第55話 聖女は飛び道具を持たない?
水の縄は鞭となって空気を切り裂き、わたくしに襲い掛かってきました。
はたき落としたりなどはしません。
水魔法の達人であるシュラ様は、水をどんな形状にしても操れると考えた方がよいでしょう。
手で触れたら、そこから絡みつかれる可能性が高い。
わたくしは小刻みな足捌きを刻みながら、上体を屈め、揺らし、水の鞭をかいくぐっていきます。
闘技場の拳闘士達が使う、回避技術ですわ。
「凄いね、ヴェリーナさん。身体強化魔法による敏捷性と動体視力の向上が、超人的だ。だが何より、動作が洗練されている。美しい舞いを見ているかのようだ」
「お褒めに預かり、光栄ですわ。しかし褒められても、手加減などいたしませんので」
相手は、次期魔王最有力候補。
竜化していなくとも、その戦闘力は凄まじいはず。
手加減など、できるはずもありません。
「本当に、手加減してくれないのかい? 君の拳をまともに受けたら、僕は死んでしまいそうだよ」
シュラ様の言う通り、竜化していない竜人族の肉体強度は人族と変わりません。
身体強化魔法を発動したわたくしの拳が命中すれば、タダでは済まないでしょう。
「わたくし、暴力は嫌いですの。ですが……」
シュラ様の立ち位置を中心に、わたくしは円の軌跡を描くサークリングのフットワークを取ります。
「ガウニー亭」で食事していた時の仕草から察するに、シュラ様は右利き。
わたくしから見て左――
シュラ様から見て、右へ右へと回り込まれる方が戦いにくいはず。
魔法を撃つ場合もやはり、利き手側の方が発動が早かったり、制御が繊細だったり、威力が高いことが多いのですわ。
「骨の2~3本をへし折ってでも、抵抗させていただきます。あなたの番には、なりません」
「全力で拒絶されるのは、ヘコむよ。……ところで水魔法には、こんなものもあってね。【ホワイトカーテン】」
力ある言葉――魔法名と共に、霧がわたくしの周囲を包み込みます。
瞬く間に、視界が真っ白です。
シュラ様が洞窟各所に置いている魔法の光源のせいで、ことさら周囲が見えにくい。
光が乱反射しているのですわ。
「さあ、どうする? 僕の姿は、完全に見えないだろう?」
シュラ様の口調は勝利を確信しているというより、わたくしがどう対処するのか興味津々というご様子。
霧の向こうから、再び水の鞭が襲い掛かってきました。
肌を掠めそうで掠めないギリギリの距離で、わたくしはそれを避けてみせます。
「まさか……ヴェリーナさん……目を、閉じているのかい? その状態で、僕の【レヴィアウィップ】を見切ったと?」
水の鞭が一瞬だけ霧を裂いたため、シュラ様にも両目を閉じたわたくしの顔が見えたのでしょう。
「どのみち視界がゼロなら、目など開いていても閉じていても同じでしょう?」
これが、わたくしの答え。
目が役に立たないなら閉じてしまい、他の感覚に頼る。
「まるで、武神ケイン・ザ・ウエストだね」
シュラ様が例に挙げたケイン・ザ・ウエストは、かつて大陸中に名を轟かせた高名な格闘家です。
異常なほど鋭い聴覚を持った方で、相手が移動する音だけでなく、呼吸音や心拍音、筋肉の動作音まで聴き取れたのだとか。
その情報を元に全てを先読みし、敵1人だけでなく戦場全体を支配する戦い様はまさに武神。
背後から放たれた矢を、振り返りもせずにキャッチしたという逸話も残っています。
もっともわたくしの場合、ケイン・ザ・ウエスト様とはちょっと違った戦い方なのです。
確かに聴覚も、魔法で強化しています。
ですが、それ以外にも――
空気の流れを察知する、肌の触覚。
香水の混じったシュラ様の体臭を、嗅ぎ分ける嗅覚。
これらも同時に、【フィジカルブースト】の魔法で強化しているのです。
さらに言うなら、わたくし魔力の流れにはとても敏感ですの。
シュラ様は水魔法の達人で、魔法発動時に魔力の流れを上手く隠蔽しています。
それでもわたくしの魔力感知能力を、完全に欺くことは不可能ですわ。
「神技だとは、思うけどさ……。その戦い方、神経がすり減るだろう?」
シュラ様の指摘通り。
普通に視界のある状態で戦うより、何倍も精神的に疲れます。
「僕はヴェリーナさんが疲れてミスをするまで、距離を取らせてもらうだけさ。君は強いが、遠距離攻撃の手段は持っていないだろう?」
霧の向こうで、シュラ様の声が遠くなりました。
かなり間合いを取った場所から、水の鞭なり水球を飛ばす魔法なりで攻撃してくるおつもりなのでしょう。
――わたくしに、飛び道具はない。
その思い込みが、命取りですのよ?
