第57話 聖女は強く抱きしめられて
「……! その声! リュウ兄さんなのか!?」
シュラ様の問いかけに対し、リュウ様は返答の代わりに短く咆哮を上げました。
それが引き金となって妨害・解呪の魔法、【ディスペルマジック】が展開されます。
わたくしを拘束していた水の枷は無効化され、飛沫となって吹き飛びました。
『聖女さん、大丈……』
わたくしはリュウ様に、最後まで喋らせませんでした。
もともと身体強化魔法を発動させていたわたくしは瞬時に跳ね起き、リュウ様の側まで大きくバックステップ。
そのまま首へと手を回し、抱きついてしまいます。
今回はちょっと小さ目の竜化なので、抱きつきやすい首のサイズですわ。
『聖女さ……』
わたくしが小さく震えているのに気付いたリュウ様は、そこで念話の言葉を止めました。
何も言わず、抱きつくがままにさせてくれる。
その優しさが、温かさが、胸に染み込んできます。
リュウ様は首を動かさず、金色の瞳だけでシュラ様とプラアーサ・クラーケンを牽制しました。
『聖女さんは暴力が嫌いなんだがよ、俺は荒くれ者の冒険者生活を長く続けてきた。暴力で解決することにも、慣れちまっているんだぜ? ……例え相手が、弟分のお前でもな!』
リュウ様の顎が、大きく開かれました。
口内に集中していく、尋常ではない魔力。
息吹ですわ。
リュウ様の息吹は山に大穴を開け、大草原を焼け野原にしてしまうほどの威力があります。
いかに凄腕魔道士のシュラ様が防御魔法を展開しても、一瞬で消し炭になってしまうことでしょう。
それを理解したシュラ様は、プラアーサ・クラーケンを自らの前に立たせ盾とします。
「ちょっと待ちなよ、リュウ。ご主人様を怖い目に遭わせた奴に怒っているのは、オイラも同じなんだ」
リュウ様の巨体の陰から、茶トラのにゃんこが飛び出してきました。
ウネウネ動く、3本の長い尻尾。
猫型精霊のフクです。
「ご主人様、ごめんね。オイラが冒険者ギルドまで行って、リュウに全部話しちゃたんだ。シュラとご主人様が、水晶の洞窟で会うことを」
「いいえ、ありがとうフク。わたくしの判断が、甘かったのです。あなたがリュウ様を呼んできてくれなかったら、わたくしはどうなっていたことか……」
「まあリュウをわざわざ呼ばなくても、オイラとご主人様2人で楽勝だったとは思うけどね。……今から、その証拠を見せてあげるよ。プラアーサ・クラーケンは、オイラにまかせてもらおうかな」
フクはゆっくりと空中を浮遊し、リュウ様とプラアーサ・クラーケンの間に割り込みました。
小さめの個体とはいえ、相手は災厄の魔獣。
体高は、4mにも及びます。
子猫と同程度の大きさしかないフクとの体格差は、圧倒的です。
「フクは、攻撃魔法も使えますの?」
「いいや、ご主人様。オイラが使えるのは回復魔法。他には防御結界魔法とか、光を出す魔法が少しだけ」
えっ?
それだけ?
確かにフクの回復魔法は、まるで奇跡のような癒しの力。
しかし回復魔法だけでは、あの凶悪な魔獣を倒すことなど不可能なはず。
プラアーサ・クラーケンはあまりに小さいフクを、歯牙にもかけていない様子。
まるで牛や馬が尻尾で蠅を追い払うかのように、触手を無造作に一振りします。
しかしその触手が、フクの体まで届くことはありませんでした。
ボコリと嫌な音を立てて、触手は瘤状に膨れ上がります。
激痛が走ったらしく、プラアーサ・クラーケンは人ならざる絶叫を上げました。
振り抜くつもりだった触手も、途中で動きを止めてしまいます。
瘤は最初のひとつだけではなく、どんどん増殖していきました。
「君のように元から再生能力が高い魔獣は、オイラにとっていいカモさ。ものすごく効く」
淡々と言い放つフクに向け、プラアーサ・クラーケンは無事な触手を次々と伸ばして襲い掛かります。
しかしその全てが、最初の触手と同じく瘤だらけになりました。
瘤が破裂して、血が流れ出している部分もあります。
これはいったい、どういうことでしょうか?
フクは回復魔法以外、大した魔法は使えないと――
回復魔法?
まさか、目の前で起きているこれは――
「ご主人様のご想像通り、オイラが使っているのは回復魔法。それも癒しの力を、過剰に注ぎ込んでいるヤツさ」
――やっぱり!
