第96話 聖女は覗き魔
「……ぅあっ!!」
自分の上げた悲鳴が殊の外大きくて、驚いてしまいました。
わたくしが目覚めたのは、オアシスの街にある宿屋の自室ですわ。
深夜であるため、魔法灯の明かりは暗く落としています。
「ハァ……ハァ……ハァ……。恐ろしい夢でしたわ……」
わたくしは恐怖を消してしまいたくて、寝間着の胸元をキュッと握り締めます。
全身が寝汗で、じっとりと濡れていました。
――叫んだせいで、フクが起きてしまったのでは?
そう思い、ベッドの隅に視線を向けます。
するとそこには、丸まってスヤスヤと眠り続けている茶トラにゃんこの姿がありました。
わたくしは安心して、そっとベッドから降ります。
シャワーでも浴びようかと、忍び足で浴室に向かっている最中でした。
扉の外――廊下から、物音が聞こえたのです。
「……リュウ?」
根拠はありませんが、咄嗟にそう思ってしまいました。
わたくしは行く先を変更し、廊下へと続くドアを静かに開けます。
外を覗いてみると、フラフラと歩いているリュウの背中が見えました。
こんな深夜に、どこへ?
それに、おぼつかない足取りなのは何故?
気になったので、ついていくことにします。
これは、尾行などではありませんのよ?
ただ声を掛けづらい雰囲気だったので、やむを得ず黙ってついていくだけですわ。
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わたくしは物陰に隠れながら、リュウの背中を追っていきます。
すると、宿屋の中庭に出ました。
普通、砂漠の夜は冷えるものです。
しかし街全体に空調魔法が効いているので、宿屋の中庭は適温に保たれています。
中庭には、噴水が設置されていました。
清らかな水が絶え間なく湧き上がり、池を満たしております。
ヨロヨロと、池に歩み寄ったリュウ。
わたくしはその様子を、柱の陰から見守っておりました。
するとリュウは、頭を勢いよく水中に突き入れました。
突然過ぎて、止める間もありませんでしたわ。
しかしリュウが水中に頭を入れていたのは、ほんの数秒。
すぐに顔を水上に出し、大きく空気を吸い込みます。
ああ、良かった。
これで、窒息することはありません。
ま――まあ!
なんということでしょう!
雫を滴らせるリュウは、妖しい色香を漂わせています。
濡れた赤髪と筋肉が月明かりを反射して、美しい。
目が離せませんわ。
ハァハァ――
これは筋肉評論家として、じっくり観察する必要がありますわね。
いやらしい気持ちではなく、芸術的観点からの凝視ですのよ。
何かに苦悩している表情も、たまらなく尊い。
ついつい興奮し、わたくしの体温は上がっておりました。
しかし全身がスッと冷えるような独り言が、リュウの口から吐き出されたのです。
「……バカ言うんじゃねえよ。『人族を滅ぼせ』だと? 俺がヴェリーナ達を、滅ぼすわけねえだろうが。……なんだったんだ? 夢で聞こえた、あの声は?」
――えっ?
「人族を滅ぼせ」ですって?
それはひょっとして雷の魔王竜ミツキや、シュラ様のお父上であるセス・クサナギが聞いていたという?
もしかしたら、地の魔王竜ブライアン・オーディータ様にも聞こえていたのかもしれません。
そんな声が、どうしてリュウの夢に?
何者かがリュウに――いえ。
竜人族に、人族を滅ぼさせようとしている?
恐ろしい想像に、全身が粟立ちます。
――バカバカしい!
何を恐れていますの?
あの優しいリュウが、わたくし達人族を滅ぼすなど有り得ませんわ。
もしもリュウがなんらかの理由で人族に牙を剥いたとしても、わたくしが絶対に止めてみせます。
ですが、どうやって?
やはりわたくしらしく、力づくでねじ伏せるしかないのでしょうか?
ふと、脳裏に言葉が響きました。
(キミに選ばせてあげるよ。竜滅の巫女)
かつてフリードタウンの商店街で邂逅した際に、慈愛と安息の女神ミラディース様がおっしゃっていた言葉です。
選ばせてあげるとは、いったい?
竜滅の巫女――それは古い古い聖女の呼び方。
わたくしより何十代も前の聖女で、魔王竜を倒したという。
竜滅――ドラゴンを、殺す存在?
わたくしが?
リュウを?
