第52話 聖女は1人で嵐の海へと向かう
カヴァタ山展望所から、帰ってきた晩のことです。
「どうやら、嵐が近づいているようだな」
宿泊しているホテルの玄関ロビーで、リュウ様がボソリと告げました。
このロビーには、大きな滝のオブジェがあります。
ただの滝ではありません。
魔道具となっていて、流れ落ちる水に映像を映し出すことができるのです。
いま投影されている映像は、天気予報。
気象予報魔道士達の観測によると、嵐が来るのは3日後の夜。
ちょうどこのアヴィーナ島を会場として、「五王会議」が行われる日。
そしてわたくしが、シュラ・クサナギ様と「水晶の洞窟」でお会いする日。
「ふーむ。風も強くなってくるだろうし、海で遊ぶのは控えるか? 聖女さん、代わりに買い物とかはどうだ?」
「それは、嵐が過ぎ去ってからの方が良いのでは? 嵐対策で、お店の方々も大変でしょうし」
「それもそうだ。聖女さんは、優しいな。……よし。それじゃ嵐が過ぎ去るまでは、ホテルの敷地内に引きこもってのんびり過ごそうぜ」
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こうしてわたくし達は、ホテルの敷地から出ない生活を送りはじめました。
敷地から出ないとは言っても、このホテルは敷地内に様々な施設があります。
プールで泳ぐこともできますし、よく手入れされた広めの庭園もございます。
お洒落なカフェテラスだって。
それらの場所でまったりとした時間を過ごしたり、体を鈍らせないよう庭園の隅で体術の型稽古をしながら過ごしました。
嵐はさらに接近し、風が強くなってきました。
ここまでくると、ホテル敷地内でも屋外に出るのは大変です。
髪が、バサバサになってしまいます。
わたくし達は部屋にこもり、ボードゲームに興じる日々。
チェスやオセロ、極東の島国由来の囲碁や将棋。
ルールを知らないものも多かったのですが、リュウ様が丁寧に教えて下さいました。
リュウ様はどんなゲームでも強く、わたくしは太刀打ちできません。
ものすごく、頭の回転が速いのですわね。
あとプレイスタイルに意地悪さというか、Sっ気を感じます。
勝つことより、わたくしを翻弄して虐めることに悦びを見出しているというか――
そんなリュウ様を、チェスで圧倒する者がおりました。
「チェックメイト。お嬢様を虐めて悦ぶ変態カメムシトカゲは、成敗ダス」
「マジかよ……。ここまで手も足も出なかった相手は、初めてだぜ」
チェス盤の前で腰に手を当て、勝利の「ふんすっ」を鼻から吹き出したのはミランダ・ドーズギール。
そういえば彼女が以前、レオンお父様やアナスタシアお母様を相手に指していたのを見たことがあります。
お母様は聖都有数のプレイヤーだと評判でしたのに、ミランダには敵わないとぼやいておられました。
わたくしの見立てでは、リュウ様はアナスタシアお母様より強い。
それを、圧倒するだなんて――
ミランダのチェスは何百手も先まで読んでいるというよりは、「未来を知っている」ような駒の動かし方でしたわ。
「『負けた方は、勝った方の言うことを何でも聞く』というルールだったダスね。ミニスカートのメイド服でも着させて、丸1日お嬢様にご奉仕させる罰ゲームとか考えていたんダスが……」
「ミランダさん、それはさすがに勘弁してくれ。聖女さんだって、嫌だろう?」
いえ!
リュウ様のメイド服姿、大歓迎ですわ!
きっとママさんにも劣らぬ、素敵な筋肉乙女になると思います。
でもどうせなら奉仕されるより、わたくしがメイド服を着てリュウ様にご奉仕したい。
そして何か粗相をして、お仕置きをいただくという展開の方が萌え――
わたくしは首を横に振って、レオンイズムを振り払いました。
「ふ~む。お嬢様はカメムシトカゲ様のメイド服姿なんて、見たくないそうなんダス。何か、他の命令を考えないといけないダスね」
ああ!
首を横に振ったのを、ミランダから誤解されてしまいましたわ。
リュウ様のメイド服姿、ものすごく見たかったのに!
「ならばカメムシトカゲ様、こう約束するんダス。『死んでもお嬢様を悲しませない』と」
「は? 何を、当たり前のことを……。俺が聖女さんを悲しませるようなこと、するわけねえだろ?」
「『死んでも』……なんダスよ?」
ミランダは声を低くして、瓶底眼鏡を光らせながらリュウ様に迫ります。
真剣な物言いに圧倒され、わたくしもリュウ様も言葉が出ませんでした。
ソファで丸くなり寝ていたフクまで、起き上がって目をパチクリさせています。
「……わかった、約束しよう。俺は、死んでも聖女さんを悲しませたりしねえ」
「絶対ダスよ。破ったら、『女神のゆりかご』には行けないんダス」
「俺はミラディース教徒じゃねえよ」
意外でした。
信仰心が薄いどころかゼロだと宣言しているミランダが、「女神のゆりかご」の話を持ち出すなんて。
「女神のゆりかご」は、死後の魂が行きつく安息の地。
ミラディース教徒の親は子供に、
「いい子にしていないと、『女神のゆりかご』には行けませんよ」
と、お説教することが多いのです。
ひょっとしてミランダは、わたくしがリュウ様に抱く想いに気づいているのでしょうか?
