第61話 聖女は虹を引く
『くうっ……。聖女さん、ずいぶん激しいな』
「あら、リュウ様。もう降参ですの? わたくし、まだまだこれからですのよ?」
『へっ! 言ってくれるじゃねえか! なら、これはどうだ?』
「ああっ! 凄いですわ。おかしくなってしまいそう……」
現在わたくしは、絶賛リュウ様のモノを受け入れ中です。
――もちろん、魔力のお話ですわ。
視線は海上のシュラ様に向けたまま。
背後に伸ばした手で、リュウ様の尻尾を掴んでいます。
――【魔力譲渡】。
優れた魔法技術を持つ神官や魔道士は、自分の体内にある魔力を他者へと移譲することが可能なのです。
この【魔力譲渡】、サレッキーノ防衛戦の時に受けたことがあります。
アヴィーナ島に来てからも、水泳勝負の賞品として魔力をいただいたことがあります。
ただそれらの時は、いずれも人型形態のリュウ様から。
ドラゴンのお姿から魔力を受け取るのは、これが初めて。
人型でも強大な魔力量を誇るリュウ様ですが、竜化するとその魔力量・濃度は桁違いに跳ね上がります。
それを今、わたくしの体に流し込んでいただいているのです。
――かなり、強引に。
いつもはわたくしが魔力を吸い上げる力の方が強いのですが、今回はリュウ様から流し込まれる圧力の方が上です。
「これならいけますわ。身体強化魔法の出力を上げて、何倍も威力がある【聖女ちゃんキック】が繰り出せそうです」
『聖女さん! 今回は、肉体保護の魔力を削るんじゃねえぞ? オッサンの頭をどついた時みてえに、両手粉砕骨折どころじゃ済まねえからな!』
「分かっております」
今回は、技の威力があり過ぎますもの。
飛び蹴りが命中する瞬間、わたくしの体がバラバラになっては意味がありませんわ。
それにリュウ様から、これだけ魔力をいただいているのです。
肉体保護の魔力を削らなくても、充分な威力が――
『お……おい! 聖女さん!』
足元に滴り落ちる赤い雫を、リュウ様に気付かれてしまいましたわ。
呼びかけられても、絶対に振り返ったりしません。
鼻血を垂らしている姿を見られるなど、恥ずかしくて耐えられませんわ。
鼻血だけではありません。
視界も赤い。
きっと眼球が、激しく充血しているのでしょう。
毛細血管が破裂しているのか、体中の数か所から出血している感覚もあります。
(ご主人様の最大魔力保有量が大きいからって、貯め込み過ぎは良くないよ~。薬や【魔力譲渡】でムリヤリ魔力をねじ込んだ場合、体調不良を起こすんだ)
フクが言っていた体調不良とは、これなのですね。
『ダメだ! これ以上、魔力を貯めこむな! 聖女さんの肉体が、壊れちまう!』
「まだです! シュラ様を倒すには、まだ魔力量が足りない!」
ちょうどその時、シュラ様に動きがありました。
ヤマタノオロチの氷像が、少しずつ砕け始めている。
氷漬けの状態から、脱出しようとしているのですわ。
「リュウ様、急いで! もっと強く、もっと速く魔力を流し込んでください!」
『そんなことしたら、聖女さん死んじまうぞ!』
くっ!
確かに技を放つ前に死んでしまっては、無駄死にもいいところですわ。
せめて回復魔法を使えたら、破壊されていく肉体を治しつつ魔力をもっと受け取れるのに――
「こういう時のために、オイラがいるのさ」
「フク! 救助活動は、完了したのですね!」
猫型精霊のフクが、真っ暗な嵐の夜空から舞い降りてきました。
同時に虹色の光を、わたくしに降りかけてくれます。
ああ――
傷が、癒えていく。
目の充血が収まり、視界が普通に戻りました。
体中からの微細な出血も、止まったようです。
ついでに浄化魔法で鼻血の跡をキレイにしてくれるとは、なんて気遣いのできるにゃんこなのでしょう。
「これなら……いけますわ!」
わたくしは意識を集中して、リュウ様から魔力を吸い上げました。
『うっ!』というリュウ様のなんだか艶っぽい苦悶の念話が聞こえましたが、聞き流してしまいます。
最初に申したはずですわ。
「絞り尽くさせていただきます」と。
「リュウの魔力がカラカラになっちゃったから、オイラが代わりに防御結界魔法を張っとくよ。これで、ご主人様が受ける技の反動も少なくなるはずさ」
「ありがとう、フク」
わたくしはフクの頭を、そっとナデナデしました。
「さて……」
わたくしは、海の彼方を見つめます。
ヤマタノオロチの氷像。
その頭が、ひとつひとつ砕けていきます。
元々はシュラ様の魔法【ハイドラファング】で生み出された、ただの水ですものね。
「【フィジカルブースト】、上限解放」
わたくしの体には、信じられないほどの魔力がみなぎっていました。
竜化した竜人族――それも魔王竜クラスの皆様は、いつもこんな魔力を保有していらっしゃるのですね。
お強いはずですわ。
「シュラ様……。いえ……」
相手はクサナギ家最強の竜人族。
ならば正式に称号を継承していなくとも、こうお呼びするのが妥当でしょう。
「水の魔王竜、シュラ・クサナギよ。愛に飢えし迷い子よ。あなたに、しばしの休息を。慈愛と安息の女神ミラディースの祝福と……愛があらんことを」
踏切りの衝撃で、砂浜が吹き飛びました。
フクはリュウ様の巨体に隠れていたので、大丈夫でしょう。
わたくしは撃ちだされた砲弾のように――いえ。
それより何十倍も速い速度で、氷漬けのシュラ様に飛び掛かります。
衝撃波で、凍り付いた海が砕けていくのが見えました。
『虹だ……』
リュウ様の念話が、脳裏に響きました。
わたくし自身、体から七色の燐光を振り撒いているのは実感しています。
これは、フクの防御結界魔法によるものでしょうか?