頭を振って、妙な考えを追い出します。
ついでに悪夢の中で見た、変わり果てたリュウの姿も打ち消そうと試みました。
ですがどうしても、上手くいきません。
柱の陰で懊悩していると、リュウはわたくしの横を通り過ぎて宿屋の建物内に戻って行きました。
ふう――
なんとか、気付かれずに済みましたわ。
わたくしはしばらく深呼吸して、息と鼓動を整えます。
落ち着いたので、自室に戻って寝直そうとした時です――
「ランスロット様、こちらですわぁ」
聞き慣れた声に、ドキリとしましたわ。
幼さの残るこの声は、聖女ソフィア・クラウ=ソラス様のもの。
わたくしは再び、柱の陰に身を隠します。
金色のフワフワした髪を揺らしながら、ソフィア様が中庭に姿を現しました。
婚約者である、剣聖ランスロット様の手を引いています。
あらあら。
これは、逢引きなのでは?
旅の道中ではわたくしやリュウ、フクの目があるので、婚約者同士らしいことができないから?
それで人目をはばかり、こんな深夜に密会しているのでしょうか?
かつてわたくしの婚約者だったランスロット様がソフィア様と仲睦まじくしていようと、なんの感情も湧いてきません。
もうわたくしは、彼に欠片ほどの未練もないのだと自覚します。
婚約を破棄された心の傷は、リュウが癒してくれますし。
むしろ、好奇心を刺激されてしまいますわ。
ランスロット様とソフィア様が、どのような行為に及ぶのか気になります。
フフフフ――
リュウとの甘く素敵な旅路になる予定だったのに、ソフィア様達には引っかき回されてしまいましたからね。
これは仕返しです。
腹いせです。
わたくしは柱の陰に隠れたまま、密かに2人の様子を覗き見ることにしました。
淑女としてはしたないことだというのは、承知の上ですわ。
リュウに見つかったら叱られそうですが、叱られたら叱られたでゾクゾクしてしまうのでアリです。
見守っていると、2人は噴水の縁に腰を下ろしました。
そして愛の言葉でも囁き合うのかと思いきや――
ソフィア様は聖女服の胸元から、手鏡を取り出しました。
あれは遠距離通信する魔道具、「遠見の聖鏡?」
蓋を開け、ソフィア様とランスロット様は鏡を覗き込みます。
魔道具から溢れる光が、聖女と剣聖の姿を闇の中で浮き上がらせていました。
――ダメですわ。
声が小さくて、会話の内容が聞き取れない。
これでは聖鏡で通信している相手が誰なのか、分かりません。
状況から考えて、フレデリック・デュランダル教皇猊下だとは思うのですが。
身体強化魔法で聴力を上げて、聴き取ることも考えました。
しかし魔法を発動させては、魔力の流れをソフィア様やランスロット様に感知される可能性も出てきます。
ランスロット様は無表情。
ソフィア様は、いやらしい笑みを浮かべて通信しておられます。
しばらくそのまま柱の陰から覗き見ていましたが、やはり会話の内容は聞き取れそうにありません。
わたくしやリュウ、フクに害をなす相談でないか気になりますが、これ以上ここに留まっても無意味でしょう。
気配を殺したまま、そっと自室に戻ることにしました。
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翌朝――と言うにはかなり遅めの時間に、わたくし達は目覚めました。
太陽が、結構な高さまで昇っています。
フク以外、全員が寝坊ですわ。
ギリギリの時間で宿をチェックアウトしたわたくし達一行は、まず冒険者ギルドへと向かいます。
ブレイズシティに向かう前に、砂なまこの切り身を換金しておかなければ。
ソフィア様が、
「早く分け前をお寄越しなさぁい」
と騒がしいことですし。
オアシスの街にある冒険者ギルドは、簡素な石造りの建物でした。
あまり、大きくはありません。
ところが中に入ってみると、地下部分が広く作られていることに気付きました。
フリードタウンのギルドと同じく、食堂・酒場が併設されているのですわね。
リュウが受付カウンターへ向かおうとした時、ギルド内の空気が一変しました。
――いつもと違う。
初めて訪れる冒険者ギルドでは、品定めの視線を浴びせられることが多いものです。
しかし今回突き刺さってくる視線は、品定めなどではい。
獲物を狙う、狩人の視線ですわ。
視線はわたくし達一行の中でも、リュウに集中していました。
「……リュウ・ムラサメだな?」
顔に大きな刺青のある厳つい男性冒険者が、威圧的な声で問いかけてきます。
リュウの方は余裕の笑みを浮かべながら、飄々と答えました。
「おう、そうだぜ。何か用かい? 一緒に仕事をしてえっていう申し出なら、今は勘弁してくれよ。なんせ、旅の途中で……」
言い終えるより早く、刺青冒険者はリュウに飛び掛かっていました。