聖女見習いとして回復魔法を習い始めた頃、お母様から厳重に注意されたことがありました。
『癒しの力を、過剰に注ぎ込んではいけない』
『過ぎたる癒しの力は、相手を癒すどころか殺してしまう可能性がある』
【リカバリーライト】をはじめとする各種回復魔法は、対象に癒しの力を注ぎ込みます。
それにより生命活動を活性化させ、怪我を癒したり病を治したりする魔法なのです。
過剰な癒しの力を強制的に流し込めば、対象の細胞を癌化させ、破壊し、死に至らしめることもあるという。
ミラディース教会神官は回復魔法や防御結界魔法の習得に力を入れるため、攻撃魔法の修行に時間を割く者はほとんどおりません。
しかし過去にはこの過剰な回復魔法を【デスヒーリング】と名付け、対魔獣戦用の切り札にした神官もいたとか。
莫大な魔力を消費すること。
そこまで強大な癒しの力を持つ者がいないなどの理由から、現在では失伝魔法扱いです。
アナスタシアお母様は、一応使えるそうですが。
でもわたくしに、
「こんな魔法の存在は、忘れてしまいなさい」
と言って、全く教えては下さらなかった。
確かに癒しの力が弱いわたくしに、使える代物ではありません。
それでも聖女見習いなら、知識として知っておくべきかと思ったのですが。
「あんまり苦しませないよう、一気にいくよ。災厄の魔獣プラアーサ・クラーケン、ミラディース様の祝福があるといいね」
フクから注ぎ込まれる魔力が、爆発的に高まりました。
プラアーサ・クラーケンは全身からボコボコと瘤を発生させ、グロテスクな肉塊へと変貌します。
おそらくもうこの時点で、絶命しているのでしょう。
最後には瘤を破裂させ、紫色の血液を飛び散らせました。
『フク! 聖女さんの目の前で、グロい殺し方してんじゃねえ!』
リュウ様は、即座に炎の魔法を発動。
グロテスクな肉のオブジェと化したプラアーサ・クラーケンの死骸を、瞬く間に焼き払ってしまいます。
「……あっ! ご主人様、ゴメンよ。つい、カッとなって……」
「回復過剰による生き物の死に方を、初めて見たのでビックリはしました。……でも、いいのです。フクはわたくしのために怒ってくれたし、戦ってくれたのですから」
――回復過剰による生き物の死に方を、初めて見た。
自分の口から出たその言葉に、何か違和感を覚えます。
「『初めて』……か……。ふぅ、良かった」
フクが妙に安堵しているのも、気になります。
ですが今、そのことを追求している場合ではありません。
わたくし達はまだ、敵と対峙しているのです。
次期魔王最有力候補――次期クサナギ家魔王竜、シュラ・クサナギと。
「ああ……。リュウ兄さんが竜化した今、ハッキリと感じる。ヴェリーナさんは、リュウ兄さんの番だったのか……。ハハハ……なんてことだ。タツミ様の件があるから、リュウ兄さんは絶対に人族を選ばないと思っていたのに……」
『るせー。どうにもならないんだよ、想いってやつはな。シュラ。お前だって今、身をもってそれを実感しただろ?』
「そうだね、その通りだったよ。……リュウ兄さんは、番に手を出そうとした僕を殺す気かい?」
『……聖女さんの見てる前で、そこまではしたくねえ。俺達の前から消えろ』
「……分かった」
シュラ様は力ない足取りで、洞窟上層へと歩いて行きました。
すれ違い様、か細い声で、
「ごめんね、ヴェリーナさん」
と呟きながら。
謝罪されたからといって、刻み込まれた恐怖が消えるわけではありません。
わたくしはリュウ様の首に回した手に、力を込めました。
その様子を見たシュラ様はさらに項垂れて、洞窟最深部の大部屋から出ていってしまいます。
脅威は去ったと判断したリュウ様は、赤竜から人のお姿へと戻りました。
金色の瞳で、わたくしをじっと睨んできます。
ああ――
これは、叱られる予感。
リュウ様に黙って1人で危険な場所に赴き、危険な相手と密会していたのですから。
「あの……リュウ様? お仕置きですの?」
「なんで、ちょっと期待してるみたいな言い方なんだよ? 説教もお仕置きも、後だ。今は……」
鍛え上げられたリュウ様の両腕が、わたくしの背中に回されます。
そのまま抱き寄せられ、彼の胸板へと強く押し付けられました。
正直、ちょっと苦しい。
ちょっと痛い。
ですがそれぐらい強く抱きしめられて、安心感と幸福感を覚えている自分がいる。
「よかった……。聖女さんが無事で……。間に合って、本当によかった……」
耳元で囁かれた、リュウ様の言葉。
わたくしの心に刻み込まれた恐怖が、少し癒えたような気がしました。




