第49話 聖女は海を汚染する
■□ソフィア・クラウ=ソラス■□
「うぷ……。ぎぼぢわるいでずわぁ~……」
アタクシ、聖女ソフィア・クラウ=ソラスは胸を押さえておりました。
吐き気が――
猛烈な吐き気が、湧き上がってくるのですぅ。
視界もグルグルしますぅ。
これは、船酔いというやつですわぁ。
現在アタクシいる場所は、豪華客船の客室。
聖女に与えられた個室ですから、当然広くて豪華で快適。
――なはずでしたが、すぐに地獄の空間へと変わりました。
なんで、こんなに揺れるんですの?
気持ち悪い!
気持ち悪い!
気持ち悪すぎますわぁ!
アタクシはヨロヨロと客室を出て、甲板へと上がりましたわぁ。
優しい潮風が、ゆるふわな金髪を慰めるように撫でてくれますぅ。
ああ――
外の空気を吸うと、少しは酔いも収まるような気がしました。
そう、油断したのがいけませんでしたわぁ。
吐き気が、臨界点を突破しました。
「ウボァー! おろおろ! ぐえっぷ!」
アタクシは甲板の縁から身を乗り出し、混沌とした色の息吹を海にぶちまけてしまいました。
エメラルドグリーンの美しい海が、嘔吐物で汚染されて――いえ!
聖女たる、アタクシの口から出たものですのよ?
尊い存在に、決まっておりますわぁ。
海中の小魚よ、微生物よ。
ありがたーく食べたり分解したりして、証拠を隠滅するのですぅ。
「大丈夫ですか? 聖女ソフィア」
背後から、落ち着いた優しい声がかけられますぅ。
ゲゲッ!
よりによって、このお方に見られてしまうとは――
「デュランダル枢き……いえ、教皇猊下。お見苦しいところを……」
振り返った先に立っていたのは、穏やかな顔をした老人。
髪は長い白髪なのですが、キッチリ手入れされた真ん中分けなので清潔感がありますぅ。
老人とはいっても、先代のでっぷりした教皇よりずいぶん若いですわぁ。
痩せていて、スマートな印象を受けますぅ。
この方が、ミラディース教会の新しいトップ。
すなわち、ミラディア神聖国の元首でもあるフレデリック・デュランダル教皇。
危ない、危ない。
ついつい以前の地位である、デュランダル枢機卿と呼んでしまうところでしたわぁ。
ちなみに、先代教皇は引退ですぅ。
魔王ルビィに顔を焼かれたのと、先々代聖女アナスタシアに股間を蹴り飛ばされたのが堪えたようですわぁ。
他にも色々とやらかしがバレて、引退を迫る声があったとも聞きますぅ。
「聖女ソフィア。あなたと剣聖ランスロットは、とても重要な存在なのです。私にとっても、ミラディア神聖国にとっても、人族の未来にとってもね。だから自分の体は、大切にしなければなりませんよ? 決して、無理をしないように」
「はいっ! 教皇猊下ぁ!」
先代の偉そうな教皇と違い、なんてお優しい方なのでしょうかぁ。
アタクシとランスロット様を、気遣って下さるなんてぇ。
先代教皇が魔王ルビィから顔を焼かれた時、その場にいたアタクシとランスロット様の責任を問う声も上がりました。
そんな時、擁護して下さったのもこのお方なのですぅ。
「相手が魔王では、教会聖騎士団総がかりでも無理だったでしょう」――と。
ちなみに今、剣聖ランスロット・コールブランド様はご自分に割り当てられた個室で死んでいますぅ。
彼もアタクシと同じで、船に弱いようですわぁ。
アタクシとランスロット様は教皇猊下の護衛として、この船に乗り込んでいるのですぅ。
