第65話 聖女は恋人が掘られないか心配である
長屋のベッドから、わたくしは身を起こしました。
いつもより、ちょっと早起き。
メイドのミランダよりも早いです。
彼女を起こさぬようそっとベッドを抜け出し、着替えを済ませます。
かなり秋も深くなってきているので、室内の空気は肌寒いですわ。
モッコモコな猫型の精霊フクが、ベッドの上でまだ眠っていました。
わたくしもベッドに戻って、猫モフを堪能したい誘惑に駆られます。
しかしそんな気持ちをグッとこらえて、着替えを済ませました。
そっと玄関のドアを開け、目指すは長屋のお隣さん――
リュウ・ムラサメ様のお部屋です。
さすがにまだ、寝ていらっしゃるでしょう。
わたくしの計画は、こうです。
リュウ様が寝ている間に、コッソリ部屋へと進入。
朝御飯を作ってあげて、起きてきたリュウ様をビックリさせてしまうのです。
音を立てぬよう、わたくしは合鍵を鍵穴へと差し込みます。
恋人同士になったのだからと、渡された合鍵――
ああ。
なんだか使うだけで、ドキドキしてしまいます。
息を殺してドアを開け――
わたくしは、拍子抜けしました。
「おはよう、ヴェリーナさん。早えな」
なんとリュウ様は、すでに起きていらっしゃいました。
春・夏の間、上半身は半裸に近いファッションのリュウ様。
ですが寒くなった最近では、さすがにローブを羽織っておられます。
今朝はさらにその上から、エプロンを身に着けていらっしゃいました。
「朝メシに、昨夜のシチューを温めたんだ。食っていくといいぜ」
朝食を作って差し上げるつもりが、逆に頂いてしまうことになりました。
でも、嬉しい。
料理の腕前は、リュウ様の方がお上手ですし。
わたくしもミランダ指導の下、料理修行に励んでいます。
しかし彼女やリュウ様ほどのレベルに達するには、まだまだ時間がかかりそうです。
現在のわたくしは、下手ではないのですが普通といった腕前。
リュウ様の胃袋を掴むことができずに、愛想を尽かされないか不安です。
木の器 に熱々のシチューが注がれ、食卓へと置かれます。
ホクホクと上がる湯気が、なんとも美味しそうな雰囲気。
「ところでよ、ヴェリーナさん。竜人族の恋人や番、夫婦が食事の時にやる習慣を知っているか?」
「習慣? いえ、特に聞いたことは……」
リュウ様の瞳が、金色に輝きます。
ああ。
こういう時のリュウ様は、何かわたくしに恥ずかしいことをさせようとしているのですわ。
――正直、ゾクゾクしました。
「男が女に、食事を食べさせる。乳幼児にやるみたいにな」
わたくしは、愕然としました。
せ――成人同士で、それをやると仰るのですか?
スプーンですくったシチューを差し出して、「あーん」といった具合に?