わたくしは、ダラリと全身の力を抜きました。
一方体内では、魔力を高めていきます。
嵐で荒れ狂う、海のように。
「魔力を高めて、何をするつもりなんだい? 君は身体強化魔法以外、ろくに魔法を使えないという調べはついているんだ」
――迂闊な。
喋ることで、自らの位置を教えてしまうとは。
そうでなくとも、わたくしの魔力感知からは逃れられませんわ。
わたくしは指を曲げ、空気を掴むように掌を構えます。
通常のパンチを放つ時みたいに、握り込みはしません。
わたくしは、目を見開きました。
同時に、短く息を吐き出します。
「ふっ!!」
脱力した状態から、体各所の関節を回転。
足の親指、足首、膝、股関節、腰、肩、肘、手首――
それらの回転運動を連結させて、直線運動へと変換。
掌を超加速させます。
標的は、霧の向こう。
20mほどの距離を取って、【レヴィアウィップ】の魔法を発動させっぱなしにしているシュラ様。
わたくしの右手は、音速を超えました。
発生した衝撃波が、周囲の霧を吹き飛ばしてしまいます。
「……なっ!!」
シュラ様は驚きながらも、瞬時に無詠唱魔法で水の盾を作り出します。
しかしわたくしの右手より放たれた拳圧は、水の盾をただの飛沫へと変えました。
貫通してきた衝撃波に胸を撃ち抜かれ、シュラ様は後方へと吹き飛びます。
そのまま透明な地面へと、背中から叩きつけられました。
「……ゴホッ! まさか拳圧だけで、僕の【マーメイドプロテクション】を貫通するなんてね。まともに食らっていたら、肋骨を折られるところだったよ」
「プラアーサ・クラーケン戦で、わたくしが海を割ったことをお忘れですの?」
「普通の海面より、僕の水魔法による防御の方がずっと強固なはずなんだけどな」
シュラ様は咳きこみながらも、上体を起こしました。
まだ、戦意を失っていないようですわ。
「さすがはゴールド級冒険者、『聖女様』。……僕ひとりでは、分が悪いかな?」
そう言ってローブの懐に手を入れたシュラ様に、わたくしはなんともいえない嫌な予感を覚えました。
追撃し、一気に勝負を決めてしまった方が良かったのかもしれません。
しかし得体のしれない不安感が、わたくしの足を鈍らせました。
その結果、奥の手らしきもの取り出す時間をシュラ様に与えてしまいましたわ。
シュラ様が掲げてみせたのは、ガラス製の小瓶。
中に入っているものは――
「……? タコの赤ちゃん?」
水の入った小瓶の中でふよふよと泳ぐそれは、タコかイカの幼体にしか見えません。
とても小さく、弱々しく、脅威になるとは思えない。
ですが――
なんですの?
この、得体の知れない禍々しさは?
シュラ様は瓶の蓋を開け、タコの幼体らしき生き物を水ごと床に放ちました。
そしてその生き物に向かい、魔力を流し込んでいきます。
「さあ、目覚めろ。プラアーサ・クラーケン」
ゾワリとした感触が、体中を駆け巡りました。
――災厄の魔獣、大海の支配者プラアーサ・クラーケン!
おかしいとは思ったのです。
いかにシュラ様が凄腕の魔道士とはいえども、単身で戦艦カジキンを沈めたり、軍港を壊滅させたりなど無謀。
竜化すれば、話は別でしょう。
しかしシュラ様にはまだ番がおらず、自在に竜化はできないはずなのですから。
プラアーサ・クラーケンを使い、目標を破壊するつもりだったのですわね。
タコの幼体にしか見えなかった生き物はみるみる大きくなり、禍々しい魔獣へと変貌していきます。
人型の上半身も生え、ニタリとした笑みをこちらに向けてきました。
「凄いだろう? 僕ら青竜種の竜人族の血から作られる、『竜狂薬』というものを使っているんだ。僕の発明品さ」
禍々しい魔獣の隣で、得意気に語るシュラ様。
彼の笑顔もまた、禍々しく歪んでいます。
「水棲系の魔獣を成体に急成長させたり、逆に幼体にまで戻したりできる代物さ。単純な命令なら、従わせることもできる」
「先日、わたくしとリュウ様が倒したプラアーサ・クラーケンは……」
「僕が実験的に、巨大化させていたやつさ。ちょっと制御が上手く行かず、暴走させちゃったけどね。……クサナギ家では生体兵器として、密かにプラアーサ・クラーケンを養殖しているんだよ」
悪びれもせずに言うシュラ様に、怒りが湧いてきます。
わたくしやリュウ様が倒していなかったら、どれだけの海水浴客が犠牲になっていたことか。
「さて……これぐらいの大きさで、止めておこうかな? あんまり巨大化させ過ぎると、洞窟の中では戦わせにくいからね」
シュラ様は、プラアーサ・クラーケンへの魔力供給を停止しました。
確かに海水浴場で討伐した個体より、だいぶ小さい。
それでも体高は、4mほどもあります。
人型の上半身は、巨大サイズの時と大きさが変わず人間くらい。
触手の生えた下半身と人型上半身のバランスは、この個体の方がしっくりきますわね。
サイズが小さくなったからといって、戦闘力が低いと考えるのは危険でしょう。
感じる魔力の波動も、先日の巨大な個体と大差ありません。
魔力量は抑えつつも、濃度は高めな魔力を注入したのでしょう。
「ヴェリーナさんを、拘束しろ。プラアーサ・クラーケン」
美しい水晶の洞窟内に、シュラ様のおぞましい命令が反響しました。
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