アタクシが不調な今、ランスロット様には頑張っていただきたいのですが――
剣聖という生き物は、意外にヘナチョコなのですわねぇ。
正直、ガッカリですわぁ。
「ああ、聖女ソフィア。護衛任務中とはいっても、今は気を抜いていて結構ですよ。船の上なら、安全だ」
「ですが、心配ですわぁ。1週間前、目的地のアヴィーナ島には災厄級の魔獣プラアーサ・クラーケンが出現したと聞きますしぃ」
甲板上にいる時に、海から飛び出てきた魔獣に襲われでもしたら大変ですわぁ。
今度こそ、アタクシの責任問題になってしまいますぅ。
なので教皇猊下には、大人しく船室に引っ込んでいて欲しいのですが――
「見なさい、聖女ソフィア。波乗りをしている恋人達がいますよ。実に楽しそうですね」
海を指差すデュランダル教皇の言葉に、驚きましたわぁ。
アタクシ達の船は、かなりアヴィーナ島へ近づいていますぅ。
とはいえ、サーフボードの類で波乗りするには陸地から遠すぎですわぁ。
アタクシは教皇猊下のすぐ隣まで駆け寄り、甲板の縁から海を覗き込みますぅ。
そこには確かに、長めのサーフボードで波乗りをしているカップルがいましたぁ。
前で、ボードを操っているのが男。
後ろに乗って、男の腰につかまっているのが女。
これは、不自然ですわぁ。
乗れそうな波がきていないのに、サーフボードはまるで意志を持った魚のよう。
自由自在に、海上を滑走していますぅ。
「ほう……。男性の方は、優れた魔道士のようですね。水魔法で、海流を繊細に操っている。同乗者の女性が日焼けせぬよう、日差しを和らげる結界魔法まで同時展開していますよ」
教皇猊下が褒める魔道士は、年の頃20代前半といったところでしょうか?
美形ではありますが、狂暴そうなお顔ですわぁ。
アタクシの好みではありません。
荒々しく刈り込まれた赤髪の、襟足部分だけちょっと長め。
後頭部下側で括ったヘアスタイル。
そして金色の瞳――
一瞬だけこちらを向いた双眸に、アタクシはブルリと震え上がってしまいました。
魔王ルビィを思い出したのですわぁ。
危ない危ない。
また、チビってしまうところでした。
「あの赤髪と、金色の瞳……。そうか、彼が魔王ルビィ殿の……。これは、面白くなりそうです」
教皇猊下の呟きに、アタクシはげんなりしました。
ええ~。
あの男、魔王ルビィの関係者なんですのぉ?
猊下は何やら楽し気にしていますけど、アタクシは魔王関係者になんて近づきたくありませんわぁ。
とっとと、船から離れて欲し――
「おや? 聖女ソフィア。女性の方にも、見覚えがありませんか? 教会にいた頃と髪型が違うから、気付くのが遅れてしまった」
教皇猊下に問われて、女の方にも注目しますぅ。
ケッ! なんですのぉ?
あの黒髪ポニーテール女は?
魔国ヴェントランやこのウ・ミムラー海洋国家連合ではウケそうな顔立ちですが、聖都ミラディアに来たらドブス扱いですのよぉ?
スタイルだって、アタクシのような無駄のないスマートボディこそ至高。
ラッシュガードの上からでもあちこち盛り上がっているのが見えて、見苦しいですわぁ
まるで、あの忌々しい無能聖女ヴェリーナ――
――って、ヴェリーナ・ノートゥング本人ではありませんのぉ!
あのムカつく青い瞳、間違いありませんわぁ!
地竜公ブライアン・オーディータとの戦いで、死んだものだと思っておりましたのにぃ。
――そういえばあの戦い、結末はどうなったのでしょうか?