そういえばリュウ様は、アヴィーナ島のガウニー亭でもやっていましたわね。
わたくしに、ウニ丼「あーん」をさせようとしていました。
あの時はまだ、恋人同士ではなかったというのに――
なんて破廉恥なお方。
――しかしあの時と違い、周囲に人目はございません。
「そ……そういう習慣なのですか? 習慣ならば、仕方ないですわね」
「そうだ、習慣だ。諦めな。……はい、あーん」
リュウ様は息でフーフーして温度調節したシチューを、そっとわたくしの口元に差し出してきます。
ニヤリとした笑顔を浮かべ、心底楽しんでいらっしゃるようでした。
「だ……ダメですわ。リュウ様のお顔を見ながら口を開けるなんて、恥ずかしい……」
「へえ……。じゃあ俺の顔が、見えなきゃいいわけだ」
「へっ……? キャッ!」
ためらっているうちに、状況はさらに悪化しました。
わたくしはリュウ様の膝上に、抱き上げられてしまったのです。
確かにこれなら彼に背を向けて座っているので、顔はお互い見えません。
しかし、筋肉が――
背中に当たる、リュウ様の逞しい胸筋の感触が気恥ずかしい。
「ほれ。あんまりモタモタしていると、シチューが冷めちまうぞ? いい子だから、素直に食べな」
スプーンを持っていない方の手で、肩を抱かれてしまいました。
相変わらず、指が長くて大きな手。
もうわたくしに、逃れる術はございません。
言われるがままに口を開け、スプーンを頬張る体勢になりました。
まるで、親鳥から餌を与えられるのを待つ雛鳥のようですわね。
パクリと口に含んだ、シチューの味は――
正直、よくわかりませんでした。
リュウ様と密着しているということと、乳幼児のようにご飯を食べさせられているという羞恥心で頭がいっぱいです。
シチューの味どころではありません。
「よーしイイ子だ。……ヴェリーナさんは、可愛いな」
耳元で囁かれて、わたくしの思考は完全に停止してしまいました。
スプーンが差し出される度に、シチューをパクつくばかり。
本能で動く、獣の子供みたいになってしまったのです。
シチューの皿は、あっという間に空になってしまいました。
いっしょに食べていたパンも、6個はお腹の中に消えています。
「つ……ついつい、食べ過ぎてしまいましたわ。これでは、太ってしまいます。ただでさえわたくし、色んなところにお肉が付き過ぎだというのに……」
「いや、そんなことはねえからな? 無理に痩せようとするんじゃねえぞ?」
むっ?
やはりリュウ様も魔国ヴェントラン出身者らしく、色々と出っぱった女性が好みだというのでしょうか?
聖都では大人気のフラットでスマートなボディの女性には、あまり興味がなさそうですし。
「冒険者ってのは、食える時に食っとかなきゃいけねえ。いきなり、飯が食えない状況に追い込まれる時だってあるんだからな」
違いました。
先輩冒険者としての教訓です。
「もっとも戦闘前とかは、満腹だと腹を負傷した時に死亡率が上がっちまう。だから今日のヴェリーナさんはしっかり食っとくのが正解だけど、俺は腹6分目ぐらいがベストだな」
そう。
今日のリュウ様は、魔獣討伐の依頼をこなしに出かけるのです。
しかも、わたくしとは別行動で――
「今日の依頼は、ブンガドーワの森に出現した死威茸の討伐でしたわね」
「ああ。放っとくと無限に増殖しちまう、危険極まりないキノコ型の魔獣だ」
死威茸は凄まじい速度で増殖するだけでなく、毒の胞子で幻覚を見せてくるのです。
しかも幻覚でボーッとしている相手の――その――お尻の穴に突入し、自爆するという恐ろしい習性が――
「リュウ様……。肛門括約筋から力を抜かぬよう、お気を付け下さい」
「飯食べたばかりなのに、なんつう話をしてんだよ。安心しな。フクも付いてきて、援護してくれるっていうしな。死威茸から幻覚を見せられる前に、俺の魔法で焼き尽くしてやるぜ」
リュウ様は、右手の五指に魔法で火を灯してみせます。
わたくしの顔近くなのに、全然熱くありません。
死威茸は火に弱いのですが、森の外へは出てこない魔獣。
普通は、火気厳禁な状況での討伐を強いられます。
ところが、リュウ様は違います。
針の穴を通すような精度で火魔法を使えるので、森の木々を全く燃やさずにピンポイントで死威茸を灰にできるのです。
幻覚を見せる毒の胞子も、フクが状態異常回復の魔法で治してしまえます。
高難度依頼ですが、お2人なら大丈夫でしょう。
なのに――
