第82話 聖女は火竜の加護を信じている
リュウ様の微笑みに、わたくしは戸惑いを覚えます。
しかしすぐに、真意がわかりました。
(心配するな。いつでも俺が、守ってやる)
そう、言われたような気がしました。
薬物で正気を失わされた状態でも、変わらずにわたくしを守ってくださる。
そう思うと、恐怖心など吹き飛んでしまいましたわ。
この程度の火魔法、わたくしには恐れる理由などございませんでした。
身体強化魔法の発動も、止めてしまいます。
これでわたくしは、完全な無防備です。
灼熱の魔力が集まる、ミツキ・レッセントの右手。
そして紅く燃える彼女の左目を、わたくしは真っすぐ見据えます。
その態度が、ミツキ・レッセントの癇に障ったようでした。
「何? その生意気な視線? 私の火魔法が、ハッタリだと思っているの? 灼熱地獄の中で、後悔しなさい。……【ヴァーミリオンレイ】!」
至近距離で、ミツキ・レッセントの魔法が発動しました。
【ヴァーミリオンレイ】は、熱線を放つ魔法。
魔王ルビィ様の得意魔法だとも聞いております。
わたくしの視界は、白く染まりました。
――しかし、熱くなどありません。
わたくしを押さえつけていた、〈アーマーアルモジロ〉の装甲板が融解していく。
溶けた金属が体にかかっても、熱いとは感じませんでした。
「……どうして?」
愕然とするミツキ・レッセント。
彼女の熱線魔法を受けても、わたくしは火傷ひとつ負ってはいませんでした。
わたくしを押さえつけていた〈アーマーアルモジロ〉は、装甲板をドロドロにして機能停止しているというのに。
わたくしは、再び身体強化魔法を発動。
まだ赤熱している〈アーマーアルモジロ〉の腕を押しのけて、拘束を解きました。
やっぱりいつだってリュウ様は、わたくしのことを守ってくださる。
そっと首元の首輪へと、両手を添えます。
ただでさえ耐熱・耐火魔法効果を付与するフレアハウンド革に、魔石【イフリータティア】があしらわれた首輪。
【イフリータティア】には、リュウ様が自ら魔力を込めてくださったのです。
ありとあらゆる火魔法・熱魔法から、わたくしを守るために。
(大陸を蒸発させるようなオフクロの全力息吹にだって、2~3発は耐え切れると保証するぜ)
リュウ様は自信満々で、そう仰っていたのですわ。
わたくしが手を添えたので、ミツキ・レッセントの視線も【イフリータティア】へと移りました。
「それは、まさか……? ムラサメ家の秘宝、【イフリータティア】!」
驚愕、嫉妬、怒り、憧憬――ミツキ・レッセントの瞳には、様々な感情がない交ぜになって浮んでいました。
「そう……その子のことは、守るのね。私のことは、守ってくれなかったくせに!」
雷竜公の表情は、悔しそうに歪んでいました。
わたくしに対して、「ずるい!」とでも言いたげに。
「レッセント閣下。あなたを守れなかったことを後悔しているからこそ、リュウ様はわたくしに【イフリータティア】を身に着けさせているのだと思います」
諭そうとしたわたくしの発言に耳を塞ぎ、彼女は勢いよく首を左右に振ります。
恐怖と威厳に満ちた雷の魔王竜としての姿はそこにはなく、まるで悩み苦しむ思春期の少女のようでした。
「嘘よ! 嘘! 所詮私は、ただの妹弟子。守る価値なんてなかった。そういうことでしょう? リュウさん!?」
ミツキ・レッセントは興奮した口調で、ツカツカと車椅子近くまで歩み寄っていこうとしました。
その視線に危険な匂いを感じたわたくしは、身体強化魔法を発動して飛び出そうとします。
ですがそれより前に、リュウ様とミツキ・レッセントの間に割り込んだ存在がありました。
ふよふよと宙を漂う、子猫ほどの体躯。
見ているだけでモコモコ感が伝わってくる、茶トラの毛並み。
そして慈愛に満ちた青い目で、怒り狂う雷竜公を見つめる存在――
精霊のフクが、ミツキ・レッセントの前に立ち塞がっていました。
剣聖ランスロット様の治療を終えて、戻ってきたのでしょう。
「あなたは……。山岳地帯でも会った、猫ちゃん精霊……」
「オイラの名前はフク。よろしくね、ミツキ」
やはりフクが、敬称を付ける時の基準が分かりません。
なぜわたくしはご主人様で、ミランダは様付けなのか?
なぜリュウ様や雷竜公ミツキ・レッセントは、呼び捨てなのか?
呼び捨てだからと言って、リュウ様やミツキ・レッセントを下に見ているというわけではないようですが。
友人感覚――なのでしょうか?
「ミツキ……。リュウに危害を加える気なら、オイラも黙っていないよ」
「直接危害を加えたりはしないわ。ただ、見せつけてやるのよ」
仮面に隠されていない側の美しい顔で、雷の魔王竜は凄絶に笑いました。
「……私の顔に刻まれた、業火の爪痕を」
ミツキ・レッセントは顔の右半分を覆う仮面に手を掛け、左手でフクをそっと押しのけました。
フクも、それには逆らわず――
――んんっ?