『ミラディア神聖国と魔国ヴェントランの全面戦争を避けたい魔王が、地竜公を領地に引きずって帰った』
だとか、
『ブライアン・オーディータは奥方と同じ病にかかり、病死した』
だとか、不確かな噂ばかり流れて、真相は闇の中ですわぁ。
ミラディース教会上層部は、魔王ルビィと交渉して手打ちにしてしまったようですが。
「竜滅の巫女、ヴェリーナ・ノートゥングか……。彼女のおかげで、私の計画が予定より早く実現するのか……。あるいは、障害となり得るのか」
隣で教皇猊下が、ブツブツと呟いておられます。
意味はよく分かりませんが、あの女はアタクシ達の障害になる予感しかしませんわぁ。
それにしても――
ヴェリーナの奴、楽しそうですわねぇ。
なんの罪もないアタクシが――
護衛の仕事を一生懸命頑張っているこのアタクシが、船酔いに苦しんでいるというのに。
アヴィーナ島は、高級リゾート地。
宿泊したり遊んだりするには、かなりお金がかかるはずですぅ。
あの赤髪の男は魔王関係者という話でしたし、ヴェリーナの母親の実家は大商会でしたわねぇ。
きっと、男か親の金で遊んでいるのですわぁ。
それは、とぉーってもムカつきますぅ。
そんな不公平、許されるはずがありません。
なのでアタクシは、ちょっと制裁を加えてやることにしたのですぅ。
(【ディスペルマジック】)
呪文無詠唱に加え、魔力の流れを隠蔽。
標的の赤髪魔道士どころか、アタクシのすぐ隣にいた教皇猊下にも気付かれぬよう密かに魔法を発動しますぅ。
【ディスペルマジック】は展開中の魔法や編み上げている途中の術式に干渉し、発動を妨害したり無効化してしまう魔法ですわぁ。
聖女たるアタクシの【ディスペルマジック】なんて受けたら、そこいらの魔道士が使う水魔法なんて一瞬で掻き消えてしまいますぅ。
サーフボードはバランスを崩して、2人とも海にドボンですのよぉ。
ウヒヒヒ――
ですがアタクシが【ディスペルマジック】を発動した瞬間、赤髪の魔道士は面倒臭そうにこちらを振り向きました。
呪文無詠唱で魔力の流れも隠蔽していたのに、気付かれた?
しかも赤髪魔道士は【ディスペルマジック】に抵抗し、弾き飛ばしてしまいますぅ。
そ――そんな馬鹿なぁ。
赤髪の魔道士はニヤリと笑い、さらに魔力を高めました。
真下から巨大な水柱を発生させ、サーフボードごと大ジャンプ。
アタクシ達が乗っている豪華客船に向けて、飛んできますぅ!
「きゃああああっ!!」
赤髪の魔道士が巻き起こした水柱のせいで、甲板上にいたアタクシはずぶ濡れになってしまいましたわぁ。
赤髪の魔道士と無能ヴェリーナは、そのまま船を飛び越え反対側の海に着水。
加速して、小さくなっていきますぅ。
ヴェリーナがペコペコと頭を下げていますが、それぐらいで許すわけありませんわぁ。
「おのれ! アタクシだけならいざ知らず、ミラディース教会の教皇たるデュランダル猊下にまで水をぶっかけるとは無礼千万! ぜ~ったい処刑してやりますわぁ!」
「ああ、聖女ソフィア。私は、水をかけられていませんよ?」
「……へ?」
振り向いて猊下の法衣を観察してみれば、仰る通り全く濡れていません。
「どうやら悪戯の犯人であるあなたにだけ水がかかるよう、魔道士の彼がコントロールしたようですね」
な――なんですってぇ!
そんなの、人間業ではありませんわぁ。
――っていうかデュランダル教皇、コッソリ使用したアタクシの【ディスペルマジック】に気づいていらっしゃったのですわねぇ。
この方も、ただ者ではありませんわぁ。
「ふむ。ムラサメ家の者が得意とするのは、炎や氷といった熱を操る魔法なはず。水の魔法でも、あれだけの使い手とは……。1番可能性があるのは、彼かもしれませんね」
教皇猊下は何やら色々と考えていらっしゃるようですが、アタクシにはサッパリですぅ。
まあたぶん、アタクシには関係ありませんわぁ。
とにかく、いま確かなことは――
「クシュン!」
季節は夏、温暖な気候のアヴィーナ島とはいえ、甲板上はけっこう風があります。
ずぶ濡れのままでは、風邪をひいてしまいそうですわぁ。