「死んでも悲しませるな」というのは、「ヴェリーナ・ノートゥングを振ったら許さない」という意味なのでしょうか?
しかし、人の想いというものは――
恋や愛といった感情は、ままならないもの。
リュウ様に意中のお相手が存在している以上、わたくしが振られるのはどうしようもないのです。
わたくしがシュラ様のお気持ちを、キッパリ拒絶しようとしているように。
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カヴァタ山展望所でシュラ様とお会いしてから、3日目――
今日が「水晶の洞窟」で話をするという、約束の日です。
そして大嵐がアヴィーナ島を直撃すると、予報されていた日でもあります。
夕方から、空は真っ暗。
雨こそまだ降っていませんが、湿り気を帯びた強い風が吹き荒れています。
そんな中、わたくし達が宿泊しているホテルの客室を訪ねてきた方がいらっしゃいました。
アヴィーナ島ギルド冒険者のおひとり、フンドシマッソーズ1号さんです。
「こんな嵐の晩に、『冒険者ギルドまで来て欲しい』だぁ?」
声を上げたリュウ様に対して、申し訳なさそうに1号さんは頭を下げます。
「すまぬ、リュウ殿。ギルドマスターも交えて、どうしても相談したいことがあるのだ。……また、プラアーサ・クラーケンの目撃情報が出た」
「なんだと!?」
思わずわたくしも、ソファから腰を浮かせてしまいました。
それが事実なら、緊急事態です。
わたくしとリュウ様が倒した個体以外に、もう1体がこの島の近海をうろついていると?
「ただな……。目撃した漁師はベロンベロンに酔っぱらっていたし、天候は暗く、海も荒れていた。証言の信憑性は、イマイチでな」
「ふ……む……。だが、無視はできねえな。よし! すぐに支度して、ギルドへと向かうぜ。聖女さんは……どうするかな? こんな嵐の中連れ出して、『やっぱ見間違いでした』じゃあんまりだしな」
これは、チャンスかもしれません。
どうやってリュウ様に気付かれず、ホテルを抜け出そうか悩んでいたところですから。
「ならばわたくしは、ここに残ります。サレッキーノ防衛戦の時と同じく、分散していた方が緊急時に対応しやすいでしょう?」
「なるほど、一理あるな。ミランダさん、フク、聖女さんのことを頼んだぜ」
そう言って素早く支度を整えると、リュウ様とフンドシマッソーズ1号さんはホテルを出て行きました。
わたくしもシュラ様とお会いするために、部屋着から着替えます。
青い法衣に、ドラゴン革のグローブ。
冒険者として、魔獣と戦闘する時の装いへと。
「水晶の洞窟」で魔獣と遭遇する可能性が高いというのもありますが、それ以上にシュラ様対策です。
わたくし、暴力は嫌いですが――
シュラ様が強引に迫ってきたら、叩き伏せさせていただきます。
「お嬢様。それはプラアーサ・クラーケンが出現した時に、迎え撃つための着替えじゃないダスね? どこへ行くおつもりダスか?」
さすがはミランダ。
お見通しですのね。
「今から『水晶の洞窟』で、シュラ様とお会いしてきます」
「あんなスカンクトカゲ野郎と会うのは、危険なんダス。反対なんダス。お嬢様だって、気付いているはずダスよ? シュラ・クサナギが、お嬢様を番にしたがっていることは」
「もちろん、気付いておりますとも」
「せめて、わたすとフクをお連れ下さいダス」
「ダメです。シュラ様はわたくしに、1人で来て欲しいと仰ったのです」
わたくしの自意識過剰でなければ、そこでシュラ様は想いをきちんと告白してくるのでしょう。
真剣な告白を正面から受け止め、誠意をもってキッパリとお断りする。
自分なら振られる時、そうして欲しい。
第3者が見ている前で告白など、絶対に嫌です。
「それが、お嬢様の選んだ道なんダスね」
「ミランダ……。また心配かけて、ごめんなさい。フクも……」
「いいんダス。温かい紅茶を用意して、待っているんダス。無事に帰ってきて欲しいんダス」
「気を付けてね、ご主人様」
「ありがとう、ミランダ、フク」
心配そうに見送ってくれる2人に背を向けて、わたくしは部屋のドアへと手を掛けました。
――ズッシリと重い。
何度となく開閉したホテル客室のドアですが、こんなに重くはなかったような?
気分的なものでしょうか?
わたくしは心と腕に力を込め、ドアを押し開けました。