わたくしの気のせいでなければ、フクは今確かに――
「さあ、リュウさん。しかと見て。あなたのせいで人生を狂わされた、憐れな女の成れの果てを」
ミツキ・レッセントは勢いよく、自身の仮面を剥ぎ取りました。
それをそのまま、後方へと投げ捨ててしまいます。
雷竜公ミツキ・レッセントの顔の右半分には、凄惨な火傷痕があるというのは周知の事実。
彼女はアリーナ中から、悲鳴が上がることを予想していたのでしょう。
薬物で意識朦朧としていてもなお、リュウ様のお顔が苦悶に歪むことを期待していたのでしょう。
――しかし、もたらされた結果はどちらでもなかった。
恐怖や忌避感の混じっていないどよめきと、感嘆の溜息。
周囲の反応に、1番動揺していたのはミツキ・レッセント自身でした。
「……なによ? なんなのよ、その反応は!? 私の醜く爛れた顔を見て、どうしてそんな……」
「恐れながら閣下、こちらでお顔をご覧ください」
車椅子を押していた金竜機甲師団の男性が、ポケットから手鏡を出して手渡します。
そこに映った自らの顔を見て、ミツキ・レッセントは時間が止まったかのように硬直しました。
「そんな……。たとえ聖女アナスタシアでも、治療は不可能だと言われていたのに……」
それは驚くでしょうね。
仮面の下から出てきたのは、左側と寸分違わぬ顔。
火傷の痕など微塵も残っていない、美しい素顔だったのですから。
「いったい、いつの間に……」
「さっき押しのけられた時、オイラが治しちゃったんだ」
いつものフクなら得意気になって、「自分を褒めろ」とばかりに飛び回っていたことでしょう。
しかし、今日は違います。
火傷を治癒されたミツキ・レッセントは、ワナワナと震えています。
それが歓喜に打ち震えているわけではないことを、フクも感じ取っているのでしょう。
少し距離が離れている、わたくしにも伝わります。
肌に突き刺さるほど激しい、ミツキ・レッセントの怒りが。
「なんてことを……。火傷は、罪悪感でリュウさんを縛り付ける鎖。私達を繋ぎ止める、楔だったのに……」
「だから消したのさ。そんなもので、リュウの気持ちが手に入るわけがないだろう?」
しばらく震えていたミツキ・レッセントでしたが、ふと何か思いついたように震えが止まりました。
急に冷静な表情になって、フクを見つめます。
「ねえ、猫ちゃん。火傷だけじゃなくて、私の胸にあるコレもなんとかならないかしら?」
ニュース映像で見た時のように、自らの胸にそっと指を這わせる雷竜公。
きっと礼服の下には、おぞましい何かが隠されているのでしょう。
「ゴメンよ、ミツキ……。そっちはオイラ1人の力じゃ、どうしようもない。神様の力でも借りないと……」
「……神? そう……。あの男の研究は、神の領域……ううん。神の怒りに触れる領域まで、きていたのね」
深く嘆息し、アリーナの天井を見上げるミツキ・レッセント。
彼女はゆるゆると、力ない動作で右手を掲げてゆきます。
絶望に染まった紅い双眸に、わたくしは危険を感じて飛び出しました。
タックルで彼女を引き倒し、抑え込んでしまうつもりだったのです。
ですがわずかな差で、それは間に合わなかった。
わたくしが飛びつくより早く、ミツキ・レッセントの魔法が完成してしまったのです。
「【パラライズフィールド】」
それは標的を麻痺させる電撃魔法、【パラライズボルト】の広範囲版。
ミツキ・レッセントが左右に伸ばした腕から、雷光が迸ります。
雷光は試合会場に設置してあった柱に纏わりつき、強化されて別角度へと飛ぶ。
彼女はこのような事態を想定し、試合会場にあらかじめ柱型の魔道具を仕込んでいたようです。
雷光が五芒星を描き、試合会場を光のフィールドで包み込んでしまいます。
「くっ……。体が……」
――いうことを聞かない!
痛みなどは全く感じないのですが、わたくしは痺れてその場に転んでしまいました。
精霊のフクにも利いているらしく、地面に落下してピクピクと痙攣をしています。
気の毒なのが車椅子を押していた金竜機甲師団の男性で、完全に巻き込まれていました。
リュウ様の近くに倒れ、涙目で
「ミツキ様、ヒドイ……。特別手当を出して……」
と呟いています。
リュウ様は元々車椅子の上でほとんど動けなかったので、あまり変化がありませんでした。
この光のフィールド内で自由に動けるのは、術者であるミツキ・レッセントだけ。
彼女はゆったりとした足取りで、わたくしとリュウ様の中間地点まで来ました。
そして、恐ろしい言葉を口にします。
「さあ。今からあなた達の、魂の繋がりを断ち切ってあげる」