「もちろんリュウ様の腕前は、パートナーのわたくしがよく分かっております。ですが、不安なのです。一緒に戦えないことが……」
アヴィーナ島から帰ってきて以来、リュウ様は1人で高難度クエストを大量にこなすよう命じられているのです。
パートナーとして、冒険者ではないフクを連れて行くことは許可されています。
しかし本来パートナー冒険者であるはずのわたくしは、よっぽど危険な魔獣討伐でなければ手を貸さないよう言われているのです。
はじめはギルドマスターのママさんが、なぜそのようなことを言い出したのか理由が分かりませんでした。
しかし張り切って高難度依頼に挑むリュウ様を見ているうちに、理解しました。
――これは、わたくしのためだと。
未だ聖伯の娘であるわたくしと、誰に後ろ指差されることもなく結婚するためだと。
通常このミラディア神聖国では、平民と貴族の結婚ができません。
1番下の爵位である騎士爵と平民ならば可能なのですが、伯爵相当の地位を持つ聖伯の娘となると――
ところがこれにも、抜け道があります。
伝説級の存在であるミスリル級冒険者は、貴族と結婚できるのです。
それがたとえ、貴族最高位の公爵家の子女相手だとしても。
この制度は、軍事バランスを崩すほど強い人材をミラディア神聖国内に留め置くための特例措置。
また、優れた戦士の血をミラディア貴族に取り込むという狙いもあるそうです。
わたくしは、ノートゥング家を出て平民の娘としてリュウ様と結婚しても全然構いません。
逆にリュウ様がムラサメ家へと戻り、わたくしが嫁入りする形となっても構いません。
魔王四竜家なら、ミラディア貴族に当てはめれば公爵家相当ですもの。
それなら、家格の釣り合いが取れます。
しかしリュウ様はミスリル級冒険者まで昇格し、アナスタシアお母様に「娘さんと婚約させて下さい」と言いに行くおつもりなのです。
ムラサメ家長男としてではなく、冒険者リュウ・ムラサメとして。
これならわたくしは、アナスタシアお母様との縁を切らずにリュウ様と一緒になれます。
異国であるヴェントランに嫁ぐことは、わたくしにストレスがかかるとリュウ様はお考えのようです。
なので、選択肢にはないとのこと。
リュウ様が1人で高難易度の依頼をこなしているのは、短期間でミスリル級へと昇格するため。
わたくしがついて行ってしまっては、手柄は半分になってしまいますもの。
フクはついて行っても大丈夫。
本人は嫌がりますが、リュウ様が使役している精霊や召喚獣という扱いが可能なのです。
リュウ様が、単独討伐した扱いになります。
「リュウ様……。お気をつけて、行ってらっしゃいませ」
わたくしはリュウ様の膝上に腰掛けたまま、耳をピタリと彼の胸に当てました。
確かな鼓動の音が聞こえる。
万が一、これが聞こえなくなるような事態に陥ってしまったら――
「へっ。心配するなよ、ヴェリーナさん。俺はミランダさんからも、約束させられたからな。『死んでもヴェリーナさんを、悲しませない』ってな」
そっと髪を撫でてくれる手が、心地いい。
わたくしが身を任せ、ウットリしていた時でした。
唐突に、咳払いの音が聞こえたのです。
リュウ様のものではありません。
「ミランダさん。ノックもせずに入ってくるのは、いくらなんでも失礼なんじゃねえか?」
ギクリ!
わたくしもノックなしで入ってきたので、ちょっと後ろめたい気持ちになります。
そろそろと背後を振り返ると、不機嫌そうに腕組みしているメイド――ミランダ・ドーズギールの姿がありました。
「何度もノックしたんダス」
そ――そうだったのですか?
わたくしリュウ様との会話に夢中で、本当に聞こえていませんでした。
「リュウ様は、嘘つきダスからね。わたすとの約束を守れるか、怪しいダス」
「嘘つきだって? 俺がいつ、嘘をついたっていうんだよ?」
憮然とした表情のリュウ様に、ミランダはいつもの「ふんすっ」をしたあと答えます。
「知っているんダスよ? 『竜人族の恋人同士は、男が女に食事を食べさせる』? そんな習慣、存在しないんダス」
わたくしがジト目で見つめると、リュウ様は気まずそうに頬を掻きながら視線を逸らしました。
リュウ様――
本当に、嘘つきですわね。
それにしてもミランダは、いつからわたくし達を見ていたのでしょうか?
リュウ様が竜人族の習慣についてでっち上げたのは、食事前だったような?
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