士を押しのける声がした。
「……おい、耳元の通信具に声を吹き込むために、野郎に唇を寄せられた俺様になんか言うことあるんじゃねぇか、お前ら」
リリカは口元を緩ませた。なんだかんだ通信具を男性騎士に使わせるあたりに面倒見のよさが滲み出ている。こういうところが友人が多い所以なのだろう。
「ありがとう、テオフェルさん。今度御礼しますね」
通信具の向こうで、縁談の斡旋を受けた騎士もまたテオフェルに礼を告げる。
「愛してるぞっ。テオフェル!」
「リリカちゃんはともかく、てめぇはヤメロ、マジでヤメロ!」
仲の良い二人にクスクスと笑いが止まらぬまま通信を終えたリリカは、ジットリとした視線を感じて顔を上げた。漸く咳が止まったらしいユリウスが彼女を不貞腐れた顔で睨んでいた。紅玉色の瞳を瞬かせたリリカに、ユリウスの菫色の瞳が細められる。
「……随分仲が良いんですね。『テオフェル』ですか。バルリング辺境伯領にある魔獣戦線で有名な帯同神官が同じ名前だったはずですが」
「そうだよ。父の知り合いなの。……あれ、もしかしてユリウス君も今言ってた伯爵令嬢様狙ってた?」
遠回しに先程の騎士と女性のタイプが同じなのかと尋ねると顔を真っ赤にして否定された。違うらしい。
***
明日魔獣に喰われるかもしれないし、いつ国が滅びてもおかしくないのが、リリカたちの生きる世界の現実だ。どうせなら、あの伯爵令嬢も彼女を大事にしてくれる相手と人生を過ごせたらいいと思ったのだ。その日々が後どれだけ残されているかなど、軍神にしか分からないのだから。
困っている人がいて、リリカにはそれをどうにかできるツテがあった。だから、ちょっとしたお節介をしただけだと言えば、後輩はレポートを書く手を止め、呆れたような表情をした。
「お人好しが過ぎませんか」
「そのお人好しのおかげで平和に自習室を利用できているのは誰かな? ユリウスくん」
広げた資料をノートにまとめながらリリカがチラリと目線をやると、ユリウスは両手を上げて降参のポーズをする。
「……いつも助かっています、リリカ先輩。……先輩にはないんですか、縁談とか」
「無いよ! あるわけないじゃん。あのね、ユリウス君。14歳で結婚とか貴族階級だけだよ」
では、と後輩は机の向こう側で両手を組んで完璧な微笑を浮かべて訪ねてきた。
「貴族と平民の婚姻についてどう思いますか」
へ、と首を傾げるリリカに、ユリウスは組んでいた手を解き、片手をリリカの方に差し伸べる。ダンスでも申し込むような気軽さで、彼はとんでもないことを言ってきた。
「例えば、僕とリリカ先輩とか」
―――心臓が止まるかと思った。
意識して呼吸をいつも通りに整え、顔の筋肉を動かさないようにする。本のページに掛けていた指をそのままゆっくりと動かしながら、リリカは冷静を装って淡々と後輩の軽口を跳ね飛ばした。
「……いや、冗談がきついよ。ユリウス君」
そう、これは冗談に違いない。
貴族の結婚は政略だ。家の、ひいては帝国の更なる発展と人類の存続に寄与するために彼らは連綿と有益な血筋を遺し続けなければならない。野ネズミと婚姻してもノイス侯爵家には何の利益もない。少なくとも、彼が知る平民リリカの情報上は。
リリカはドキドキと煩い心臓を無視して、もしリリカが冗談を本気にしたらどうするのだとユリウスを叱った。彼は苦笑すると手を引っ込め、レポート作成に戻った。リリカもペンを握り直す。驚いたせいか、手汗が酷かった。勘弁して欲しい。今日の家猫くんは悪ふざけが過ぎる。
―――野ネズミと家猫くんの距離は、机一つ挟んだこのくらいがちょうどいいのだ。
「そんなことより、来週の戦線見学実習の相談に乗ってくれないかな」
「人の求婚を『そんなこと』扱いは酷すぎませんか、先輩……」
「えー、まだその冗談続くの?」
文官でも実際の魔獣戦線を見学して将来実務で役立てるべし、という実習なのだが、魔獣との戦闘自体がトラウマのリリカにとっては鬼門の授業である。必修でなかったら絶対に選択しない講義だ。
「私、魔獣との戦闘を見ると動けなくなるし、最悪気絶するんだけど、どうしたらいいかな……」
「僕の家門から護衛騎士をお貸ししましょうか。僕が付き添ってもいいですし」
「いや、それは悪いから、なんかこう、凄くよく効く気付け薬とかないかな」
「戦況が悪化した戦区で使う、恐怖を感じなくなる薬ならありますけど、依存性が高いですし……」
「それ、廃人になるやつでしょ」
軽口を叩きながらも、お互いにペンを動かす手は止めない。野ネズミはそんな家猫くんとの関係が心地よかった。
本当は貴族と交友関係を持つこと自体が、後ろ暗い血筋のリリカにとってはリスクになる。それでも、学生時代だけでもこの後輩との時間を大事にしたいとリリカは思っていた。卒業して同じ学園に通うという接点がなくなれば、会うことも叶わなくなるだろう高位貴族の少年を、リリカは大層気に入っていたのだ。
***
リリカの祖母はタネ集めが趣味の亡命王族だった。亡国の王女が当時の帝国第二騎士団長との間にもうけた息子を父に持つリリカ。そんなものが表舞台に立てばどうなるか。
―――ルドルフ伯父様の胃が限界を迎える。
破天荒な親族の後始末に追われる姿を見てきたリリカは、自分だけでも常識人でいて、苦労を掛けないようにしようと思っていた。……少なくとも、この時点までは。