きっとリュウ様からは、虹を引いているように見えたのでしょうね。
シュラ様の体を覆っていた氷塊が、完全に砕けた瞬間でした。
虹の矢と化したわたくしは、シュラ様の胸に突き刺さります。
激突の瞬間、嵐の海には円形の大穴が開きました。
凍っていた部分は粉々に吹き飛び、海水の部分は大きく球状に押しのけられます。
【聖女ちゃんキック】の余波によるものですわ。
わたくしにも、凄まじい反動が襲ってきます。
フクに防御結界魔法をかけてもらっていなければ、全身の骨が砕けていたことでしょう。
わたくしにこれだけ反動がきたということは、シュラ様に与えたダメージもまた絶大。
蒼玉の鱗を持つ巨体は、ゆっくりと仰向けに倒れ始めました。
わたくしも一緒に、露わになった海底への落下を始めます。
しかしリュウ様が素早く飛んできて滑り込み、わたくしを受け止めて下さいました。
魔力が枯渇して、もうヘトヘトでしょうに――
ありがとうございます、リュウ様。
『ぐ……はぁ……』
今の念話魔法は、リュウ様によるものではありません。
干上がった海底に叩きつけられた、シュラ様の声でした。
『シュラ! お前、意識が戻って……』
『ああ……。リュウ兄さん、僕はどうなったんだい?』
『聖女さんに、激しく蹴っ飛ばされた』
『どうりで痛いと思ったよ。意識が戻ったのは、ドラゴンの力が尽きようとしているからなのかな?』
暴走状態ではなくなったようですが、シュラ様は魔王竜の姿を保ったまま。
横向きにグッタリと倒れ、動く気力が残っていないようです。
そこへ、海水が流れ込み始めました。
【聖女ちゃんキック】の余波により、一時は遠くまで押しやられていた海水です。
『シュラ! 俺の尻尾に捕まれ! まだ、それぐらいは動けるだろ?』
海水に飲み込まれてゆくシュラ様に向かい、リュウ様は尻尾を伸ばします。
しかし――
『もう……いいんだ……』
『何が「もういい」だ! 全然よくねえよ! さあ! 早く!』
念話魔法で、リュウ様とわたくし両方と話していたシュラ様。
ですが急に、念話に指向性を持たせてきました。
わたくしにだけ聞こえる念話で、シュラ様は話しかけてきます。
『ヴェリーナさん。君はリュウ兄さんを、愛しているんだね……』
「……はい」
シュラ様の念話が聞こえていないリュウ様は、わたくしの肯定に怪訝そうなお顔をされていました。
『リュウ兄さんを愛している君の姿は、とても幸せそうだった。僕は愛されることばかり願ってしまったけど、本当は愛されるより愛する方がずっと幸せなことなのかもしれない』
「いいえ。わたくしもけっこう、愛されたがりですのよ? 互いに愛し合うのが、きっと1番の幸福ですわ」
『そうか……。僕も生まれ変わったら、そういう相手と巡り合えるかな?』
「なにを仰いますの!? これから探せばいいだけのこと!」
『もう、無理さ……。どこまでいっても、僕はクサナギ家の者。それ以外の存在にはなれないし、なるのも怖い。だからといって、家の言いなりで愛のない結婚をするのも真っ平だ』
シュラ様の体が、半分以上海水に沈んでしまいました。
お願い!
早くリュウ様の尻尾に捕まって!
『これで僕は……自由だ……。自由と解放を司る神フリードよ、感謝します……』
「シュラ様ぁああああっ!」
『シュラぁあ!! バッカやろぉおおおお!!』
一気に大量の海水が押し寄せ、シュラ様の姿は完全に見えなくなってしまいました。
どれだけ目を凝らして探しても、青い鱗や金色の瞳は見当たらない。
この日――
水の魔王竜シュラ・クサナギは、暗い嵐の海へと消えてゆきました。




